日曜礼拝 2022年5月8日
案 内
華陽教会では、感染症対策のため、礼拝堂、ロビー、3階集会室、2階配信部屋に分かれて「三密を避けた会衆礼拝」を行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
あなたたちは、わたしにとって/祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である。(出エジプト記19:6)
讃美歌
マスクをしたままで、旧讃美歌519番「わがきみイェスよ」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。
お祈り
(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。
◆復活と希望をもたらす、私たちの神様。今日もまた、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。今週は、久しぶりに「三密を避けた会衆礼拝」を開くことができ、感謝致します。どうか今、様々な事情で、教会へ来られなかった人たちにも、あなたの恵みが豊かにありますように。
◆私たちの神様。ゴールデンウィークを終えて、一旦下がった病床使用率や自宅療養者数が、再び上昇してきています。どうか今、感染した方々の回復と、治療や対策をしている人たちに、あなたのお支えがありますように。
◆私たちの神様。新型コロナ以外にも、様々な病気や障害、怪我を負って、苦しんでいる方々がいます。どうか今、それぞれに必要な力と励ましをもたらし、孤立しないように助けてください。
◆愛と平和の源であるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書15:1〜11(新共同訳より抜粋)
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編95:1〜11(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です) |
主に向かって喜び歌おう。
救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
御前に進み、感謝をささげ
楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
主は大いなる神
すべての神を超えて大いなる王。
深い地の底も御手の内にあり
山々の頂も主のもの。
海も主のもの、それを造られたのは主。
陸もまた、御手によって形づくられた。
わたしたちを造られた方/主の御前にひざまずこう。
共にひれ伏し、伏し拝もう。
主はわたしたちの神、
わたしたちは主の民
主に養われる群れ、
御手の内にある羊。
今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。
「あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように
心を頑にしてはならない。
あのとき、あなたたちの先祖はわたしを試みた。
わたしの業を見ながら、なおわたしを試した。
四十年の間、わたしはその世代をいとい/心の迷う民と呼んだ。
彼らはわたしの道を知ろうとしなかった。
わたしは怒り
彼らをわたしの憩いの地に入れないと誓った。」
讃美歌
マスクをしたままで、讃美歌21の393番「こころを一つに」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。
メッセージ
神様につながっている、イエス様につながっている、聖霊につながっている、教会につながっている……私たちキリスト教徒にとって「つながっている」という言葉は、非常に強く大切な響きがあります。昨年度、華陽教会が年間主題として掲げていたのも『つながりに行こう』というテーマでした。
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」……一年間、礼拝プログラムに載せてきたイエス様の言葉なので、よく覚えている方も多いと思います。コロナ禍で顔を合わせるのが難しい時期も、頑張ってつながっていよう、頑張ってつながりに行こう……そんな目標を抱いていました。
しかし、一年経ってよく分かりました。つながっていることも、つながりに行くことも私たちには非常に困難で、簡単にはいかないことが……52週あった日曜日のうち、顔と顔を合わせて礼拝に集まれたのは約半分。初めて教会に来ようとした方、礼拝に出ようとした方も直接参加していただくことができず、電話だけして会えなかった方もいました。
そんな一年間を経て、教会総会も無事終わり、ようやく、新しい年間聖句と主題を決めて、新年度をスタートした矢先に、聖書日課で当たった言葉……「わたしにつながっていなさい」「わたしの愛にとどまりなさい」……ああ、もう一度、「つながっていることができなかった」「つながりにいけなかった」自分の姿と向き合わされるのか……。
そう思ってしまったことを、正直に告白します。こちらから電話すること、手紙を送ること、訪問の機会を伺うこと、メールでやりとりすること……つながっているためにできることを、十分していたと、私は胸を張ることができません。「互いに愛し合いなさい」というイエス様の教えを語りながら、その愛を、しっかり実践してきたとは言えません。
同じ建物に集まれなくても、教会に、信仰に、神様の愛にとどまることができるよう、手を伸ばしてつながろう……そう口にしながら、つながり続けるエネルギーが、なかなか保てなかったことを白状します。長いこと、配信で礼拝に参加しているうちに、教会へ行く、みんなと一緒に集まる力が、出てこなくなった人の気持ちも、正直分かります。
「つながっている」って、エネルギーが要ります。どんなにつながっていたい相手でもひとたび、つながりにくい状況が訪れると、途端に、その関係へとどまることが難しくなります。これまで真面目に礼拝へ出席してきた人たちでも、配信を通しての礼拝には参加する気になれなくて、何もできない日曜日を過ごした方もいるでしょう。
「電話してみようか」「メールしてみようか」と思いながら、疎遠になった人とつながる力が、湧いてこなかった人もいるでしょう。お互いに、励ましを、慰めを、支えを必要としているのが分かっているのに、私たちは、なかなか一歩を踏み出し続けることができません。互いに愛し合い、その愛にとどまることができません。
私は、けっこうドキドキしています。なぜなら今日、私自身が、みんなと教会に、イエス様につながっていること、イエス様の愛にとどまることを「できなかった」と認めるなら、恐ろしい言葉が待っているからです。「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう」
容赦ない言葉です。イエス様の教えを守り、実践することができない者……イエス様を信じ、その愛にとどまることができない者……イエス様に従い、つながっていることができない者は、取り除かれ、投げ捨てられ、集められて、火に投げ入れられる。救われず、守られず、滅ぼされてしまう……そんな裁きの宣告です。
果たして、私はどうなんだろうか? 私も捨てられるんだろうか? ちゃんとつながっていると言えるだろうか? まだ、とどまっていると言えるだろうか? 既に、つながっていなかったら、つながり直すには、どうしたらいいんだろう?……言葉どおり、取り除かれ、投げ捨てられ、枯れて焼かれることを受け入れるしかないんだろうか?
ちょうど、似たような恐れを持つはずだった人たちを、私は知っています。それはまさに、イエス様からこの言葉を直接聞いた人たちです。イエス様に「どこまでもついていく」と言い、命を捨てる覚悟で従うことを誓いながら、一緒にいることができなかった、つながっていることができなかった弟子たちです。
彼らは、イエス様から「わたしにつながっていなさい」「わたしの愛にとどまりなさい」と言われてから数時間後に、イエス様を置いて逃げていました。祭司長やファリサイ派によって、イエス様が逮捕されると、イエス様の仲間であることも否定しました。イエス様が十字架の上で息を引き取るときには、誰も近くにいませんでした。
イエス様につながっていること、イエス様の愛にとどまることができた者は、あの言葉を直接聞いた者たちの中にはいませんでした。誰もつながっていること、とどまることができませんでした。もう絶望的です。あとは取り除かれ、投げ捨てられ、火に投げ入れられるのを待つだけです。
しかし、イエス様は、つながっていること、とどまることができなかった弟子たちに、再びつながりに行きました。見捨てられて死んでから、3日目に復活し、弟子たちのもとに現れました。そのとき出てきた言葉は、彼らを切り捨てる言葉じゃありませんでした。「あなたがたに平和があるように」「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」「聖霊を受けなさい」……わたしにつながっていなさい。
イエス様の言葉は、実を結ばず、取り除かれ、枯れていくはずだった弟子たちを、拾い上げ、繋ぎとめ、実を結ばせる力となります。私たちが共に、イエス様とつながっていること、イエス様の愛にとどまることができずにいるとき、「わたしもあなたがたにつながっている」と呼びかけ、再び結び合わせます。
久しぶりに会衆礼拝を再開した今日、私たちは焼かれるためにではなく、実を結ぶために集められました。責められるためにではなく、平和のために呼ばれました。もはや、あなたは、つながっていない者ではありません。実を結ばない者ではありません。互いに顔を合わせている者も、離れたところにいる者も、今、新しく、結び合わされます。
思い出しましょう。キリストは、つながりの切れた者に現れて、自らを結び合わせて言われます。「起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである」(使徒言行録26:16 *2022年度華陽教会年間聖句)
讃美歌
オンライン賛美歌11番「どうか平和の主が」(©︎柳本和良)を3回繰り返して歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の裏面をご覧ください)
使徒信条93-4A
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)
使徒信条93-4B
わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。
紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)
主の祈り93-5A
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)
献金の祈り(例)
主なる神よ、私たちが持っているものは皆、あなたからいただいたものです。今、私自身の生き方を、あなたの御用のためにおささげします。どうか、ここにささげた献金もあなたの求めていることに用いてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。(ヨハネによる福音書15:16)
祝 福
どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅礼拝は、奉仕者+2名の9名、同時に視聴された14名、計21名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。
次週の礼拝は、岐阜県の病床使用率を踏まえて( )礼拝の形で行います。また、今後は在宅礼拝期間中も、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名に調整して、合計10〜15名以内になるよう、個別に声をかけて集まれるようにしていきます。
礼拝に出られる機会が、なるべくみんなに行き渡るよう、感染症対策と合わせて、ご協力どうぞよろしくお願いします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。