ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『どうなるか教えてくれません』 ヨハネによる福音書16:12〜24

日曜礼拝 2022年5月22日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、3回目のワクチン接種を受けた人たちで、時間を短縮して礼拝に集まっています。共に今、教会にいる人も配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。(ローマの信徒への手紙8:26)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌519番「わがきみイェスよ」1節、3節を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆復活と希望をもたらす、私たちの神様。今日もまた、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。キリストの復活を記念するイースターから6週間が経ち、教会の始まりを記念するペンテコステまで2週間となりました。どうか今、集まれなかった日々を振り返りながら、新しいスタートを準備することができるように、私たちを導いてください。

◆私たちの神様。岐阜県の病床使用率は27%を超え、自宅療養者数も再び3000人を超えてしまいました。どうか今、感染した方々の回復と身内や医療従事者の生活が守られ、日常を取り戻すことができますように。

◆私たちの神様。来週は、認定こども園の理事会と岐阜地区の諸教会による総会が行われます。どうか今、限られた時間で決めるべきことを誠実に話し合い、みんなで未来を作っていくことができますように。

◆愛と平和の源であるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書16:12〜24(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の540番「主イェスにより」1〜3節を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

Sasin TipchaiによるPixabayからの画像

メッセージ

今週26日に、私たちはキリストの昇天を記念する木曜日「昇天日」を迎えます。イエス様が復活してから40日間、弟子たちに現れ、その後、彼らの目の前で天へ挙げられたことを記念する……言わば、「イエス様の姿が見えなくなった」「イエス様が地上から居なくなった」日を、思い起こす木曜日です。

 

ちょうど、イエス様が十字架につけられる前、弟子たちと最後に食事をなさった日も、木曜日だったと言われています。弟子たち一人一人の足を洗い、テーブルに着き、パンとぶどう酒を分け合ったその日、イエス様はあらかじめ、彼らに自分の姿が見えなくなること、居なくなることを伝えていました。

 

「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」……イエス様が逮捕され、十字架につけられる直前の言葉。間もなく自分は殺されて、墓の中に納められるが、3日目に復活して、再び会うことができる……そのことを言っているようにも見えますが、さらに先のことも暗示しています。

 

それはまさに、イエス様が復活したあと、弟子たちの前から居なくなる、人々の目に、見えなくなる日のことでした。「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」……唐突な台詞に、弟子たちは思わず返します。「何のことだろう?」「何を話しておられるのか分からない……」

 

そりゃそうですよね? イエス様は弟子たちに対し、3回にわたって、自分が十字架にかかって殺されること、それから3日目に復活することを話していましたが、彼らには到底、受け入れられる話じゃありませんでした。なぜ、そんなことを言い出すのか? なぜそんなことにならなきゃいけないのか? 誰も理解できませんでした。

 

同様に、イエス様と弟子たちの間で、3回にわたって繰り返されるこの言葉も、やっぱり彼らを不安にさせます。「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」……何のことだろう? 何を話しておられるのか分からない……彼らは、死と復活の予告に対して見せたのと、同じ反応を示します。

 

当然です。急に「見えなくなる」とか「また見えるようになる」とか言われても、何がどうなるのか、瞬時に理解できません。イエス様はどうも言葉足らずです。明らかに弟子たちが戸惑っているのに、「何のことですか?」「どういう意味ですか?」と聞いているのに、同じ言葉を繰り返すだけ。

 

「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」……具体的に、どんな出来事が起こるのか、ちゃんと答えてくれません。「復活したあと、わたしは天に挙げられる」とか「再び地上に戻ってくる」とか、これから何が起こるのか、どうなるか教えてくれないんです。

 

結局、弟子たちはイエス様が復活してから40日後に、初めてその言葉の意味を悟ります。イエス様に連れられて、一緒に登った山の上で、その姿が天へ挙げられ、見えなくなった……「父のもとへ行く」とはこのことだった。「見えなくなる」とはこのことだった。彼らは呆然とします。

 

あらかじめ言われていたけれど、ついさっきまで、これからも一緒にいるものと思い込んでいた弟子たちには、突然の不在に反応することができません。ルカによる福音書では、キリストの昇天を見た弟子たちが、大喜びで、神を褒め称えたことが書かれていますが、最初は目の前で起こった出来事に興奮しても、だんだん気づかされていきます。

 

あの方がいなくなったことに、あの方が見えなくなったことに……弟子たちの間で、悲しみと心細さが広がります。イエス様が「またしばらくすると、わたしを見るようになる」と言っていたのは、再び地上へ来られる日、世の終わりのことだった。でも、それがいつかは言わなかった。いつ、その日がやって来るかは教えなかった。

 

キリストの不在が、彼らを蝕みます。泣いて悲嘆にくれる者、苦痛を感じる者、無気力になる者……10日後に、突然激しい風が吹き、炎のような舌が、イエス様の送った聖霊が、弟子たち一人一人の上に留まるまで、閉じこもる日が続きます。でも、イエス様が約束したように、彼らの悲しみが、喜びに変わる日がやって来ます。

 

私たちもまた、イエス様が自分の前から居なくなる、見えなくなることを度々感じます。もちろん、現在イエス様を直接見ることは、最初からできませんが、聖書を読むようになって、礼拝へ行くようになって、イエス様がいることを、守ってくれていることを感じるようになっていたのに、突然一人にされたような気になることが出てきます。

 

たとえば、自分だけが病室に切り離されたときかもしれません。たとえば、施設に閉じ込められた日かもしれません。たとえば、教会に行けない日曜日かもしれません。聖書を開くことも、メッセージを聞くこともできなくなる……イエス様を見ることのできなくなる日が、私たちにはやってきます。

 

その時、どうなるか尋ねても、神様は正面から答えてはくれません。いつ、家へ帰れるのか? いつ、教会へ行けるのか? いつ、回復できるのか? どうなるか教えてくれません。悲嘆に暮れ、苦痛を感じる日々を過ごします。既に、そのときを過ごしている方、これから、そうなることを恐れている方がたくさんいます。

 

しかし、イエス様は言われます。「わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる」「願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」……そう、弟子たちに喜びをもたらした、ペンテコステに吹く風は、あなたに吹きつける風です。イエス様が送る聖霊は、あなたに訪れるしるしです。

 

イエス様が見えなくなって、信じることができなくなって、悲嘆に暮れてしまうとき、苦痛を感じてしまうとき、この方は、あなたを見えないままに放っておくことができません。再び自分と出会わせるため、聖霊を送って目を開かせます。あなたを喜びで満たすため、あなたを新しくするために。

 

だから、信じられない者は願いなさい。キリストの名によって願いなさい。悲しみを喜びに変える方へ、新しい風を求めなさい。この方は、自分を見ることができなくなった人のために、言葉を残してきた方です。あなたの悲しみを喜びへ変えるために、再び会いに来る方です。「願いなさい。そうすれば与えられ、あなたは喜びで満たされる」

 

讃美歌

オンライン賛美歌11番「どうか平和の主が」(©︎柳本和良)を3回繰り返して歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

主なる神よ、私たちが持っているものは皆、あなたからいただいたものです。今、私自身の生き方を、あなたの御用のためにおささげします。どうか、ここにささげた献金もあなたの求めていることに用いてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。(ヨハネによる福音書16:22)

 

祝 福

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった18名、同時に視聴された4名、計22名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週も、3回目のワクチン接種を受けた人たちで、マスク・消毒・換気等の対策をした上で、三密を避けた会衆礼拝を行います。アナフィラキシーでワクチンを打てない方や生理的な理由でマスク・消毒ができない方は、お問合せの上、参加できるように対応します。

 

予防の手段が限られる人のために、それぞれ可能な限り、感染症対策にご協力いただき、礼拝に集まれたらと思います。また日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。