ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『掟を守ろうとしたら怒られた』 エレミヤ書23:30〜32、ガラテヤの信徒への手紙5:2〜11

日曜礼拝 2022年7月17日


www.youtube.com

 

案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、配信と並行して礼拝に集まっています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

誰かが隠れ場に身を隠したなら/わたしは彼を見つけられないと言うのかと/主は言われる。天をも地をも、わたしは満たしているではないかと/主は言われる。(エレミヤ書23:24)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌二編58番「いかなればきみはかく」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。全国の新型コロナウイルスの感染者数が過去最多となり、再び病床使用率も20%を超えました。どうか今、感染した方々、特に子どもたちの上に、あなたの癒しと回復がありますように。また、感染拡大が抑えられますように。

◆私たちの神様。華陽教会では、配信と並行して、誰でも教会に集まれるように、礼拝を続ける選択をしています。どうか今、ここに集まる人たちの健康と安全が守られ、配信を通して参加する人たちと心を一つにして、礼拝をささげることができますように。

◆私たちの神様。今月は岐阜地区を覚える月間です。田瀬、付知、坂下、蘇原、飛騨高山、中濃、各務原の教会と、フィリピン合同教会の方々に、あなたの祝福がありますように。どうか今、互いの教会と支え合い、励まし合って歩むことができますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。エレミヤ書23:30〜32、ガラテヤの信徒への手紙5:2〜11(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

www.bible.or.jp

交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編52:3〜9(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の50番「みことばもて主よ」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

Uwe BaumannによるPixabayからの画像

メッセージ

聖書に書かれた教えを守ろうとする、神様に言われたことを実践しようとする……それって、キリスト教的には間違った行為ではないはずです。神様を信じて、神様に従う生き方が、信仰者の生き方ですから、与えられた掟を実行するのは、キリスト者の正しい生き方に感じます。

 

ところが、初代教会では、かつて神様から与えられた掟を守ろうとして、宣教者パウロに怒られている人たちがいました。彼らが守ろうとした掟は「男子は全員、割礼を受けなければならない」という教えでした。割礼って何かというと、男性の生殖器である、包皮の一部を切り取る行為です。

 

いきなり生々しく、痛々しい単語が出てきました。現在、日本にいる私たちからすると馴染みのない慣習ですが、古い時代から、広い地域の諸民族で行われているものでした。どうも、初代教会では、新しく神様を信じるようになった異邦人にも、この割礼を受けさせるかどうかが、議論になったみたいです。

 

というのも、ユダヤ人にとって割礼は、神の言葉に従う「神の民」であることを示す重要なもので、改宗者も割礼を受けなければ、「完全な改宗者」とは見なされませんでした。私たちが、洗礼を受けることなしに「クリスチャン」と認めるかどうか、という感覚に似ているかもしれません。割礼が神様から命じられたように、洗礼もイエス様から命じられたものです。命じられたことを守ろうとするのは自然です。

 

しかし、「イエス様が命じられた」「神様が命じられた」そのように聖書に書いてあるのに、それを守ろうとして、なぜか、怒られてしまうなら、誰だって理不尽に感じるでしょう。創世記17章12節には、確かに、神が与えた掟として、はっきりこう書かれていました。

 

「いつの時代でも、あなたたちの男子はすべて、直系の子孫はもちろんのこと、家で生まれた奴隷も、外国人から買い取った奴隷であなたの子孫でない者も皆、生まれてから八日目に割礼を受けなければならない」

 

つまり、もともと割礼の慣習がなかった外国の出身でも、ユダヤ人でなかった者でも、神の民に受け入れられ、神を信じる群れとなる者には、必ず実行するよう命じられていたものでした。いつの時代であっても、そうしなさいと……さらに、創世記17章14節にはこうあります。「包皮の部分を切り取らない無割礼の男がいたなら、その人は民の間から断たれる。わたしの契約を破ったからである」

 

ようするに、単に、たくさんある教えの一つではなく、「守らなければ、死刑に処せられる」という類の、重みのある教えでした。当時、神様を信じる人たちのアイデンティティーでもありました。それを守らないこと、守らせないことは、信仰的じゃない、信仰に反することだと、考える人も大勢いました。

 

だって、神様が言ったことじゃないですか? 神様がくれた掟じゃないですか? 神様を信じる人がそれを守らないって、どうなんですか? 神様の教えを守らずに、私たちは何によって、神の民だと言えるんですか? 信仰者だと、クリスチャンだと、言えるんですか?……似たような言葉を、私は度々、耳にします。

 

2015年には、アメリカで信仰的な理由から、同性カップルへの結婚証明書の発行を拒否した公務員がいました。同性同士で関係を持ってはならないと、聖書に書いてあるから……つい最近も、性的指向が、同性に向く人は、異性に向くよう回復される必要がある……という牧師の発言を耳にしました。同性愛は死に定められているほどの罪だからと。

 

完全に改宗した者、完全に回心した者、完全に信じた者……そのように認められるには神様から言われたことを、イエス様から教えられたことを、ちゃんと守っているところを見せなければならない。守りなさいと言われている掟を実行しなければならない。シンプルで、分かりやすく、誰もがたどり着く思考です。

 

でも、復活したイエス様の幻と出会ったパウロはこう言います。「律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います」……あなたを神の民、クリスチャンとするのは、掟を守ることによってではなく、信仰によってなんだと語ります。

 

どういうことでしょう? 神様が与えた掟を守ることと、信仰によって生きることは、何が違うんでしょう? そういえば、イエス様も、神様が与えた教えを守らずに、掟を破った様子を見せました。安息日に働いて、病人を癒し、異邦人と接触して、罪人と食卓を囲みました。完全でない、欠けている、教えを守れていない……そう思われている人たちに「あなたの信仰は立派だ」「あなたの信仰が、あなたを救った」と宣言しました。

 

かつて、神様が守るよう命じた掟と、違うことを行いました。それなのに、イエス様は自分が来たのは律法を廃止するためではなく、完成させるためだと言いました。割礼を行うことによってでなく、掟を実行することによってでなく、「この人に良くなってほしい」「この人に救われてほしい」という神様の意志を信じることで、一人一人に必要な言葉と業をもたらしました。

 

この人は傷つくけれど、あのとき神様はこう言ったから……この人は排除されるけど、聖書にはこう書いてあるから……それをひたすら実行することは、キリストから離れる行為です。イエス様自身が、神様の言葉と向き合った姿を無視するものです。ただ決められたことを守ることによってではなく、あなたの信じる神様は、今何を望んでいるか、向き合い続ける生き方が、信仰者の生き方です。

 

聖書に書かれていることを、どう受け取って、どう考えて、どう守ればいいか迷っている方は、安心してください。あなたは律法を完成させる、イエス様と出会っています。人々から非難され、罵られ、律法違反だと攻撃された、イエス様と出会っています。あなたのその苦しみをイエス様は知っています。

 

だから、どうぞ、進んでください。口を閉ざし、息をひそめ、黙り込んだあなたから、言葉が出てくるのを、待っているイエス様がいます。神様の意志を尋ねるあなたの声は、愛の実践をもたらす信仰につながります。義とされた者の希望が、実現しますように。

 

讃美歌

オンライン賛美歌7番「何も変わらないと(A)」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の裏面をご覧ください)

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」を歌いましょう。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」(イザヤ書6:8)

 

祝 福

願わくは主があなた(がた)を祝福し、あなた(がた)を守られるように。願わくは主が御顔をもってあなた(がた)を照らし/あなた(がた)を恵まれるように。願わくは主が御顔をあなたに向けて/あなたに平安を賜るように。(民数記6:24〜26より)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった18名、同時に視聴された11名、計29名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

華陽教会では、会衆のほとんどが3回目のワクチン接種を終了していることと、新型コロナウイルス対策分科会の方針を踏まえ、感染対策を徹底しつつ、教会に集まって礼拝を行っています。

 

初めての方も問い合わせなしで参加できますが、一週間以内に37.5度以上の発熱があった場合、配信を通して礼拝にご参加いただけるよう、ご協力よろしくお願いします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。