ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『これが救いの日?』 マルコによる福音書9:20〜27、コリントの信徒への手紙二6:1〜10

日曜礼拝 2022年7月31日


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案 内

華陽教会では、感染症の拡大を受け、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名に調整して、配信と並行して礼拝を行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。(サムエル記上17:47a)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌二編58番「いかなればきみはかく」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。新型コロナウイルス第7波によって、各地の医療提供体制が次々と逼迫しています。どうか今、患者と家族と医療従事者の上に、あなたの支えとお守りがありますように。苦しみが長く続かないように助けてください。

◆私たちの神様。熱中症や日射病にかかって体調を壊している人に、あなたの癒しがありますように。どうか今、一人一人に必要な休息と環境が与えられますように。特に、子どもたちや高齢者を守ってください。

◆私たちの神様。事故や災害だけでなく、詐欺や暴力によって苦しんできた人たちに、あなたの癒しがありますように。被害者から加害者に変えられた人たちや、犯罪へ加担させられた人たちに、あなたから回復がもたらされますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。マルコによる福音書9:20〜27、コリントの信徒への手紙二6:1〜10(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編18:26〜35(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の210番「来る朝ごとに」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

Sasin TipchaiによるPixabayからの画像

メッセージ

かつて、ものを言うことができず、耳も聞こえない少年がいました。その子は所かまわず地面に倒れては、口から泡を出し、歯ぎしりをして、体をこわばらせていました。周囲の人からは「霊に取りつかれている」と言われていました。父親は何とかして助けたいと、イエス様の弟子たちに頼み込み、この霊を追い出してもらおうとしました。

 

しかし、イエス様の弟子たちは、少年から霊を追い出すことができず、何がいけないのか必死に考え始めました。すると、イエス様に敵対していた律法学者がやって来て、なぜ少年から霊を追い出すことができないのか、あれやこれやと議論を始めました。言い争いは続き、少年は放置され、いつの間にか人だかりができていました。

 

そんな中、近くまで来たイエス様は、彼らの様子を見て、非難するように言いました。「なんと信仰のない時代なのか」「いつまで、わたしはあなたがたに我慢しなければならないのか」……さらに、「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」と言う父親にも言いました。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」

 

逆に言えば、「信じない者」「信仰のない時代」には、少年から霊を追い出すことができない、少年を救うことができないと言われているようでした。父親は、焦って必死に答えます。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」……こんな日に、誰が想像できたでしょう? 「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」と言える一日が来ようとは。

 

そう、イエス様からこう言われて、この後自分に、恵みがもたらされる、救いがもたらされる、と思う人は、まずいないだろうと思います。その場にいる自分たちを見て、「信仰のない時代」と言われ、自分自身も「信仰のないわたし」と言わざる得ない状況で、「信仰によって救われること」は、ほとんど期待できません。

 

少なくとも、心から信じている証拠、ちゃんと信仰があるしるしを見せなければ、助けてもらえないだろうと感じます。ところが、イエス様は「信仰のないわたしをお助けください」と願った父親に、恵みと救いをもたらします。「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」

 

不思議ですよね? 信仰のない者が救われ、信仰のない時代に恵みがもたらされる……その一場面とも言えるでしょう。実際には、父親がその場で「信じます」と叫んだから、今この瞬間に、「信仰のある者」「信仰のある時代」になったんだ! と主張する人もいるでしょう。でもそれって、「その場しのぎの信仰」と言われても仕方ないですよね?

 

だって、さっきまで「期待」に過ぎなかったことを、「できれば」と言っていたことを、「絶対に」と信じられるほど、簡単には切り替えられません。もちろん、救われるように心から願っているけれど、本当に心から祈ったとおりになるなんて、牧師でも信じ切れません。白状します。私だって、信仰のない時代を生きる、信仰のない人間です。

 

にもかかわらず、イエス様は、私たちのその場しのぎに聞こえるような「信じます」という叫びを受けとめ、手を取って起こしてくださいます。信仰のない者の「信じます」という応答を、信仰によって義とされた、神の国に受け入れられた、民の言葉として受けとめます。

 

かつて、コリントの信徒へパウロが宛てた手紙には、こんな言葉が書かれていました。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」……それは、キリスト教会が、ユダヤ人からも、ローマ帝国からも、迫害を受けていた時代、教会の内部でも、様々な分裂が起きていた時代に、書き送られた言葉です。

 

コリント教会は、お世辞にも、上手くいっているとは言い難い状況でした。信徒たちは幾つものグループに分かれ、不一致が絶えず、お互いに批判し合っていました。救いを求める人々は放置され、イエス様の弟子たちと律法学者のように、何がいけないか、どちらが正しいか、言い争う群れになっていました。

 

こんなとき、こんなところに、恵みが、救いが、もたらされると言われても、正直、ピンと来なかったでしょう。実際、救いとはほど遠い現状が、この後の言葉に続いています。苦難、欠乏、行き詰まり……鞭打ち、監禁、暴動、労苦……不眠、飢餓、辱め……どちらかというと、不信仰ゆえに救われない、恵まれてない人々の状況に思えます。

 

これが救いの日なんだろうか? これが恵みのときなんだろうか?……カルト問題によって、宗教全般に対する世間の目が厳しくなり、感染症の流行によって、教会に求められる対応も厳しさが増し、少子高齢化によって、全国のキリスト教会が継続の危機を迎えている……そんな中、神は言っておられる。

 

「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」……本当ですか? 本当にそうですか? 今この状況で、この私たちの願いを、本当に聞いてくださったんですか? 信仰のない時代、信仰のないわたしたちを、責め立てようとはなさっていませんか? 私たちの「信じます」という叫びを聞いてくれますか?

 

外側からも、内側からも、問題が押し寄せていた教会へ、かつて語られた使徒の言葉が私たちにも語られます。神は言っておられる。今や、恵みの時、今こそ、救いの日……あなたの叫びを、神は正面から受けとめる。信じ切れずに、揺れ動いてきたあなたの言葉を、神の子は「信じる者」の言葉として聞いている。

 

神様からいただいた恵みは、今ここにあります。引きつけを起こした少年が、手を取って起こしてもらえたように、迫害と分裂の危機に瀕した教会が、人々に受け入れられ、世界へ広がっていったように、神様は私たちの叫びを受けとめ、変化と回復をもたらします。言えなかったことが言えるように、できなかったことができるように導きます。

 

今や、恵みの時、今こそ、救いの日。

 

讃美歌

オンライン賛美歌7番「何も変わらないと(A)」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろから2ページ目をご覧ください)

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」を歌いましょう。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げよ。(『讃美歌21』93-6 ④ イザヤ書52:7より)

 

祝 福

主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった13名、同時に視聴された16名、計29名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

7月24日から8月7日まで、感染症対策のため、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名の計10〜15名で集まる『調整型小規模礼拝』へ切り替えています。教会員の方は、礼拝出席希望表や牧師とのメール、電話で、出席する日を調整していきます。

 

新来者の方も、毎週一家族分、出席できるように枠を用意しています。始めて教会に来る方は、日曜日は問い合わせなしで参加できるので、ぜひお越しください。一回目の参加以降は、他の教会員と同様、ご希望を聞きながら、出席する日を調整させていただきます。

 

また、教会学校こども礼拝と聖書研究祈祷会は15名以内になるよう、始めて来る方のみ問い合わせをいただく形で調整して、集まれるようにしています。また日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。