ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『すべてをご存知の主』 マタイによる福音書6:5〜8

日曜礼拝 2022年8月21日


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案 内

華陽教会では、感染症の拡大を受け、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名に調整して、配信と並行して礼拝を行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

わたしたちの助けは/天地を造られた主の御名にある。(詩編124:8)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌二編58番「いかなればきみはかく」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り(例)

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。夏休みに入ったものの、新型コロナウイルスの第7波により、予定していたキャンプができなくなった子どもたちに、あなたの慰めがありますように。どうか今、それぞれに新しい喜びが生まれるように、私たち大人を用いてください。

◆私たちの神様。自分の意志で決められない、人種、民族、出身、性別、障がいなどを理由に、差別や偏見を受けている人たちに、あなたの慈しみがありますように。どうか今、一人一人に正しい理解がもたらされ、みんなが生きやすい世の中になりますように。

◆私たちの神様。今日は、隠退教師の鈴木重正先生がメッセージをしてくださいます。どうか今、重正先生に聖霊が豊かに注がれて、私たちもあなたの言葉を豊かに聞くことができますように導いてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書6:5〜8(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編127:1〜5(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の549番「わたしたちを造られた神よ」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

PIROによるPixabayからの画像

メッセージ

(*当日は、華陽教会隠退教師の鈴木重正先生がメッセージを行います。原稿はありませんが、華陽教会YouTubeから視聴できます。ブログ記事では、動画が見られない人のために、ブログ管理者の柳本のショートメッセージを載せています)

 

皆さんがいつ、どこで、何を祈っているのか、私には分かりません。毎日欠かさず、祈りをささげている人もいれば、日曜日以外、ほとんど祈らない人もいるかもしれません。心の中では祈るけど、口に出して祈ったことがない人もいるでしょう。人前で祈ることは避けてきた人もいるでしょう。理由は色々あります。

 

自分が祈っているところを家族や知り合いに見られたら恥ずかしい。神様に祈っていることを馬鹿にされないか心配になる。もしくは、祈りが拙いのを見られたくない。たどたどしく、言葉がまとまっていない願いや感謝を、人に聞かせたくはない。あるいは、ただ単に、祈る習慣がそこまでない、祈ろうと思うことが、そんなにない人もいるでしょう。

 

おそらく、毎日祈る習慣がある人でも、人前で、声に出して神様へ祈ることは、できれば避けたい人が多いのではないでしょうか? 牧師をしている私だって、そんなに得意ではありません。その場で祈るよう急に言われて、頭が真っ白になることもあります。「この人、即席で祈るのに慣れてないな」と思われないか、心配になったりもします。

 

だからこそ、聖書に出てくるような「人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる」人なんて、今時いるんだろうか? と思わされます。だってそうでしょう? 柳ヶ瀬通りの角に立って、突然祈り始めたら、信仰深い人というより、不審者に見られてしまいます。善行をしている人というより、迷惑をかけそうな人に見えてきます。

 

教会の中でも、みんなの前で、自分から祈ろうとする人は、なかなかいません。礼拝や集会のお祈りを牧師が誰かに頼んでも、ことごとく断られてしまうという光景も、全国の教会で、そんなに珍しくありません。大半の人は目立ちたくないし、人前で祈ることに自信がありません。変な祈りや、拙い祈りをする姿が、さらされたくないと思っています。

 

どうやら、イエス様が指摘するような「偽善者」に、私たちは当てはまらずに済みそうです。「あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」と言われるまでもなく、私たちは人に見られないところで祈ろうとします。あまり変に見られない、好奇の目にさらされないところで祈ります。

 

ただそれは、結局のところ、周りの人に、まともな自分を見てもらいたいという動機に基づく姿勢です。「偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる」……古代イスラエル社会では、それが人から「良く見られる」ための手段でした。信仰深く、正しい人に見られるための方法でした。

 

現在は、人前で声に出して祈ったり、急に手を合わせたり、目立つようなことをしないことが、人から「良く見られる」ための手段です。教会でも、変な祈りをしてしまったり、拙い祈りをしてしまう自分を見せない方が無難です。誰かが自分の祈りを聞いて、「信仰が弱い」とか「そんな祈りじゃ聞かれない」とか、言ってくるかもしれません。

 

ところが、イエス様は言うんです。「隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」と……神様は、あなたの祈りを聞いて、あなたを品定めしたり、誰かと比較したりする方ではありません。どんな祈り方であっても、あなたの願うもの、あなたに必要なものをご存知です。

 

言葉数が多くなくても、拡張高い祈りでなくても、シンプルで短い祈りでも、あなたの願いを神様はちゃんと受けとめます。あなたが口に出せなかった、形にならない願いさえ、期待さえしない未来さえ、神様は全てご存知で、あなたの祈りから受けとめます。あなたがささげた以上のことをその御心に受けとめます。

 

別に、みんなのいる前で、大声を出して祈る必要はありません。殊更に祈っていることをアピールする必要はありません。言葉数を多くして、長く祈る必要はありません。まとまらない、拙い言葉でもかまいません。何もかも網羅した祈りでなくてかまいません。神様は、あなたの願いを全て知ってくださいます。その祈りを軽んじることはありません。

 

時には、祈れないことも出てきます。全く祈る気持ちになれない、嘆きや怒りばかりに囚われることも出てきます。ですが、神様に向ける嘆きや怒りも、神様が受けとめるとき、祈りになります。たくさんの人が神様にぶつけてきた嘆きが、詩編や哀歌となって、聖書に収められました。神様に向かって嘆くことも、怒ることも、立派な祈りです。

 

時には、ある人のために祈れないことも出てきます。自分を傷つけ、身内を蔑ろにした相手が困っているとき、とんでもない過ちを犯している政治家が、問題を起こしているとき、私自身も、その人のために祈ることができません。腹が立ち、苦しくなり、優しい願いを向けられません。和解を願うことさえ難しくなります。

 

しかし、神様は全てご存知です。あなたに必要なものをご存知です。あなたが祈れないことも、神様は一緒に受けとめてくださいます。教会は、私が祈れないことを誰かが祈って、誰かが祈れないことを私が祈って、互いにとりなし合う場所です。あることが祈れないからと言って、あなたの祈りを無碍にする方はおられません。

 

全てをご存知の主がいます。願う前から、訴える前から、あなたのことを知っておられる方がいます。あなたが隠れたところにいるときも、人から見てもらえないときも、怖くて、辛くて、分からなくて、誰かに言えないあなたの願いを聞いてくださる方がいます。どうか、その方を信頼して、あなたの心をささげてください。

 

あなたの手が、神様の愛と平和で満たされますように。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌二編136番「われ聞けりかなたには」を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろから2ページ目をご覧ください)

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」を3回繰り返して歌います。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった11名、同時に視聴された13名、計24名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

華陽教会では、感染症対策のため、8月末まで、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名の計10〜15名で集まる『調整型小規模礼拝』を行っています。教会員の方は礼拝出席希望表や牧師とのメール、電話で、出席する日を調整していきます。

 

新来者の方も、毎週一家族分、出席できるように枠を用意しています。始めて教会に来る方は、日曜日は問い合わせなしで参加できるので、ぜひお越しください。一回目の参加以降は、他の教会員と同様、ご希望を聞きながら、出席する日を調整させていただきます。

 

また日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。