ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『神の正体が分からない』 詩編16:7〜11、詩編102:18〜23

聖書研究祈祷会 2021年7月28日


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案 内

華陽教会では、感染症拡大を防ぐため、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会も配信しながら行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の223番「造られたものは」の1、5、7節を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆父・子・聖霊なる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を探している人を導いてください。

◆私たちの神様。先日の日曜日は、岐阜ダルクから2人の証人を通して、新しい気づきと力を与えられたことを感謝致します。どうか今、薬物依存、性依存、アルコール依存など様々な症状と闘っている人たちに、あなたの癒しと回復がありますように。

◆私たちの神様。来週の日曜日は、感染症対策を徹底しつつ、慎重に聖餐式を再開しようとしています。どうか今、キリストの十字架と復活を思い起こし、目に見える証と応答を安全に行うことができるよう、私たち一人一人を導いてください。

◆私たちの神様。会堂に集まる礼拝を再開してからも、病気や衰えのために、なかなか集まれない人もいます。どうか今、来ること、集まること、来てもらうことができない人にも、あなたと私たちの結びつきが豊かにされますよう導いてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。詩編16:7〜11(新共同訳より抜粋)

わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし/わたしの心を夜ごと諭してくださいます。わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし/わたしは揺らぐことがありません。わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく/あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず/命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い/右の御手から永遠の喜びをいただきます。

もう一箇所、詩編102:18〜23(新共同訳より抜粋)

主はすべてを喪失した者の祈りを顧み/その祈りを侮られませんでした。後の世代のために/このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」主はその聖所、高い天から見渡し/大空から地上に目を注ぎ/捕われ人の呻きに耳を傾け/死に定められていた人々を/解き放ってくださいました。シオンで主の御名を唱え/エルサレムで主を賛美するために/諸国の民はひとつに集められ/主に仕えるために/すべての王国は集められます。

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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succoによるPixabayからの画像

メッセージ

 

今月の聖書研究祈祷会は「三位一体」と「キリスト論」をテーマに進めてきました。しかし、神の正体、キリストの正体について告白するこれらの考えは、真理を得ようとして普遍的な答えを得ようとして、キリスト教を学び始めた人にとって、大きなつまずきとなるかもしれません。

 

なぜなら、三位一体もキリスト論も、旧約聖書と新約聖書を読んだ人が、神に「こうあってほしい」と思って造り出した「辻褄合わせ」に見えるところがあるからです。実際、天地を創造した支配者である父なる神、真の神であり真の人である子なる神、一人一人に働きかける聖霊なる神……これらの説明は「あつらえたもの」という印象が拭えません。

 

特に、神が私たちへ「人格的に」接する説明、私たちのために怒り、悲しみ、後悔し、痛みや苦しみを共有して、父や、母や、友のように救い出す説明は、ある意味、私たちの願いの反映に聞こえます。神様が人のように私を理解し、人のように私を慰め、人のように私へ味方してくれる。そうだったらいいな……が描き出されたものではないか?

 

こういう難しい問いに、私は度々付き合わされています。神様って、人格的な方なんですか? 怒ったり、泣いたり、苦しむような方なんですか? 人間のように、私と関係を築いてくれるものなんですか? 人形に心があるみたいな、雲が呼びかけに答えるみたいな、そんな都合の良いことあるんですか?

 

キリスト教の神様を、ギリシャ神話や北欧神話に出てくる神々のように「人格神」として信じることに抵抗がある人は、おそらく神に対して、人間の願望やイメージを反映させていいのだろうか? という「恐れ」があるんだと思います。そもそも、私たちは普段から、自分自身の人格にも、周りの人格にも悩まされています。

 

怒鳴ったり、嘆いたり、呻いたり、笑ったり……そんな悩みの種である「人格」を、神も持っているんだと言われたら、都合が良いどころか、恐ろしくなるかもしれません。私の悩みを増やすような、苦しみや葛藤を増やすような、「関係を作る神」なんて、ありがたくないと思ってしまうかもしれません。

 

神は私たちと違う、私たちみたいに感情を持ち、態度を変えたり、姿勢を変えたり、行動を変えたりする方じゃない。何事にも動じず、何事にも干渉しない。あるいは、一定のレベルで、決まった形でしか介入しない。その方がリアルかもしれません。実は、人間と関係を築く神って、理解し難いし、厄介ですから。

 

三位一体も、キリスト論も、神と人との関係に、焦点を合わせて考えられている以上、神は人格的な存在である……という前提が、強く根を下ろしています。逆に言えば、神の人格を否定すれば、神は人と関係を築かない存在になってしまう。だからこそ、ここに疑問を持たれると、私もうろたえてしまうんです。

 

人と関係しない神は、人と相対しても感情を揺さぶらない神は、悪を裁くことも、私たちを救うこともないからです。人格を持たないということは、どんな状況においても、干渉しないし、介入しないし、流れを変えないということです。それはもう「神」というよりは、何らかの原理や概念で、信仰の対象にはならないでしょう。

 

神が怒ったり悲しんだり、人を助けたり約束したり、人格をもった存在であることは、聖書のあちこちに出てきます。でも、現在を生きる私たちは、そこまで直接的に、神との関係を感じることはありません。神が私にはっきり語ったり、私の手足を引っ張ったり、私へ罰を与えたり、見える形で、聞こえる形で、直接関係することはそうそうない。

 

だいたいが「今のって神様のおかげかな?」「神様が何かしたのかな?」と、ぼんやり、薄く感じるくらい。むしろ、人間の意志や行動なんて、神に何の影響もない。神を悲しませることも喜ばせることもない。ただ、全てを生み出し、全てを動かす存在が、そこにあるだけ……という説明の方が、納得しやすいかもしれません。真理と呼びやすいかもしれません。でもそれは、私たちから救いを奪います。救いは関係性によって生まれるから。

 

「主はわたしの思いを励まし/わたしの心を夜ごと諭してくださいます」……最初に読んだ詩編の言葉は、まさに、神様が私たちと関係を築く、人格的な存在であることを語っていました。「わたしは絶えず主に相対しています」……これは、単なる願望の反映なんでしょうか? それとも、先人たちが何とか伝えようとした、非現実的な、とんでもない出来事の告白なんでしょうか?

 

「主はすべてを喪失した者の祈りを顧み/その祈りを侮られませんでした」……これは、人間の神に対する一方的な思いなんでしょうか? それとも、実感を伴った先人たちの大胆な告白なんでしょうか?

 

そもそも、関係を築くのに不可欠な「人格」を、神はなぜ、私たちに与えたんでしょう? それは詩編102編19節で、こう証言されています。「主を賛美するために民は創造された」……神は、自分に呼びかけさせるため、自分と関係を築くために、私たちを創造されました。人格とは、神から与えられたもので、神から生まれてきたものです。

 

私たちは最初から、神と関係を築くために、怒り、嘆き、喜び、悲しんで声をあげる、「人格」を与えられました。神の正体は、単なる世界の原理や概念ではなく、人と関係を築く存在なんです。いえ、むしろ私たちの方が、神と関係を築くために一人一人生み出された、唯一無二の存在なんです。

 

神様は、自分と関係するように造った一人一人を、自分から離れていくまま、放置する方ではありません。自分との関係を取り戻し、回復し、戻ってきて救われるように、見えない神、見える神、感じる神として働きかけ、介入してきた方なんです。

 

今、あなたと、関係を築きにくる神は、ちょっと受けとめられないかもしれません。愚かな願望を反映したようにも、恐ろしい厄介ごとが迫ってくるようにも感じられるかもしれません。でも、どうか、あなたがあなたと再び出会う神様に、面と向かって向き合うことができますように。

 

聖霊なる神によって、子なる神が想起され、子なる神によって、父なる神が示されて、あなたを一人にしない、あなたを孤立させない方と、出会うことができますように。「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように」(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(奈良県御所市の御所教会)のために、日雇い労働者のために、様々な障がいがある人のために、性的少数者のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆奈良県御所市の御所教会のために祈ります。神社やお寺が共にある地域で、誠実にあなたを証しし、あなたを伝えることができますように。青少年があなたと出会い、あなたの恵みを共に分かち合うことができますように。

◆日雇い労働者のために祈ります。コロナ禍でさらに孤立し、オリンピックで居場所を追われ、仕事やケアが受けられない人たちに、あなたの憐れみがありますように。健全な環境と生活の仕組みが整えられますように。

◆様々な障がいがある人のために祈ります。心の病や発達障害、身体障害がある中で、取り巻く環境や関係性に困難が生じたとき、あなたの助けがありますように。健全な頼り先と、適度に自立した生き方が得られますように。

◆性的少数者のために祈ります。性的指向や性自認が多数派と異なる方々や、体の性の様々な発達によって誤解を受けやすい方々に、あなたの慈しみがありますように。正しい知識と正しい理解によって、みんなが生きやすい世の中になりますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌16番「苦難のはざまから」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった3名、同時に視聴された1名、計4名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信は、ここで一旦終了しますが、時間のある方は、飛沫防止パーテーションのついた2階集会室で、少しの間、質問や感想、祈ってほしいことを共有できる時間を持ちたいと思います。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。