ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『仲間にできない』 マタイによる福音書10:1〜4、使徒言行録9:26〜31

日曜礼拝 2021年8月1日


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案 内

華陽教会では、感染症対策のため、礼拝堂、ロビー、3階集会室、2階配信部屋に分かれて「三密を避けた会衆礼拝」を行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)

 

招 詞

主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。地の果てまで、戦いを断ち/弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。(詩編46:9〜10)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌87-B「めぐみのひかりは」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美をささげましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、配信を通して一緒に参加している人も、祝福してください。

◆私たちの神様。日本における、在日外国人や滞日外国人の方々を覚えて祈ります。どうか今、入管施設で人権を無視した扱いを受けている人たちや、不当な扱いを受けている技能実習生、差別を受けている在日朝鮮の方々を守り、生きやすい世の中にしてください。

◆私たちの神様。アジアにおける、迫害や弾圧の被害者を覚えて祈ります。どうか今、クーデターが起きたミャンマーの人々、迫害を受けているウイグル人、自治や人権を脅かされている台湾や香港の人々を守り、明るい未来をもたらしてください。

◆私たちの神様。貧困や飢餓に苦しむ人々、紛争に巻き込まれた人々を覚えて祈ります。どうか今、気候変動による不作や紛争、感染症やバッタの大量発生によって、生命を脅かされている人に、必要な支援と自立の道を与えてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書10:1〜4、使徒言行録9:26〜31(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編71:14〜19(新共同訳交読詩編より抜粋)

交読詩編付きの『讃美歌21』をお持ちの方は、後ろの方に載っています。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(お立ちください)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の433番「あるがままわれを」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

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Sarah RichterによるPixabayからの画像

メッセージ

本日は、礼拝の中で久しぶりに聖餐式を行います。教会に集まった人たちが、キリストの十字架と復活を思い起こし、パンとぶどう液を分かち合って、その信仰を新たにされる主の食卓……新型コロナの流行によって、飲食による感染リスクを避けるため、半年以上「食卓を囲めない日の祈り」を続けてきましたが、ようやく今日で再開します。

 

同じ空間で、みんながパンを分かち合う、みんなが杯を分かち合う。それって、まさに平和の象徴ですよね? 大きな困難が去ったとき、危機から解放されたとき、私たちは宴を開きます。誰かと誰かが和解するとき、争いをやめて仲良くなるとき、私たちは共にテーブルに着いて食事をします。仲間が新しくされ、新たな生活を始めるために。

 

日本でも「同じ釜の飯を食う」という諺があるくらい、仲間になること、仲間に戻ることは、一緒に食事をすることと結びついています。たとえば、学校での平和は、昼休みに誰とご飯を食べられるかが強く関係しています。家庭での平和は、食卓での雰囲気が大きく影響してきます。

 

食事中、安心できない状況は、私たちにとって平和ではありません。みんな、こう願うはずです。好きな人と、同じテーブルに着けますように。嫌いな人と、離れて食事ができますように。安心して食べ、気持ちよく飲むことができるように、気の置けない仲間と座らせてください。

 

それは、日曜日も例外ではないでしょう。岐阜県の医療提供体制が逼迫していた期間、在宅礼拝を余儀なくされた人たちは、家の中で、家族の中で、あるいは一人で礼拝を守ることに、苦痛を感じていたかもしれません。だって、教会に行けば、同じ神様を信じる仲間がいるけど、ここにはいない。自分だけポツンとしてしまう。

 

音量を気にしながら礼拝を聞き、賛美歌を聞かれることにためらいを感じ、祈る自分を見られることにストレスを覚える。聖餐式ができない間、神の祝福を分かち合う愛餐式をやろうにも、今まで教会に誘えなかった同居人と、パンと水を分かち合うなんて、自分にはちょっと荷が重い。家族を、友人を、食卓に呼べない、仲間にできない現実が、重くのしかかってきます。

 

テーブルを囲む相手がいないこと、囲んだ相手とギクシャクすることは、温かい食事を台無しにします。そこにあるのは、喜びではなく孤独だったり、戸惑いだったり、恐れだったりします。だからこそ、多くの人は、安心して食べられる場所、安心して飲める仲間を求めます。早く、優しい人たちと集まって、一緒に飲み食いできるように。

 

会衆の6割が2回のワクチン接種を終えて、パンとぶどう液の配り方も新しくなって、ようやく再開しようとしている聖餐式も、そんな期待の先にあるかもしれません。今日こそ、私の仲間、私の食卓が回復されると、喜んでいるかもしれません。でも、ここに来て気がつくでしょう。まだ離れている人がいることに、会いたくない人がいることに。

 

聖餐式の原型である「主の食卓」「最後の晩餐」は、イエス様が十字架につけられて死ぬ前に、弟子たちと共にした最後の食事です。その食事が、決して平和的でなかったことは聖書を読めばすぐ分かります。この食卓で、イエス様は弟子たちの一人が裏切り、他の人も自分を見捨てて逃げてしまうと言ったからです。

 

犯人探しと言い訳が始まります。「イエス様、誰が裏切ろうとしているんですか?」「まさか私のことじゃないですよね?」……暖かい雰囲気とは言い難い食事です。最初に行われた聖餐式は、戸惑いと恐怖に満ちていました。危機は去っていませんでした。一致も、連帯もできません。この食卓には裏切り者が潜んでいます。仲間を捨てる者が入っています。それは、イエス様を囲んだ全員でした。

 

私たちは、食事の席に裏切り者がいることを嫌います。仲間を捨てるような者が、同じテーブルに着くことを嫌悪します。口には出さないけれど、教会にも、隣に座りたくない相手、聖餐を受けてほしくない相手がいるでしょう。何で、あの人と同じ席で、パンとぶどう液を受けなければならないのか? 何で、私と同じものを、あの人が分けてもらえるのか? ここで一緒にやっていくなんて、仲間として歩むなんて、正直嫌だ。

 

その気持ちは、珍しいものでも、不自然なものでもありません。誰もが湧いてくる自然な感情です。しかし、思い出してほしいのは、あなたも、私も、テーブルに着けないはずの裏切り者、仲間を見捨てる者の一人であったことです。今、私たちがここにいるのは、仲間にできないはずのあなたを選ばれた、呼び戻した、イエス様がいるからです。

 

マタイによる福音書10章には、イエス様が選んだ12人の弟子たちが記されています。そこには、ユダヤ人にとって市民の裏切り者であった徴税人マタイや、過激な政治運動に身を投じた熱心党のシモンが入っていました。さらには、イエスを裏切ったイスカリオテのユダも入っています。

 

この人たちを選ぶことは、仲間内で争いが絶えないことを予想させます。「何であいつを私と同じ仲間に選ぶんですか?」「何でこいつの家で一緒に食事をするんですか?」そんな不満を感じながら、弟子たちがイエス様について行ったことは想像に難くありません。なにせ、彼らは度々、誰が一番偉いかで揉め、何回許せばいいかで頭を悩ませましたから。

 

教会にいる間、皆さんも同じことを感じたかもしれません。「あの人は仲間にふさわしくない」と思う人が、あなたの隣に、前に、後ろにいるかもしれません。あるいは、自分自身が誰かに受け入れられてないことを、ヒシヒシと感じているかもしれません。しかし、あなたも、その人も、イエス様に、呼びかけられ、選ばれた一人なんです。誰かを癒し、励まし、気づきを与えるために遣わされていく仲間なんです。

 

後に、宣教者パウロとして、世界中に教会を建てていくサウロも、当初は、イエス様の敵でした。同じユダヤ人のキリスト者を捕えて殺す人間でした。ところが、イエス様は彼を選んで、新たな弟子の仲間にし、宣教者として遣わします。普通、それは許されません。彼によって捕まり、殺された家族や友人を持つ仲間がいるからです。

 

同じ釜の飯を食うなんてとんでもない! 彼を仲間に入れることは、恨みがある者、信じられない者を戸惑わせ、疑わせ、争いを引き起こすでしょう。実際、弟子の仲間に加わろうとしたパウロを、最初はみんな恐れました。ギリシャ語を話す一部のユダヤ人は、彼を殺そうと狙いました。さっそく平和が乱されます。

 

もしかすると、自分が教会に来たことで、みんなの平和を乱してしまったと感じる人がいるかもしれません。自分は選ばれざる人間だった、ここに居てはならないと感じる人がいるかもしれません。しかし、あの日、イエス様が選んだのは、「わたしについてきなさい」と呼びかけたのは、あなたです。あの日、イエス様がパンと杯を渡したのはあなたです。

 

この方は時として、平和ではなく剣をもたらすために来ます。この人を仲間に入れたら一悶着あるに決まっている……という人を連れてきます。あそこで食事をするなんてひんしゅくを買うに決まっている……という家へ訪れます。平和を乱さないために、普通は仲間にできない人たちを仲間にします。

 

そう、この方のもたらす平和は、誰かを無視し、誰かを追い出し、誰かを犠牲にし続ける平和じゃないんです。厄介な議論や批判が起こらないよう、そっと蓋をしておく平和じゃないんです。あなたの抱える痛みを知らせ、あなたに必要な気づきを与え、互いに必要な変化をもたらす、誰もが諦めてきた平和なんです。今も、その道は続いています。

 

復活したキリストは、再びパンと杯を手に取って、弟子たちに渡しました。仲間を捨てた人間を、もう一度仲間にするために。恐れと絶望を、喜びと希望に変えるために。私たちも、パンと杯を受け取って、平和の使者となりましょう。あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌8番「何も変わらないと(B)」(©️柳本和良)を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

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使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

本日は( )人の方が初めて来てくださいました。ようこそいらっしゃいました。配信後、ご了承いただいた方のみ紹介させていただきます。ぜひ、これからも神様の平和が皆さんと共にありますように。

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

 

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
 

 

聖 餐*1

ただいまより、聖餐式を始めます。本日は感染リスクを避けるため、一人一人ケースに入れたパンとぶどう液を一緒に配らせていただきます。

 

讃美歌

最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、福音書は伝えています。主は、十字架につけられる夜、ご自分を裏切り、見捨てる者たちのためにパンを取り、彼らに与えて言われました。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。」「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」

 

主は、辱める者、傷つける者、信じない者の手を掴み、一人一人の罪が赦されるよう、ご自分の命を献げられました。信仰が揺らいでいる者も、一度は捨ててしまった者も、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯の入ったケースを配る)

 

(キリストの体のしるし)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を献げられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

(パンを食べるとき)

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(キリストの血潮のしるし)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

(杯を仰ぐとき)

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌81番の2節、3節を共に歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。持ち合わせのない方は、受付でもらった献金袋をそのままお入れください。配信を見ている教会員の方は、また後日、来られたときにおささげください。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である神様。今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光が現されますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌65-1番「今そなえる」を歌いましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、頌栄25番「父・子・聖霊に」を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美をささげましょう。(お立ちください)

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

派 遣

今、行きなさい。わたしはあなたを遣わす。(出エジプト記3:10より)

祝 福

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の日曜礼拝は、教会に集まった21名、同時に視聴された7名、計28名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

華陽教会では、2回のワクチン接種を終えた方が6割を超えたので、今週から短縮していた礼拝を元に戻し、聖餐式も慎重に再開しています。引き続き、感染症対策のご協力をどうぞよろしくお願いします。また日曜日まで、一人一人に神様の平和がありますように。

*1:以下の聖餐式の式文は、日本基督教団信仰職制委員会『日本基督教団 式文(試用版)主日礼拝式・結婚式・葬儀諸式』日本キリスト教団出版局、2006、2010年の「主日礼拝式A」34〜49頁を参照し、柳本伸良が大幅に手を加えた式文です。