ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『主従関係を強いられる?』コロサイの信徒への手紙3:18〜4:1

日曜礼拝 2025年8月31日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。(マタイによる福音書12:50)

 

讃美歌

旧讃美歌519番「わが君イェスよ」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆愛と平和の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。この一週間も、戦争や紛争によって、家を奪われ、身内を亡くし、命を脅かされてきた人たちがいます。どうか今、一刻も早く、争いが停まり、傷が癒やされ、和平を結ぶことができるように、国と国、民と民との間をとりなしてください。

◆私たちの神様。この一週間も、差別や偏見によって、仕事を奪われ、居場所を亡くし、傷つけられてきた人たちがいます。どうか今、一刻も早く、誤った認識が取り除かれ、正しい理解がもたらされ、生きやすい社会が作られるように、一人一人を導いてください。

◆私たちの神様。この一週間も、事故や災害によって、自由を奪われ、生活が壊され、希望を失ってきた人たちがいます。どうか今、一刻も早く、復旧が進み、復興が始まり、新しい日常を得られるように、被災したみんなを励ましてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。コロサイの信徒への手紙3:18〜4:1の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書372頁です。

同じく、コロサイの信徒への手紙3:18〜4:1の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書364頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながら、お聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編128:1〜6、新共同訳交読詩編の 頁です。

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の161番「見よ、主の家族が」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

WinskerによるPixabayからの画像

メッセージ

 妻に向かって夫に従うことを、子どもに向かって両親に従うことを、奴隷に向かって主人に従うことを求め、それこそが「主(神)に喜ばれることである」というメッセージ……聖書の言葉に対し、本当にそうだろうか? と思わざるを得ない現実が、私たちの間に広がっています。

 パートナーからDVやデートDVを受けている女性たち、親や親戚から虐待を受けている子どもたち、オーナーから奴隷のごとく扱われている店員たち……そういう人たちがいる中で、夫に、両親に、主人に従い続けることこそが、「主を信じる者にふさわしく」「主に喜ばれることである」と言っていいのか、ためらう人は多いと思います。

 もちろん、聖書の中に出てくるのは、妻や子どもや奴隷に対する要求だけではありません。夫に対しては、妻を愛し、つらく当たらないように……父親に対しては、子どもをいらだたせないように……主人に対しては、奴隷を正しく、公平に扱うように、求められていました。これらが互いに守られれば、平穏な生活を送ることができるのかもしれません。

 しかし、「どんなことについても」「何事につけ」両親に、主人に従いなさい……という言葉が、私たちをつまずかせます。「学校を休んで働きなさい」「薬を飲むのをやめなさい」「外の人と仲良くしてはなりません」「こちらが満足するまで相手をしなさい」……ハラスメントや虐待に当たる、暴力的な指示を受けても、従うことが正しいのか?

 カルト問題の一環として、いわゆる「宗教ニ世」問題の相談を受けていると、キリスト教会の一部や、キリスト教系の新宗教で育った、二世、三世の人からも「自分はどこまで親に従わなければならないのか?」と聞かれることがしばしばあります。彼らの中には、「両親に背くことは、神に背くことと同じである」と聞かされて、ずっと逆らえなかった人たちもいます。

 厄介なことに、先ほど読んだ、コロサイの信徒への手紙でも、「何をするにも、人に対してではなく、主(神)に対してするように、心から行いなさい」と書かれていました。夫に、両親に、主人に対しても、神に対するように、心から従わなければならない……もし、従わなければ、神に従わないこと、神に背くことと、同じ過ちを犯すことになる!

 そのような脅迫的なメッセージにも聞こえてきます。本来、夫も、妻も、両親も、子どもも、主人も、奴隷たちも、神の下に皆平等で、同じ人間として、対等な関係を築くことが求められるように思いますが、この聖句だけ切り取ると、まるで、人間同士の主従関係を強いられているみたいですよね?

 ですが、「主に従うように」「神に従うように」生きるというのは、言われたことに疑問を持たず、命じられるまま行動しなさい……という生き方かというと、そういうわけではありません。旧約聖書には、神と共に歩んだ、神に従って歩んだ人物が何人か出てきますが、彼らは決して、神様の言うことに、そのまま従ったわけではありませんでした。

 「信仰の父」と呼ばれるアブラハムは、神様が甥の住んでいるソドムの町を滅ぼそうとされたとき、神様に向かって次のように訴えました。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか」「正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずございません」

 さらに、「全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか!」と言って食い下がり、ソドムの町に正しい者が10人しか居なくても、その10人のために町を滅ぼさないよう、神様に約束してもらいました。

 これは、一見すると、主に「逆らって」「反対して」「口答えした」行為のように受けとめられ、その場で滅ぼされてもおかしくないように思えます。しかし、神様はその後も、アブラハムを「自分に従っている者」として扱い、結局、正しい者が10人に届かなかったソドムの町で、アブラハムの甥の家族が滅びないよう、手助けをします。

 奴隷だったイスラエル人をエジプトの国から脱出させた指導者モーセも、イスラエルの民が神に逆らって、本当の神ではない金の子牛の像を作って拝んだとき、自分以外を滅ぼそうとする神様へ、次のように訴えました。「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか」「どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください」

 これも、神の言うことをそのまま受け入れず、「それは違うじゃありませんか」「どうかやめてください」と抵抗する、主に「逆らった」行動と捉えられても、おかしくないことです。しかし、神様は、モーセの言葉を聞いてからも、彼を「自分に従っている者」として扱い、彼の言葉を聞き入れて、自分に逆らったイスラエル人を滅ぼし尽くすのを思い直しました。

 神様が「わたしに従いなさい」と求めるとき、それは「あなたの意思を無くして、言われるがまま行動しなさい」と求められているのではありません。むしろ「抵抗したら、疑問を持ったら、理不尽に裁かれてしまうのではないか?」と恐れずに、慈しみ深い神様のことを信頼して、違うと思ったこと、やめてほしいこと、疑問を持ったことを訴え出るよう、正面から向き合う関係を望まれます。

 実は、「主に従うように」「神に従うように」夫や両親や主人に従うというのも、間違っていると思ったことも無視してそのまま従うように……ということではないんです。自分の意思を無くして言われるがまま行動しなさい……ということではないんです。むしろ、神と人との主従関係は、互いの人格が尊重される、互いの言葉に耳を傾ける関係に他なりません。神に従う生き方は、理不尽な支配関係とイコールにして良いものではないんです。

 実際、妻が夫に、子どもが親に、奴隷が主人に服従するよう求めてくる、コロサイの信徒への手紙の記述は、その当時の保守的な価値観を保持するように見えますが、これらの勧めが、大人の自由人である男性より先に、女性や子どもや奴隷に対して呼びかけられることは、普通ではありませんでした。

 ただ、受動的に、言うことを聞かせる存在としてではなく、主体的に、自発的に、夫や両親や主人と関係を築く存在として、女性や子どもや奴隷の人たちが呼びかけられている……これは、当時の価値観で、初めて手紙を受け取った人たちにとって、衝撃的なことだっただろうと思います。

 加えて、手紙の著者は、奴隷の主人に対しても、「あなたがたにも主人が天におられるのです」と呼びかけます。「私に従うことは、神に従うことだ」「私に背くことは、神に背くことだ」と都合良く主張する者に、「あなた自身も、主である神に、主であるキリストに、仕える者であることを忘れてはならない」「あなたも神の僕の一人であって、自分自身が神であるかのように振る舞ってはならない」と注意深く刺してくるんです。

 そして、もう一点、見過ごしてはならないのは、これらの呼びかけには、信仰者の家族関係が崩れるような、破壊的な行動に至らないよう、注意する狙いもあったことです。コロサイの信徒への手紙には、「偽りの教え」に対する警告が、ところどころに出てきます。どうやら、この地方に入植していたユダヤ人市民の影響で、過度に儀式化した礼拝や、過度に神秘的な体験を求めた天使礼拝などが広がっていたようでした。

 おそらく、神の幻や天使の幻が見えるように、断食をさせたり、徹夜をさせたり、長時間の儀礼に参加させるところがあったんでしょう。特定の食べ物について「手をつけるな。味わうな。触れるな。」と厳しく制限し、神秘的な体験を得るための、様々な戒律を守らせる人たちがいたんでしょう。そして、そのような特別な体験、特殊なコミュニティーに、憧れてしまう人もいたんだと思います。

 現代でも、自分だけでなく、パートナーや子どもにまで、特定の製品以外を食べてはいけないと言い聞かせ、家事や育児も蔑ろにして、「健康のため」「天命のため」「魂の波動を上げるため」などと、一般常識では、かえって生活が壊れていくように思われる習慣を一方的に実行してしまう人がいます。

 夫が止めても「魂が汚れるから」と子どもの投薬を拒絶する人、両親が止めても「天命だから」と一晩中大声で賛美を歌い続ける人、主人が止めても「ここを清めるため」と職場で香を焚くのをやめない人……信仰を理由に、子どもや親やパートナーを顧みず、主人の話も聞かないで、独りよがりな信仰生活を送ろうとした、一部のコロサイの人々も、同じように見えていたのかもしれません。

 いつの間にか、神様に仕えるためではなく、自分が特別な体験をするために、自分が神のように振る舞うために、現実の関係性を蔑ろにして、幻を追い求める生活に陥っていた……そんなことにないよう、私たちも改めて、人と人との関係を、神様と自分との関係を振り返る必要があるでしょう。

 そう、この手紙の目的は、人間同士の主従関係を強いることではありません。妻も、子どもも、奴隷たちも……夫も、親も、主人たちも……皆等しく、「キリストに仕える者」であることを、「神の僕」であることを思い出させ、兄弟姉妹として歩むことを促すためのものなんです。

 だから、何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。知ってのとおり、あなたがたにも主人が天におられるのです。あなたがたは主キリストに仕えているのです。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌22番「神よ諦めない心」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」

 

年間主題

華陽教会では、「信仰継承を考える」というテーマで、マルコによる福音書10:14を今年度の年間聖句にしています。

 

今週は、夏休みに入った子どもたちのことを覚え、教会に訪れる一人一人を一緒に迎え、恵みを分かち合えるように、祈りを合わせていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

神様、今日も、みんなで御言葉を分かち合えたことに感謝して、献金をおささげします。どうか今、あなたの求めることに使えるよう、私たちを導いてください。私たちの隣に、前に、後ろにおられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」を歌います。(A)のところは牧師が、(B)のところは会衆が、(全員)のところは全員で歌います。(差し支えない方は、お立ちください)

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。(コロサイの信徒への手紙3:24)

 

祝 福

父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。(テモテへの手紙一1:2b)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった16名、同時に視聴された7名、計23名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜礼拝は『見てないものを望んでる』と題して、ローマの信徒への手紙8:18〜25のお話をする予定です。聖書研究祈祷会も、9月3日(水)の13:30から再開します。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。