ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『罰するはずが罰される』 エレミヤ書23:1〜6、ヨハネによる福音書18:33〜40

日曜礼拝 2023年11月26日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

城門よ、頭を上げよ/とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。栄光に輝く王とは誰か。万軍の主、主こそ栄光に輝く王。(詩編24:9〜10)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、旧讃美歌の537番「わが主のみまえに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆世界を創造し、愛される神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。先日の木曜日は、岐阜地区の信徒大会を5年ぶりに開催することができ本当に感謝致します。どうか今、信徒大会へ参加できなかった方々や、来年度、合同礼拝でお会いするのを楽しみにしている人たちに、あなたの祝福が豊かにありますように。

◆私たちの神様。今日は、収穫感謝礼拝です。色んなところから持ち寄った、野菜や果物を前に飾り、あなたに感謝をささげます。どうか今、あなたからいただく多くの恵みを、私たち自身も、多くの人と分かち合うことができますように。

◆私たちの神様。来週から、キリストの誕生を記念するクリスマスの準備をしつつ、イエス様が再び来られる時を待ち望む、アドヴェントに入ります。どうか今、あなたがもたらす平和と救いを、私たちの隣に、前に、後ろにいる人と、一緒に受け取れますように。

◆私たちの王なる主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。エレミヤ書23:1〜6、ヨハネによる福音書18:33〜40(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編17:1〜12(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の387番「刈り入れの主を」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

Dennis GriesによるPixabayからの画像

メッセージ

来週から、キリストの誕生を記念する、クリスマスの準備をしつつ、イエス様が、再び来られる時を待ち望む「アドヴェント」に入ります。救い主が、再びこの世に来られる日「再臨の日」は、「終わりの日」や「裁きの日」とも呼ばれますが、それはまさに、神の子が再来する日に、この世界が終わりを迎え、全ての悪が正されて、完成した神の国へ迎えられることを意味します。

 

「終わりの日」や「終末の日」と聞くと、どうしても、今の世界が滅ぼされ、失われていく、ネガティブなイメージが浮かびます。しかし本来は、長い間、耕してきた畑から、作物を抜いて、収穫を得る日のように、畑での仕事を終えて、みんなで実りを分かち合い、喜びを共にする、恵みの時が訪れる……という良い知らせのはずなんです。

 

問題は、その日に恵みを得られる者……永遠の命を与えられ、神の国へと受け入れられ、救いにあずかる者たちと、永遠の命を受けられず、神の国から締め出され、滅びに定められる者たち……どちらか2つに分けられる、という裁きの記述が、度々、聖書の中に見られることです。

 

最初に読んだエレミヤ書23章に出てくる預言にも、主の日に「裁かれる者」と「救われる者」が出てきました。「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」「わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる」

 

ここには、神様が、平和をもたらす新たな王を遣わして、暴力や不正を行う者を裁き、人々に正義と恵みの業を行うことが記されています。神様が遣わすまことの王、まことの牧者についていく者は救われて、私利私欲に振り回され、群れを散らして、本当の牧者に従わない者は、暗闇の中に追いやられる……そのような言葉も出てきます。

 

そして、預言者たちが告げている、群れを養う牧者こそ、救い主、イエス・キリストのことに他ならないと、新約聖書も教えています。この世の悪を打ち滅ぼし、不義や不正に手を染める、罪人たちを追い出して、正義と公正を実現する、神の支配を完成させる、新たな王とはこの方だ!……と、色んな箇所が伝えています。

 

しかし、こうした言葉が目に入ると、だんだん怖くなってくるかもしれません。私自身は、群れを養うまことの牧者に、呼び集められる人間なのか? それとも、群れを混乱させ、迷惑をかけた者として、追放される人間なのか? また、イエス様を信じていない自分の子ども、親や兄弟、大切な友人たちは、本当の牧者を知らない、まことの王を選べない、やがて滅ぼされる人間なのか?

 

考え始めると、恐ろしくなります。イエス様自身が残したとされる言葉の中にも、毒麦のたとえや、実のならないイチジクのたとえで、炎の中に投げ込まれる、裁かれる人たちが出てきます。今は、何も気にせず、手に入るものを飲み食いできても、終わりの日に、神様から罰されて、暗いところへ投げ落とされたらどうしよう?

 

ある人にとっては、世の終わりに再び来られる神の子が、自分の生き方を監視して、悪かったことを問い詰めて「神の国には入れてやらない」「同じ食卓には着かせない」と暗闇への追放を宣言する、厳しく怖い存在として、刷り込まれているかもしれません。この方は、自分を罰するために来るんじゃないか? 排除するために来るんじゃないか? と。

 

しかし、「悪い行いを罰する」はずの救い主は、2千年前、反対に自分が「罰される者」として、法廷で裁かれ、鞭に打たれ、十字架につけられていきました。後から読んだ、ヨハネによる福音書18章には、群れを養う使命を果たさず、追い払うばかりで顧みることをしなかった祭司長やファリサイ派の方ではなく、彼らを裁きに来たはずの王なる主が、どんな悪いことをしたのか問い詰められています。

 

本来、逆のはずです。群れを養う牧者として遣わされたイエス様が、群れのみんなを顧みない彼らのことを問い詰めて、裁き、罰するのが正しいはずです。しかし、イエス様は単純に、彼らを罰するために来られたのではありません。群れを混乱させる者も、過ちを犯した者も、群れの一員として帰ってくるよう、変化を促し続けます。

 

むしろ、自分について来ない者たちが、自分を王だと呼べるように、死を超えて足掻き続けます。被告として引き出されたイエス様と、イエス様を尋問するピラトを見ていてもそのやりとりはたいへん奇妙です。

 

ピラトが「お前がユダヤ人の王なのか?」と問いかけると、イエス様は「わたしの国は、この世には属していない」と答え、「それでは、やはり王なのか?」と問いかけると、「わたしが王だとは、あなたが言っていることです」と返される……ピラトがイエス様に「わたしは王じゃない」と答えさせようとする一方、イエス様はピラトに「あなたはわたしの王」と告白させようとしています。

 

ピラトもまた、イスラエルを支配する異邦人で、ユダヤ人を苦しめている、群れを顧みない牧者の一人でしたが、イエス様から罰されるどころか、キリストを信じる群れとして仲間に加わるよう促されていました。それは、イエス様を見捨てた弟子たちも同じです。彼らも「あなたはわたしを愛しているか?」とイエス様に問われ、「わたしに従いなさい」と呼ばれ続けた者たちでした。死によって離されてなお、再会して呼びかけられます。

 

再臨の日に訪れるイエス様も、悪いところを問いただして、あなたを罰するために、滅ぼすために、来られるのではありません。あなたを自分の群れに迎えて、神の国へと招くために、「わたしの主、わたしの神よ」と告白するまで、出会いにくるんです。あなたを焼き捨てるためではなく、あなたが豊かな実をつけるよう、拒絶されても、再会してくださるんです。

 

今日は、そんな神様が、私たちにもたらす良い恵みに感謝して、収穫感謝礼拝を行っています。再臨の日に、捨てられないか、罰されないか、滅ぼされないか不安な方は、自ら一粒の種となって、あなたに実りを与えられる、あなたを新しく変えられる、あなたをご自分の者と呼ばれ続ける、イエス様に信頼して、安心して、喜びを分かち合いましょう。

 

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌14番「奮い立て貧しい民よ」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週は、「芽含幼稚園を覚えるミニバザー」や、クリスマスの献金を贈る「謝恩日献金」「キリストへの時間」「関西学院大学神学部」「東日本大震災の被災地」のために祈りを合わせ、教会で支えていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

「頌栄」の賛美歌25番「父・子・聖霊に」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え/この国に正義と恵みの業を行う。(エレミヤ書23:5)

 

祝 福

平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟(姉妹)たちにあるように。恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。(エフェソの信徒への手紙6:23〜24)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった21名、同時に視聴された5名、計26名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

礼拝後、持ち寄った野菜や果物をみんなで分けて、秋の恵みを一緒に分かち合いたいと思います。また、時間のある方は、アドヴェント前の会堂大清掃とクリスマスの飾り付けを行います。パンの軽食もあるので、よかったらご協力よろしくお願いします。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。