ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『何を焼き尽くされるのか?』ミカ書4:1〜7、ヘブライ人への手紙12:18〜29

日曜礼拝 2024年6月16日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を、配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。(ヨハネによる福音書4:21)

 

讃美歌

旧讃美歌の81番「めぐみのひかりに」を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆救いの源である神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今週も、様々な出来事に遭遇し、不安になったり、悩んだりする中、あなたが支えてくださったことを感謝致します。どうか今、問題を抱えて苦しむ人、傷つき疲れている人に、あなたの癒しと慰めが豊かにありますように。

◆私たちの神様。病気や怪我、障害や衰えによって、力を奪われた人たちに、あなたの助けがありますように。どうか今、あなたの希望がもたらされ、新しい力が与えられ、一歩一歩、回復へ向かっていきますように。

◆私たちの神様。洗礼を考えている人や、新しく教会へ来てくれた人たちに、あなたの恵みがありますように。どうか今、それぞれが必要とする気づきや変化がもたらされ、安心して一緒に歩めるよう導いてください。

◆一人一人を照らされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ミカ書4:1〜7、ヘブライ人への手紙12:18〜29(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編84:1〜13(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の202番「よろこびとさかえに満つ」を歌いましょう。最後のアーメンはつけて歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

M PによるPixabayからの画像

メッセージ

 「実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です」……ヘブライ人への手紙12章の文末に書かれたこの言葉は、「裁きの神」というイメージを私たちの意識にのぼらせます。神は焼き尽くす火である……何を焼き尽くされるのか? おそらくほとんどの人は、神が地獄に落とした罪人を焼き尽くすイメージが浮かぶでしょう。

 実際、25節には、神の厳しい裁きを思わせる警告の言葉が並んでいます。「あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい」「もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか」

 ここで言う「地上で神の御旨を告げる人」とは、神様が人々に与えた掟「律法」を持ち帰ったモーセのことです。かつて、モーセの言うことを受け入れず、神の言葉に従わなかったイスラエル人は、約束の土地カナンに入ることが許されず、40年間、荒れ野をさまようことになりました。

 モーセを拒んだ者たちが、そのような目に遭ったなら、神の子であるキリストを拒んでしまった者たちは、なおさら罰を逃れることはできないと、厳しい言葉が続きます。もし神様が近づいてきたら、自分たちの前に現れたら、今までの態度を追求され、こちらの信仰をチェックされ、恐ろしい罰が言い渡されないかと、震え上がってしまいそうです。

 それは、現代の私たちだけでなく、聖書に出てくる人たちにとっても同じでした。人々が聖書に記した、神様が現れるシーンは、どれも命の危険を感じさせる、恐ろしい現象が伴います。「燃える火」「黒雲」「暗闇」「暴風」……戦争で聞く「ラッパの音」……まさに雷が落ちる前触れのような、緊張させる場面です。モーセすら震えてしまいます。

 目の前に神がやってきた、私の方へ近づいてきた……まるで、普段は見かけない上司が自分のデスクへ近づいてきたときのように、悪い予感を抱かずにはいられない気持ちになってしまう。何を言い渡されるのか? 何を追求されるのか? これ以上語ってほしくない、告発と罰が待っているのか?

 しかし、よく考えると、燃える火や暴風と共にモーセへ現れた神様は、イスラエル人に裁きをもたらすためではなく、救いをもたらすために声をかけ、履物を脱いで一緒に座るよう呼びかけていました。雲や暗闇と共に現れた神様は、イスラエル人を滅ぼすためではなく、敵から守るために、道を示し、身を隠す場所を与えていました。

 神様の言うことを聞かないで、40年間荒れ野をさまよった人々も、単に、カナンの土地から追い出され、切り捨てられたわけではありません。その40年間、神様も一緒に荒れ野をさまよい、人々に付き合い続けていました。彼らの子どもたちが、約束した土地に入るまで、彼らを守り、水を与え、食事を運んで養っていました。

 最初に読んだミカ書にも、神様が災いに遭わせた人たちに対し、災いに遭わせて終わりではないことが語られています。「わたしは足の萎えた者を集め/追いやられた者を呼び寄せる。わたしは彼らを災いに遭わせた。しかし、わたしは足の萎えた者を/残りの民としていたわり/遠く連れ去られた者を強い国とする。」

 実は、「裁きの神」とよく言われる、厳しいイメージの神様は、決して「裁いて終わり」の方ではないんです。罪人を捕まえて追い出すために、近づいてくるんじゃないんです。罪人へ、新しい生き方をもたらし、もう一度、関係を回復するため、自分へ近づくよう、姿を現してくださるんです。裁きとは、救いにあずからせるためのプロセスなんです。

 だから、神様に近づいたら、自分の罪を追求され、滅びを言い渡されるんじゃないか? と不安を覚える人々に、はっきりこう語られます。「あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。」

 「あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。」

 そう、私たちが教会に来て、聖書を開き、心を向ける神様は、私たちを天の国、神の国へ招くために、現れてくださる神様です。罪人を罪人のまま、拒んでいる者を拒んでいるまま、信じない者を信じないまま、放置する方ではありません。私たちを祝いの席へ着かせるために、私たちが拒まなくなるまで、受け入れるまで、出会い続ける方なんです。

 そのために、神の声は、この地上をも震わせます。「御声が地を揺り動かす」という表現は、神に背を向ける人々が、地震や津波を起こされて、酷い目に遭わされる……というイメージが湧いてしまうかもしれませんが、むしろ、十字架にかけられたイエス様が、息を引き取るときのシーンを、意識するべきところです。

 マタイによる福音書27章後半に、その時の様子が出てきます。「イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」「百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、『本当に、この人は神の子だった』と言った。」

 「本当に、この人は神の子だった」……それは、彼らの口から出てきた、初めての信仰告白です。当初、兵士たちは、イエス様の着ている服をはぎ取って、茨で編んだ冠を被させ、侮辱して唾を吐き、葦の棒で叩き続けるような人たちでした。神に背を向け、キリストを拒み、信じない者たちの一人でした。

 ところが、彼らが近づいた神の子は、十字架にかかって命をささげ、彼らのことまでとりなしました。その日、天地は揺り動かされ、神殿の垂れ幕は真っ二つに裂け、神と人との隔ての壁が取り除かれます。今まで、神に背を向けていた人たちを、信じなかった者たちを、「本当に、この人は神の子だった」と告白する者へ変えていきます。

 本来、御国を受けられるはずのない、天の国、神の国を受け継げるはずのない人を、御国を受け継ぐ者へ変えてくださる神様が、今日も、私たちを揺り動かします。私たちの中にある恐れや迷いや疑いが、喜びと信頼に変わるときまで、付き合い続けてくださいます。実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。この火が焼き尽くすのは、古い自分です。

 イエス様の弟子たちが、天から聖霊を受けて、炎のような舌を受けて、閉じこもっていた家から飛び出し、救いを語り始めたように、この方の火は、変わらない自分に囚われている、私たちの鎖を焼き尽くします。罪人であった古い自分は燃やし尽くされ、永遠の命を受けた新しい自分へ変えられます。

 だから、あなたも顔を上げなさい。希望を持って進みなさい。多くの国々と共に、約束を信じて告げなさい。「主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌6番「戻らない世界で」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題

御着席ください。新年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。」

 

年間主題

華陽教会では、「ここをみんなに知らせよう」というテーマで、ヨハネによる福音書17章18節を今年度の年間聖句にしています。

 

今週は、地域の人に華陽教会を知ってもらえる機会となるよう、7月28日に開くオルガンミニコンサートのために祈り、奏楽者を支えつつ、準備を進めていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

神様、この礼拝で受けた恵みが、ますます豊かに広がるよう、私たちがささげた献金をお使いください。人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。(A)のところは牧師が、(B)のところは会衆が、(全員)のところは一同で歌います。差し支えない方はお立ちください。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

しかし、わたしは足の萎えた者を/残りの民としていたわり/遠く連れ去られた者を強い国とする。シオンの山で、今よりとこしえに/主が彼らの上に王となられる。(ミカ書4:7)

 

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった21名、同時に視聴された3名、計24名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

礼拝後、ハレルヤランチを挟んで、「ぶどう園の集い」と「ヒラソルの会」が開かれます。昼食を食べて行きたい方で、初めての方や持ち合わせのない方は無料、2回目以降の方は募金箱を回すので、100円でも200円でも自由に献金していただければと思います。

 

「ぶどう園の集い」は、月毎にテーマを決めて色んなことを学ぶ会で、今回は、この会の名前の由来と、『こころの友』6月号の輪読、7月28日のリードオルガンミニコンサートについて、みんなでお話しする予定です。

 

「ヒラソルの会」は、話たいこと、近況を自由に分かち合う会です。どちらも、興味のある方はどなたでも参加できるので、時間のある方はぜひ、お残りください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。