ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『薬物依存からの回復』 詩編55:23、ペトロ手紙一5:7

在宅礼拝 2021年5月30日


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案 内

華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝に切り替えています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)

 

招 詞

主はわたしの力、わたしの盾/わたしの心は主に依り頼みます。主の助けを得てわたしの心は喜び踊ります。歌をささげて感謝いたします。(詩編28:7)

 

讃美歌

旧讃美歌179番「よろこびあふるる」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆父・子・聖霊なる三位一体の主なる神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の在宅礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。本日は岐阜ダルクのスタッフによる証を予定していましたが、昨日、市独自の緊急事態宣言、まん延防止等重点措置が延長されたことを受けて、急遽延期することになりました。どうか今、ダルクと教会の一人一人が守られるように助けてください。

◆私たちの神様。再度、開幕が延期された長良川の鵜飼をはじめ、行事やイベントで生計を立てている人たちのことを思います。どうか今、生活していくための糧と、その人らしく生きる道が整えられるように導いてください。

◆私たちの神様。全国で、様々な依存症に苦しんでいる当事者、家族、恋人、友人のことを思います。どうか今、それぞれに必要な理解と助け、適切なサポートが受けられるように、私たちの関心と知識を整えてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。詩編55:23、ペトロ手紙一5:7(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編130:1〜8(新共同訳交読詩編より抜粋)

交読詩編付きの『讃美歌21』をお持ちの方は、後ろの方に載っています。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(お立ちください)

 

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Arek SochaによるPixabayからの画像

メッセージ

「主は従う者を支え/とこしえに動揺しないように計らってくださる」……今日のために、こんな聖書箇所を選んでおきながら、私は動揺しています。本日、お話しくださる予定だった岐阜ダルクの方も、そのお話を聞きに来た皆さんも、同じだと思います。

 

先週、アナウンスしていたように、今日は薬物依存症のリハビリ施設である、岐阜ダルクの方がいらして、『薬物依存からの回復』というテーマで、ダルクの活動を通して与えられた「新しい生き方」「神に委ねる生き方」について、話してくださる予定でした。

 

先月、「岐阜ダルクの活動紹介を教会でさせてもらえないか?」という電話をいただいてから、クリスチャンでもあるスタッフの方と、自分の経験してきた葛藤や困難、それに寄り添ってくれた仲間や神様との出会い、施設で与えられた気づきなど、礼拝の中でも、証として語っていただけるよう、打ち合わせや準備をしてきました。

 

ダルクについて知っている方はご存知のとおり、この施設は、アルコールやシンナー、覚せい剤や精神安定剤、睡眠薬、風邪薬、痛み止めなど、様々な薬がやめたくてもやめられなくなる「薬物依存症」に陥った人達が、回復を目指す民間のリハビリ施設です。岐阜ダルクのホームページにもあるように、スタッフの方々も薬物依存からの回復者です*1

 

その体験を礼拝の中でお話しするということは、当然勇気がいりますし、聞く人たちにも、色々ショックを与えるかもしれません。けっこう覚悟がいる話です。しかし、色んな反応を予想しながら、それでも使命感をもって、ここで皆さんにお話ししたいと準備をしてくださいました。

 

ところが、昨日、岐阜市内の緊急事態宣言、および、まん延防止等重点措置が、6月20日まで延長される事態になったことを受け、施設長の方とも電話で相談し、色々悩みましたが、ダルクと教会、双方の安全を考えて、証に来ていただく日を、急遽延期することになりました。

 

当然ながら、前日の夕方に決まったことなので、今からタイトルも聖書箇所も変えられません。薬物依存から回復した経験もない私には、今日のテーマで何を話したらいいか分からず、途方に暮れてしまいました。

 

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えてくださる」って言うけれど、神様が私に直接、メッセージ原稿をくれるわけじゃありません。「主は従う者を支え/とこしえに動揺しないように計らってくださる」って書いてあるけど、神に仕える牧師自身が、めちゃくちゃ動揺しています。

 

本当に、コロナ勘弁してくれよ……って思いますよね。日曜日の前日に、何遍こう思ったか分かりません。明日礼拝なのに、今日会堂に集まることを休止する選択を迫られる。ペンテコステなのに、会堂に集まらない礼拝を強いられる。正直、礼拝の準備をしているときは、だいたい動揺しています。「神に委ねたら大丈夫」なんて言ってはいられません。「何とかしなきゃ」って必死に朝まで唸っています。

 

そんな状況に陥りながら、ふと思うんです。薬物依存症の人たちは、それこそ「神に委ねて生きよう」なんて思えないんじゃないか? 人間の体を車でたとえたら、依存症の状態は、ブレーキを踏んでも効かない状態です。どれだけ危険にさらされても、運転している自分自身には、踏んでも、踏んでも、暴走する車を止められません。そんな中、「神に委ねよう」なんて、果たして私に言えるだろうか?

 

もう一箇所、今日のために新約聖書からも、ある言葉を選んでいました。ペトロの手紙一5章7節、「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」……これも、キリスト教会では、ことある毎にとりあげられる箇所ですが、余裕のある人の言葉に思えます。

 

もし、自分に余裕がなかったら……ブレーキが効かなくて、今にもどこかへぶつかりそうなのに、「神にお任せしなさい」なんて言われても……周りから「とめろ!」「ぶつかるぞ!」「何やってんだ!」と責められ、睨まれ、叱咤されても、自分自身で止まれないとき「神に任せよう」なんて思えるのか?

 

「あなたの重荷を主にゆだねよ」「「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい」これらの言葉は、余裕がないとき、焦っているとき、自分が嫌になっているときは、普通受け入れられない言葉です。

 

だって、委ねられないでしょう? 任せられないでしょう? 私が悪い、どうしようもない、バンバン人や物を傷つけていく……そんな状態で、自分に向かって「私に委ねて」「私に任せて」なんて言う人、普通いません。いっそ徹底的に私を壊して、私を動けなくして、消してください……って思うのが、追い詰められた人だと思うんです。

 

でも、不思議なことに、私がこれまで会ってきたダルクの人は、回復の過程で、受け入れられないはずの言葉を受け入れるようになっていきます。自分じゃブレーキを踏んでも効かない状態で、落ち着いてられない状況で、自分を超えた何かに身を委ねます。なぜ、そこに至ることができるのか正直分かりません。私は奇跡が働いているんだと思います。

 

私じゃ私をとめられない、そのことを認めよう。そして私を支え、私のことを心にかけてくださる方、私がこれ以上動揺しないように計らってくださる方を受け入れよう……思い返せば、私たちの人生はこの連続です。自分じゃ止まれない、戻れない、進めないことを認めて天を仰ぐ。そのとき、自分のことを心にかけて、手を伸ばしている方に気づく。

 

どうか、今もブレーキを必死に踏んで、止まろうとしている人たちに、この方の呼びかけが届きますように。「止まれ」と責めている人たちに、止まれないこと、助けが必要なことが伝わりますように。あなたのことを心にかけている方と出会い、気づき、委ねられますように。

 

讃美歌

讃美歌21の528番「あなたの道を」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。

 

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

 

司会:一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。配信を見ておられる教会員の方は、郵送する献金袋に入れて、また後日来られたときにおささげください。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「戻らない世界で」(©️柳本和良)を歌いましょう。(お立ちください)

 

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祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。

 

祝 福

見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る。わたしは決して見捨てない。(創世記28:15より)

 

報 告

本日も配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の在宅礼拝は、ライブ配信の奉仕者7名、同時に視聴された14名、計21名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

本日、延期となった岐阜ダルクの証については、また後日、日程を相談し、調整した上で皆さんにお知らせします。急な延期となって申し訳ありませんが、ご了承いただけると幸いです。

 

なお、会衆礼拝の再開は2週間毎に検討していますが、現在も岐阜県の医療提供体制が逼迫していること、市独自の緊急事態宣言、まん延防止等重点措置が6月20日まで延長されたことを受け、引き続き6月20日まで在宅礼拝を延長します。

 

しばらく、直接集まれない日が続きますが、また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。

 

*岐阜ダルクの活動について知りたい方、寄付などの援助をいただける方は、下記のリンクに詳細が載っています。

 

www.gifu-darc.org