ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『人と和解ができません!』 ルカによる福音書6:27〜36

聖書研究祈祷会 2021年8月25日


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案 内

華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、今週から会衆が集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の578番「平和を求めよう」を歌いましょう。同居している方がいるところは、念のためマスクをつけて歌われるか、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて水曜日の聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を導いてください。

◆私たちの神様。先週一週間、牧師が休みを取った間も、教会の働きを守り、一人一人を導いてくださったことを感謝致します。どうか今、なかなか休みを取ることのできない全国の牧師や宗教主事、キリスト教教育主事の人たちも、十分休むことができますように。

◆私たちの神様。残念ながら、今週から再び、会衆が集まる全ての集会を休止し、配信等による参加に切り替わりました。どうか今、しばらく顔を合わせられない人たちとも、つながりを保ち、支え合えるように、必要な働きをさせてください。

◆私たちの神様。感染症だけでなく、台風や大雨、土砂崩れなどの災害により、全国で苦しんでいる人たちがいます。どうか今、癒しと回復を求める全ての人に、あなたの御手が差し伸べられ、助けが必要な人たちに仲間と力を与えてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書6:27〜36(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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Paul BarlowによるPixabayからの画像

メッセージ

8月は「平和」と「和解」をテーマに聖書を読んできましたが、今日がその最後の週です。「平和って何?」と聞かれれば、多くの人は「戦争がないこと」「争いがないこと」と答えるでしょう。そして、戦争や争いのない世界とは、対立や衝突が起きたとき、暴力ではなく、同意と和解によって、決着をつける世の中です。

 

和解によって決着をつける……これって、「できた」ように見えて「できていない」ことが山ほどあります。幼稚園や小学校でも、しょっちゅう経験するでしょう。子ども同士が喧嘩して対立したとき、大人は仲直りによって、決着をつけさせようとするけれど、実際には仲直りじゃなくて、「我慢」で決着に持っていきます。

 

「嫌だと思うけど、謝りなさい」「嫌だと思うけど、許しなさい」……だいたいが、どちらかに謝ることを強制し、どちらかに許してあげることを強要します。文句を言う時間は少なくし、決着をつけるよう圧をかけます。そこに「同意」はありません。とりあえず、決着がついたことにして、問題が解決したように見せかける。

 

もちろん、子どもたちが自然に仲直りすることもありますが、和解させようとして、和解しようとして、すんなり決着が着く話なんて、ほとんどないことを思い出すでしょう。実は、対立した人と向き合って、和解に至るようなプロセスを、私たちは、あまり学べていないんです。心から仲直りするやり方が、積み重ねられてないんです。

 

大人になってからも、私たちは、人と和解ができません。「仲直り」に見せかけた我慢を強いたり、「同意」に見せかけた多数決を強行したり、実際のところは、「見えない暴力」によって、多くのことに決着をつけます。言いたいことを飲み込ませ、理解する過程を拒み、なるべく対話の少ない方法を取っています。

 

それは、教会に集まる人も例外ではありません。表向き、平和的な解決を促すために、黙らせた相手、無視した相手が、きっとたくさんいるでしょう。対立が生じたとき、丁寧に話し合って、全員の同意へ至ったことは、牧師も信徒も少ないでしょう。平和にやり過ごすために、和解のプロセスを放置して、避けている相手がいるでしょう。

 

だって、本当に和解するためには、ぶつかって、傷ついて、根気よく訴えて、あるいは相手を理解して、めちゃくちゃ苦しい時間を過ごさなければなりません。「平和」からかけ離れた時間です。平和に至る道は、決して穏やかじゃないんです。そのことは、イエス様が弟子たちに告げた、厳しい教えからも伺えます。

 

「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」「悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい」……無茶ですよね? 素直に従うことは困難です。だって、この命令は、和解と平和に至る道が、全然平和じゃないことを隠さないから。

 

敵を愛したら、味方に責められます。自分を憎んでいる者に親切にしたら、しっぺ返しを喰らいます。悪口を言う者に祝福したら、愚かに見られます。侮辱する者のために祈ったら、馬鹿にされます。頬を打つ者にもう一方の頬を向けたら、さらに打たれます。何度も辛い思いをして、苦しくなります。

 

実際に、これを命じたイエス様がそうでした。敵を愛して、ファリサイ派や罪人の家で食事をしたら、度々論争になりました。自分を憎んでいる者に、誠実な返答をしたら、陥れる材料を探されました。自分を侮辱し、嘲る者のためにとりなしたら、十字架の上で刺されました。イエス様が平和に過ごすことは、ほとんどできませんでした。

 

こんなやり方より、もっと簡単な方法があります。それは、暴力です。理解を求めるより、脅す方が簡単です。訴えるより、無視する方が簡単です。厚生させるより、処刑する方が簡単です。同意を取るより、切り捨てる方が簡単です。私たちが平和に過ごすため、暴力で決着をつけてきたことは、数え上げるとキリがありません。

 

そう、私たちは和解がどれほど困難か知っています。和解のために、死ぬほど苦しい思いをすることが、たくさんあるのを知っています。だから、できるだけ和解に見せかけたマイルドな暴力で決着をつけます。それを「平和」と思い込みます。争いが起きてない状況とみなします。でも、イエス様は私たちの暴力をさらけ出します。

 

敵を愛せない、憎む者に親切にできない、悪口を言う者に祝福できない、侮辱する者のために祈れない、頬を打つ者にはぶち返したい……そんな私たちを暴きます。どれだけ平和を祈っても、どれだけ和解を求めても、私がまだ、和解を拒んでいることを突きつけます。私がまだ、暴力で決着をつけようとする人間であると悟らせます。

 

同時に、そんな私たちへ、本当の平和をもたらすために、イエス様が仲直りされたことを思い出させます。イエス様は、自分を見殺しにした者たちへ、再び会いに来られました。無視することも避けることもなく、何度も姿を現しました。打つことも脅すこともなく、再び自分についてきてくれと呼びかけました。

 

この方は、今も私たちに付き合ってくださいます。人と和解ができない私を赦し、和解ができるまで、一緒に待って、一緒に支え、一緒に悩んでくださいます。簡単に解決できないことを、この方も知っています。この方も、敵にはめられ、仲間に理解されず、我慢を強いられてきた人です。あなたを愛し、あなたのために祝福を祈ってくれる方です。

 

平和の実現は、私一人にはできませんが、この方が付き合ってくださいます。死を超えて和解をもたされた方が、私たちと一緒に居てくださいます。「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。アーメン」(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(京都府京都市の洛北教会)のために、心を病んでいる人のために、体が不自由な人のために、孤立している人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆京都府京都市の洛北教会のために祈ります。コロナ禍の中でも、教会に連なる一人一人の健康が守られ、安全が導かれますように。様々な働きを通して、教会のみんながつながっていき、子どもから高齢者まで、豊かな歩みができますように。

◆心を病んでいる人のために祈ります。悩みを相談できる相手が少ない人、支えてくれる者が少ない人、守ってくれる者が少ない人に、あなたの慈しみがありますように。必要な助けと注意と励ましが、丁寧にもたらされますように。

◆体が不自由な人のために祈ります。痛みによって、病気によって、怪我によって、衰えによって、あるいは脳の仕組みによって、不自由さを覚える人たちに、あなたの支えがありますように。生活が改善される知恵と、適切なサポートをもたらしてください。

◆孤立している人のために祈ります。家族の中で、職場の中で、友人の中で、社会の中で理解や共感を得られない人に、あなたの憐れみがありますように。共に、悩み、苦しみ、考えてくれる人たちが、あなたによってもたらされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌11番「どうか平和の主が」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、牧師休暇のためお休みでした。岐阜県の病床使用率が5割を超え、医療提供体制が逼迫しているため、今週から全ての集会を配信等による参加に切り替えています。

 

来週も配信等による在宅聖研を行います。会衆が集まる礼拝の再開は2週間毎に検討し、決定次第、教会員への連絡網とホームページ等でお伝えします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。