ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『私は友でいられるか?』 申命記7:6〜11、ヨハネによる福音書15:12〜17

日曜礼拝 2023年5月7日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や疲れている方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。(ガラテヤの信徒への手紙3:26)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、旧讃美歌63番「いざやともよ」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。この一週間、思いと言葉と行いによって罪を犯し、あなたを悲しませてしまったことをお赦しください。どうか今、私たちが傷つけた人、怒りをぶつけた人を癒し、回復させてください。

◆私たちの神様。この一週間、様々な行為や事件によって、自分自身も傷つけられ、痛みと苦しみを覚えてきました。どうか今、私たちの心と体の傷を癒し、変化と回復をもたらしてください。

◆私たちの神様。この一週間、あなたからいただいた、気づきと、勇気と、励ましによって、生かされてきたことを感謝致します。どうか今、新たに遣わされる一週間、ますます豊かに、あなたの希望を分かち合うことができますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。申命記7:6〜11、ヨハネによる福音書15:12〜17(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編119:9〜16(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。最初の23〜29節までを司会が、一段下がったAのところを牧師が、一段下がったBのところを会衆が、交互に読んでいきましょう。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の393番「こころを一つに」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

Annie SprattによるPixabayからの画像

メッセージ 

「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」……神の子、イエス・キリストが、十字架につけられて死ぬ前に、弟子たちと交わした最後のやりとりでこんな言葉が出てきます。「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない」「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」と。

 

非常にドラマティックなシーンです。イエス様と弟子たちの特別な関係、特別な呼びかけが見られます。一方で、ただ単に、美しい友情が描かれるシーンではありません。なぜなら、イエス様から「友」と呼ばれた弟子たちは、それから間もなく、敵に捕まったイエス様を見捨てて、皆逃げ出してしまうからです。

 

そうなることを知った上で、イエス様は語ります。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」……おそらく、これを聞いた弟子たちは、イエス様のために命を投げ出す覚悟があるか、自分に問われていると思ったでしょう。彼らは口々に、自分は最後まで、イエス様についていくと答えます。

 

他の福音書では、弟子たちを代表してペトロがこう言っています。「御一緒なら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」(ルカ22:33)……事実、彼ともう一人の弟子は、イエス様が捕まったとき、隠れてあとをついていき、最後まで従おうとしました。しかし結局、敵に見つかって、イエス様を「知らない」と大声で叫んでしまいます。

 

数時間前に、「友」と呼んでくれたイエス様を、大勢の前で三度も否定し、「私はその人と関係ない」と言ってしまいます。福音書によっては、イエス様に対する呪いまで口にしたと書かれています。友が自分を愛してくれたようには、自分は友を愛せない……「互いに愛し合いなさい」というイエス様の言葉から、かけ離れている姿です。

 

ふと、疑問がわいてきます。イエス様はなぜ、そんな弟子たちのことを自分の「友」と呼んだんだろう? 自分を裏切り、あるいは見捨て、逃げていくことを知っているのに、自分のために、命を捨てないと分かっているのに、どうして「友」と呼んだんだろう? 彼らはイエス様の命じることを行わないし、愛を示すことができないのに。

 

確かに、イエス様は言いました。「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」……けれども、その言葉どおりなら、イエス様が「友」と呼ぶことのできる人は、一人もいませんでした。同時に、現在この言葉を聞く私たちも、自分がイエス様の「友」でいられるか、正直ドキッとしてしまいます。

 

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」……私にも、その愛を求められるなら「できます」と言える自信はない。むしろ、親友と呼べる友達のことでさえ、追い詰めたり、裏切ったり、愛せないことが度々ある。我が身かわいさに見捨てたり、無視したり、距離を置くことがけっこうある。

 

というか、自分のために、命を捨てることを要求する「友」ってどうだろう? 自分の命じることを行うのなら「友」と呼ぶってどうだろう? 下手すれば、イエス様の言葉は「お前、友達なら俺の言うこと聞けるよな?」という脅し文句に感じられます。あまり、良い印象を持てません。

 

実際、この言葉に苦しんできた信徒もいるでしょう。イエス様の命じることを行えなければ、「あなたは私の友じゃない」と言われてしまう。イエス様のために命を捨てることができなければ、自分を犠牲にできなければ、「本物の友じゃない」と責められる……そんなふうに、刷り込まれてきた人もいるでしょう。

 

だからこそ、思い出してほしいんです。イエス様が「友」と呼んだのは誰だったか、友の条件を満たした人だったか、振り返ってほしいんです……それは、まもなくイエス様を見捨ててしまう弟子たちです。まもなくイエス様を否定してしまうペトロです。葬儀にも埋葬にも立ち会わなかった彼らです。胸を張って「友」を名乗れない人たちです。

 

もう一人、思い出すべき人がいます。それは、イエス様を敵に引き渡すため手引きした裏切り者の弟子、イスカリオテのユダのことです。マタイによる福音書では、彼に向かって呼びかけた、イエス様の最後の言葉が出てきます。「友よ、しようとしていることをするがよい」(マタイ26:50)

 

後から記されたヨハネによる福音書も「この箇所を思い出せ」と言うかのように、ユダに対するイエス様の言葉が書かれています。「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」そんな彼の手には、イエス様が「これはわたしの体である」と言われたパン切れに、「これはわたしの血、契約の血である」と言われた葡萄酒を浸したものが渡されていました。

 

本日、皆さんと一緒にあずかる聖餐式、信仰者が信仰者であり続けるための食事に、あのユダもあずかって出て行きました。それは、やがて来たる神の国で、イエス様の「友」が集まる祝宴を、先取りしたものでもありました。イエス様が「父の国で、あなたがたと共に新たに飲むその日」が来ると予告された、記念の食事……。

 

そう、キリストが「友」と呼ばれた人間は、自分の命じることを行えなかった、互いに愛し合うことのできなかった、ユダであり、ペトロであり、私であり、あなたでした。そのあなたに、イエス様はパンと葡萄酒を手渡して、神の国で、新たに飲むその日を待つよう言われました。私たちは、神の国で、また一緒に食事をするんだと。

 

思い出してください。イエス様の父なる神が、自分の民と呼ばれたのは誰だったか……それは、何世代にもわたって契約を破り、言うことを聞かず、神に背いてきた国民です。どの民よりも貧弱で、かたくなで、神を否定して、偶像を拝んでしまった人々です。けれども、神様はその言葉どおり、自分を否定する人々を滅ぼし尽くしはしませんでした。

 

滅びることのないように、改めて自分の民となるように、預言者を送り、王を導き、「わたしはあなたの神である」「あなたはわたしの民である」と呼びかけ続けてきたんです。もうとっくに、「神の民」とは呼べないはずの人々を「わたしの民」と呼んできたんです。わたしはあなたと共にいる……互いに愛し合う者となるように、私は付き合い続けると。

 

あなたは知らなければなりません。あなたの神、主が信頼すべき神であることを。神様が、あなたを自分の民と呼び、イエス様が、あなたを自分の友と呼んだことを。たとえ今イエス様の命じることが行えなくても、神様の言うことに従えなくても、天から送られる聖霊は、あなたが実を結ぶように、その実が残るように、付き合い続けてくださいます。

 

だから、神の国に受け入れられるか不安な者は、キリストの友を名乗っていいか不安な者は、今日、聖餐にあずかりなさい。あなたが従えないときも、あなたが背こうとしているときも、パンと杯を手渡してくる、神の招きに応えなさい。あなたは紛れもなく、神様が自分の民と呼び、キリストが自分の友と呼び、その食卓に座るよう定められた人間です。

 

ふさわしくない者はふさわしくされ、離れている者は呼び戻されます。どうか、信頼してください。どんなに自分の信仰に自信がなくても、疑い迷ってしまっても、神様は、あなたと出会い続けます。信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に変えていきます。弟子たちが新しくされたように、あなたも新しくされていきます。

 

最後の晩餐で、パンと杯を受けた直後、イエス様を見捨てた弟子たちに、復活したキリストは、再びパンを分けられました。あなたのために、感謝の祈りを唱えてパンを裂き、「取って食べなさい」と言われました。あなたが受け取ることを、誰よりも望んでいるのはこの方です。あなたを食卓に呼んだのは、この方です。共に恵みを味わいなさい。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌12番「信じたくても」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖 餐[1]

御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。本日は、感染リスクを避けるため、一人一人ケースに入れたパンとぶどう液を一緒に配らせていただきます。

 

讃美歌

最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く。」

 

また、福音書は伝えています。主は、十字架につけられる夜、ご自分を裏切り、見捨てる者たちのためにパンを取り、彼らに与えて言われました。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。」「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」

 

主は、辱める者、傷つける者、信じない者を憐れまれ、一人一人の罪が赦されるよう、ご自分の命を献げられました。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯の入ったケースを配る)

 

オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、この場にいる人のために、神の祝福を祈りましょう。

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、(着席のまま)讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。今から後、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄の讃美歌88番「心に愛を」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。(ヨハネによる福音書15:16)

 

祝 福

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった19名、同時に視聴された23名、計42名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週の日曜日も、三密を避けた会衆礼拝を配信と並行して行います。教会に来られる方は賛美中のマスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力いただけるよう、お願いします。それではまた日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。

 

[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。