ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『惜しまずにはいられません』 コリントの信徒への手紙二9:6〜15

日曜礼拝 2022年9月25日


www.youtube.com

 

案 内

華陽教会では、感染症の拡大を受け、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名に調整して、配信と並行して礼拝を行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。(申命記15:11)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌二編82番「きょうありて」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。先週は、台風14号に続き、台風15号の影響によって、様々な困難に見舞われました。どうか今、被害を受けた人たちに、あなたの憐れみが豊かにあって、速やかな回復がもたらされますように。

◆私たちの神様。ウクライナをはじめ、香港、台湾、ミャンマーなど自治や安全を脅かされている人たちに、あなたの助けがありますように。どうか今、ぶつかっている国と国、村と村、人と人との間に、和解と回復がもたらされますように。

◆私たちの神様。岐阜県の病床使用率や新規感染者数が徐々に下がってきたことを受け、来週から「三密を避けた会衆礼拝」を再開しようとしています。どうか今、久しぶりに顔と顔を合わせて礼拝を共にする人たちに、あなたの恵みが豊かにありますように。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。コリントの信徒への手紙二9:6〜15(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

www.bible.or.jp

交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編112:1〜10(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の22番「深き悩みより」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

6581245によるPixabayからの画像

メッセージ

本日は、教団の聖書日課で「奉仕する共同体」というテーマで、聖書箇所が選ばれています。教会で「奉仕」と言えば、信徒の人たちは、礼拝当番や会堂清掃、受付の準備や会計係などを思い浮かべるかもしれません。いわゆる、教会のための、教会という組織のための「奉仕」が真っ先に思い浮かぶ。

 

でも、「奉仕する共同体」と言ったとき、その奉仕は、誰に対しての奉仕なのか、一度、立ち止まって考えたいんです。おそらく「正解」と言われる答えは、「神に対する奉仕」ということになるでしょう。「教会は、神に奉仕する共同体だ」……これに反対する信徒は、まずいないと思います。

 

教会は、神に奉仕するところだから、毎週、神様を礼拝する。そのために、必要な準備や役目を信徒が担う……神様の教えと業をみんなに知らせて、神様の求める愛と平和が実現されるよう、世の中へ伝え、広げ、示していく。だから結局、「奉仕」という言葉を聞くと、礼拝堂の清掃や新来者の案内、司会や奏楽をする人がイメージされる。

 

開会祈祷や献金のお祈りをしたり、礼拝後の食事を用意したり、ホームページや看板の更新をしたり、教会のために何かをすることが「奉仕すること」だと思われる。もちろん、それも尊い奉仕で間違いないのですが、教会を「奉仕する共同体」と言ったとき、教会が「神に奉仕する」と言ったとき、それは「教会のために見えること」に留まりません。

 

教会が「奉仕する共同体」として「惜しみなく分け与える」ことを実践するとき、「喜んで与える人」になろうとするとき、それは、「教会のため」には見えない、「教会が損をする」ように見えてしまう働きや試みも含まれます。

 

たとえば、毎週オルガンを弾いてくれる、奏楽者の家族が倒れたとき、身内の介護をする必要が出てきたとき、「奉仕する共同体」である教会は、この人に何を求めるでしょう? 「オルガンを弾ける人は他にいないから、この奉仕ができるのはあなた以外にいないから、大変だけど、神に仕える者として、今までのように、喜んで、毎週奏楽をしてほしい」……そのように求めるかもしれません。

 

でも、ある人はこう言うかもしれません。「奏楽者が、無理なく家族を看られるように、この方の家族が、一人きりにされる時間を減らせるように、月何回かは、ヒムプレーヤーで賛美歌を歌いましょう」「礼拝で、全ての奏楽をオルガンでできなくなっても、1曲でも2曲でもいいから、他の人たちで弾ける賛美歌を弾くようにしましょう……」

 

また別の週、ある信徒から牧師に対して、こんな相談が来るかもしれません。「教会へ誘っても、ここへ来るのを嫌がって、一緒に来れない子どもがいます。私だけ礼拝へ来ると、お昼の用意が遅くなり、子どものお腹を空かせてしまいます。子どもを放っておけないので、なかなか礼拝へ来ることができません」

 

さて、「奉仕する共同体」である教会は、この人に何を求めるでしょう? 教会における最大の奉仕は、神様を礼拝することです。礼拝に来ること、一緒に祈りをささげることが一番の奉仕です。だから、頑張って子どもを教会に連れてくるか、お昼が遅くなっても我慢しなさいと言ってもらうか……そのように提案するでしょうか?

 

でも、ある人はこう言うかもしれません。「この方の側にいる、最も小さな者のために、私たちの時間を分け与えましょう。礼拝を少し短くして、子どもがいる家に、早く帰れるようにしてみましょう」「月に何回かでも、そういう日曜日を作りましょう」「お昼を持ち帰れるようにしてみましょう」「子どもが来たくない教会から、行きたいと思う教会へなれないか、私たちが工夫しましょう」

 

その日、教会は「組織のために奉仕する者」から「神様の愛する、最も小さな一人のために奉仕する者」へ変えられます。その日、教会は、最も小さな者のために「惜しみなく分け与える者」に変えられます。本当の「奉仕する共同体」が築かれていきます。たくさんの葛藤と衝突と議論を重ねながら、奉仕を求める者から奉仕する者へと新しくされます。

 

「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」……この言葉を実践するのは、とても難しいことです。一人一人もそうですが、みんなが集まった共同体は、より自分の持っているものを惜しむようになります。分け与えることが困難になります。だからこそ、この手紙は、共同体に、信徒の群れに、教会に、今も語りかけるんです。

 

「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです」……そう、私たちは惜しまずにはいられません。自分たちが変わること、譲ること、分け与えることをためらいます。出し惜しむ気持ちが出てくるのを避けられません。

 

かつて、「惜しまず分け与えた」「喜んで与えた者」として描かれる、信仰の先人たちも同様です。ためらわなかったわけがありません。初代教会の最初の揉め事は、外国出身のやもめたちに対する食事の分配のことでした。貧しい教会のために、各地の教会から献金を集めるのにも苦労しました。自分の奴隷を解放することにためらう信徒も存在しました。

 

けれども、惜しまずにはいられなかった人たちに、聖霊は語りかけ続け、集まった人々を「分け与える者」「喜んで与える者」に変えていきました。今日、私たちの教会が、ここにあるのも、私たちが、この時間に、この場所で、この言葉で、礼拝をささげられるのもたくさんの人が分け与えてくれた恵みの積み重ねがあるからです。

 

教会は一人で分け与えるところではなく、一人に仕えさせるところではなく、みんなで分け与え、みんなで仕えるところです。私たちは「奉仕してもらう共同体」ではなく「奉仕する共同体」です。既に分け与えてもらった者です。共に、神の言葉に信頼して、惜しまず分け与える者、喜んで与える者となれるように、私たち自身をささげましょう。

 

「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります」……アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌24番「イェスは今日あなたを」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろから2ページ目をご覧ください)

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって私たちは新しく生かされます。今からのち、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の頌栄25番「父・子・聖霊に」を歌います。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6 ⑥)

 

祝 福

どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。(テサロニケの信徒への手紙一5:23)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった15名、同時に視聴された12名、計27名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

華陽教会では、感染症対策のため、今週まで人数を制限して集まる「調整型小規模礼拝」を行ってきましたが、22日(木)時点の病床使用率が22.6%となり、新規感染者数も減ってきたことを受け、10月2日(日)から「三密を避けた会衆礼拝」を再開します。

 

長らくお待たせしましたが、教会員の方も、新来者の方も、マスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力いただき、誰でも参加できる礼拝を一緒に行えたらと思います。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。