ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『埋葬を止めてしまう』 コヘレトの言葉7:1〜6、ルカによる福音書7:11〜17

日曜礼拝 2022年11月6日


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案 内

本日は、キリスト教会で「聖徒の日」と定められている記念日です。先に召された方々も、天において、一緒に礼拝していることを思い起こすため、皆さんと写真を囲んでいます。やがて来たる神の国で、再会する日を待ちながら、共に神の言葉を味わいましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。(テサロニケの信徒への手紙一4:14)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌532番「ひとたびは死にし身も」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆復活と希望の主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日は、召天者記念礼拝です。先に召された方々も、天において、一緒に礼拝していることを思い起こし、亡くなった方の写真を飾って、共に十字架を仰いでいます。どうか今、残された一人一人に、あなたの希望と慰めが豊かにありますように。

◆私たちの神様。本日、一緒に集まることのできない教会員や亡くなった方のご遺族、ご友人に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、離れている人、近くで会えない人にも、あなたの力とお支えが豊かにありますように。

◆私たちの神様。だんだんと、新型コロナウイルスの感染が再び増加してきています。面会の制限が続く病院や施設もあります。どうか今、一人一人の健康と安全が守られ、少しでも感染拡大が抑えられ、生活が豊かにされますように。

◆私たちの間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。式次第の3頁をご覧ください。コヘレトの言葉7:1〜6、ルカによる福音書7:11〜17(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。式次第の4頁をご覧ください。皆さんは、太字になっているところをお読みください。詩編26:1〜6(新共同訳交読詩編より抜粋)

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌5番「離れているけれど」(©︎柳本和良)を歌いましょう。

 

 

Carolyn BoothによるPixabayからの画像

メッセージ

葬儀を途中で止められる、埋葬をいきなり中断される……そんな経験をした方は、なかなかいないと思います。ドラマや映画で、結婚式を中断させ、式場から花嫁を連れ去るシーンは出て来ても、葬儀を中断させ、棺から遺体を持ち出すシーンは、そうそうお目にかかりません。

 

結婚式を止める以上に、ひんしゅくを買うでしょう。みんなが大切な人の死を悼んで、別れを受け入れようとしている中、最後に見送ろうとしている中で、誰かが、間に入ってくる。出棺の最中に立ち塞がり、急に棺へ触れてくる。ギョッとして思わず立ち止まり、参列者は全員固まります。

 

いったい何が起きるのか? 葬儀は再開できるのか? 無事に埋葬できるのか? 様々なことが頭をよぎり、誰も、死の痛みから解放されると期待することができません。奇跡の始まりではなく、悪い事件の発生だと感じます。葬儀を止めた人間は、最後の別れを邪魔しにきた、とんでもない存在に思えます。

 

それが、ナインという町で、イエス様と出会った人たちの第一印象だったでしょう。この町に、神の子イエス・キリストが訪れたのは、聖書の中で、ここだけです。おそらく、ナインのやもめが、イエス様と出会ったのも、これが初めてだったでしょう。それ以前に、イエス様と会っていた様子はありません。

 

また、亡くなったやもめの一人息子も、生前にイエス様と出会った様子はありません。他の箇所に出てくるマルタとマリアの兄弟ラザロと違って、この若者は、死ぬ前にイエス様の話を聞いていた様子も、イエス様を信じて弟子になった様子もありません。完全に初対面です。意識のないとき、声が届かないときに、初めてイエス様がやって来ます。

 

町の人々の反応も、イエス様を知らないようでした。亡くなった息子の母親に、大勢が付き添っていましたが、イエス様が町へ入っても、誰も声をかけません。「主よ、あの家の子が亡くなりました」「あなたがいれば助かったでしょうに」……そんな台詞もありません。みんな、町に入ってきたのが誰か知らず、その方へ助けを求めることもありません。

 

イエス様は、なぜこの町にやって来たのか、正直よく分かりません。知り合いがいた様子はありません。誰かに呼ばれた様子もありません。「先生、来てください」「息子が死にそうです」「あの家の子を助けてください」「私たちを救ってください」……そんなふうに頼る人たちもいませんでした。祈る人たちもいませんでした。

 

生前、一度も教会に来たことがない、礼拝に出たことのない方が、信徒の家族に付き添われ、教会に運ばれてくることがあります。イエス様の話を聞いたことも、イエス様を信じたこともないけれど、教会で葬儀を挙げて、埋葬されて、神の国へと見送られます。ご遺族の親戚も、大半は、礼拝に来たことのない方です。あまりキリスト教を知りません。

 

どんなふうに祈ったらいいか、どういう作法をしたらいいか、ドギマギしながら、キリスト教の葬儀に出ます。本当に、ここで葬儀を挙げて良かったのか? 教会を頼って良かったのか? ちょっと不安になりながら、葬儀に参加するでしょう。葬儀で初めて、キリスト教の礼拝に触れた人たちもたくさんいます。

 

そして、「神の国」「永遠の命」「復活」について聞かされます。救いについて教えられます。でも、そこで語られるメッセージに、亡くなった人が頷いたり、答えたりすることはできません。もう硬くなって、冷たくなって、動かなくなった体では、一緒に信じると言うことも、一緒に賛美を歌うこともできません。

 

亡くなって、みんなの声が聞けなくなって、何も答えられなくなって、棺の中に入ってしまうと、もうその人へ、神様のことを伝えることはできないから、イエス様を信じてもらうことはできないから、天の国、神の国へ、受け入れてもらうことはできないんじゃないか……そう不安になられる方も、時々います。

 

あの時、キリスト教で葬儀を挙げなかったから、あの時、私はイエス様を知らなかったから、教会に来てなかったから、私の大切な人も、天国へ受け入れてもらうことはできなかったんじゃないか……そう怖がる方も時々います。ですが、イエス様は私たちが呼ばなくてもやって来ます。私たちが知らなくても訪れます。

 

あなたを泣き止ませ、あなたの大切な人を起こすために、こう言います。「もう泣かなくともよい」……そして、答えるはずのない者へ、聞こえるはずのない人へ命じます。「あなたに言う。起きなさい」……その声は、もう聞こえないはずの人に届き、もう答えられないはずの人に答えさせます。

 

越えることのできない、隔てられた壁の向こうにいってしまった……そう思っていた人たちが、イエス様によって、あなたのもとへ返されます。神の国へ受け入れられる、新しい命をもたらされます。そして、いつの日か、共に復活させられ、神の国の祝宴に招かれます。

 

死んだまま戻らない、救われないまま残される……そのように、陰府の中、土の中へと死者を押し込む私たちに、イエス様は呼びかけて、泣き止ませ、棺を開けて解放します。もう泣かなくともよい……私の声は、この人の耳に届くからだ。私の言葉は、この人を生き返らせるからだ。私自身が、この人も、あなたのことも、起こしに行くからだ。

 

今日も、礼拝後に、納骨式を予定しています。今年、亡くなった方の遺骨を教会の墓に納めます。しかしそれは、この人を死者の中に探し続けるためではありません。あなたの大切な人を暗闇に残すためではありません。あなたの家族が、友人が、神の国の食卓で、再会する日を待ち望み、天において、一緒に礼拝していることを思い出すためです。

 

共に食べ、共に飲み、共に祈って、歌いましょう。神様は、死んで復活されたイエス様と同じように、今、眠りについている人たちをも、一緒に導き出してくださるからです。栄光が代々限りなく、神様にありますように。アーメン。

 

讃美歌

讃美歌21の382番「力に満ちたる」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろから2ページ目をご覧ください)使徒信条……

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信終了後に、ご遺族の紹介をさせていただきます。これからも、神様の恵みと希望があるようにお祈りしています。

 

とりなし

それでは共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1ページをご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。式次第の6頁をご覧ください。

 

 

愛 餐

本日は、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

分かち合い

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、このパンと水は、信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって私たちは新しく生かされます。今からのち、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の4節を歌いましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の頌栄25番「父・子・聖霊に」を歌います。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げよ。(讃美歌21の93-6-4 イザヤ書52:7より)

 

祝 福

主があなた(がた)を祝福し、あなた(がた)を守られるように。主が御顔を向けてあなた(がた)を照らし/あなた(がた)に恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて/あなたに平安を賜るように。(民数記6:24〜26)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった17名、同時に視聴された19名、計36名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

配信終了後、受付で御了承いただいた新来者と集まったご遺族のご紹介をし、礼拝後に、希望される方の納骨式を墓前礼拝と合わせて短く行う予定です。ご一緒できる方は、感染症対策にご協力いただき、共に、祈りと賛美を合わせられたらと思います。

 

なお、本日は「ぎふ信長まつり」の開催のため、交通規制がかかっています。受付に、交通規制を記したマップが置いてありますので、必要な方はご利用ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。