ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『愛があったらできますか?』 コリントの信徒への手紙一12:27〜13:7

日曜礼拝 2022年9月11日


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案 内

華陽教会では、感染症の拡大を受け、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名に調整して、配信と並行して礼拝を行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

わたしは人間の綱、愛のきずなで彼らを導き/彼らの顎から軛を取り去り/身をかがめて食べさせた。(ホセア書11:4)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌二編58番「いかなればきみはかく」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。先週は、関西学院大学神学研究科から来られた、大仁田空神学生の夏期派遣実習を導いてくださり、感謝いたします。どうか今、残りの実習も豊かな学びと恵みが得られるように、最後まであなたが導いてください。

◆私たちの神様。全国の幼稚園、保育園へ通う子どもたちと保護者、先生やスタッフの上に、あなたのお守りとお支えがありますように。どうか今、子どもたちが事故や怪我から守られて、安心して過ごせるように助けてください。

◆私たちの神様。災害からも、貧困からも、一人一人が救われるように助けてください。どうか今、戦争や紛争から解放され、飢餓や疫病から抜け出し、和解と平和を得られることができますように。私たちの思いと言葉と行動を変えてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。コリントの信徒への手紙一12:27〜13:7(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編62:2〜13(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の503番「ひかりにいます主」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

Ben KerckxによるPixabayからの画像

メッセージ

愛があったら、忍耐強く、情け深く、ねたむことなく生きられる。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだつことも、恨みを抱くこともない。愛があったら、正義から外れることを悲しみ、うそ偽りないことを喜び、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える……。

 

「愛の賛歌」とも呼ばれるこれらの言葉は、美しく、力強い表現であふれていますが、同時に、私たちの自信を失わせます。ちょっと聞くだけでも、ここからかけ離れた自分の姿に直面させられるからです。忍耐強くない自分、情けをかけられない自分、妬みや嫉妬にまみれた自分、勝手なことばかり言う自分、いらだちや恨みをぶつける自分……。

 

正しいあり方から外れ、うそや偽りを語る自分、辛いことを我慢できず、何も信じることができず、望みを全然見出せず、何かに耐えられない自分……愛があったら、それらを変えられるというなら、自分の中には愛がないか、愛が欠けている状態か、あるいは、見せかけの愛しか持ってないのかもしれません。

 

もし、私の中にあるのが、本当の愛であるならば、まだまだ、辛いことに耐えることができるはず……もし、私が本当の愛を持っていれば、見返りを求めず、いらだちを抑え、我慢することができるはず……もし、私が本当の愛を持てるなら、恨みや嫉妬から解放され、もっと思いやりを持てるはず……。

 

実際、使徒や預言者のように「神様の言葉を聞ける」という者から、こう言われることがあるかもしれません。「身の回りにある悪いことは、愛を持ったら変わっていく」「あなたが心を愛で満たせば、何もかも上手くいき始める」「あなたを責める人、傷つける人、苦しめる人に、愛を向けなさい」「愛があったら耐えられます」

 

よく考えたら、自分自身も誰かに言ったことがあるかもしれません。暴言や暴力に苦しむ人へ「あなたが愛をもって接すれば、相手も変わっていくはずだ」とか、差別や偏見に悩む人へ「理解してもらいたいなら、怒りを捨てて愛を持とう」とか、無視や裏切りに遭った人へ「愛があったら乗り切れる」とか……自分じゃ責任を持てない言葉。

 

愛と言えば、自己犠牲が思い浮かんでしまう私たちは、我慢すること、耐え忍ぶこと、自分を犠牲にすることが、愛の証明だと思い、愛を重ねることだと思い、その道を突き進んだ末、何も回復しないまま、潰れてしまうことがあります。自分の内面さえ、心さえ何とかすれば……思い一つで、愛さえ持てたら……全てが解決されると期待します。

 

しかし、厄介なことに、愛って心の持ちようじゃないんです。愛って関係性なんです。自分だけ頑張れば成り立つものでも、自分一人変われば生まれるものでもないんです。神様が、イエス様が、「互いに愛し合いなさい」と命じたように、愛って「互いに」築くものなんです。

 

自分に対しても、相手に対しても、一方的に我慢や犠牲を強いるものではないんです。誰かに対する愛は、自分を貶めるものでも、自分を蔑ろにするものでもないんです。それは、愛ではなく、自らを人の支配下に置く行為なんです。また、愛という表現で、誰かを人の支配下に置く無邪気な言動も、従っていいものではないんです。

 

もし、暴力を受けている人に忍耐を求め、暴力を振るう人に何も求めないなら、それは愛に基づく言葉じゃないんです。変え難い誰かに向き合うことを避けるための反応なんです。加害者に何も改めさせず、被害者にだけ問いかける行為なんです。それは、罪や汚れがあると言われた人のために、祭司長、律法学者、男たちに向き合ったイエス様の姿勢とは、異なる態度です。

 

「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル」……そんな言葉が、今日読んだ手紙の中に出てきます。異言って、今でも議論はありますが、人から来た言葉ではなく、神から来た言葉だとされています。天上から、神からもたらされた言葉が、騒がしく、やかましいだけの音になる。

 

それって、まさに、神様から来た言葉である、聖書の言葉も同様です。愛がなければ、ここに書かれている言葉は「さわがしいどら」「やかましいシンバル」になります。使徒の言葉も、預言者の言葉も、教師の言葉も、信徒の言葉も、たとえ、聖書から引いたものであっても、無に等しい、何の益にもならない騒音に成り果てます。

 

愛は、あなたが一人で頑張って捻出するものではありません。愛は、あなたの中に入ってくるイエス様です。あなたを自分の一部とするイエス様が、あなたを満たし、あなたから溢れ出させていくものです。キリストは忍耐強く、情け深く、妬むことなく、自慢せず、高ぶらないで、弟子たちに接しました。今、キリストは、あなたの中にも入ってきて、あなたを信じ、あなたに期待し、あなたを自分の体とします。

 

愛は、あなたが一人で実行するものではありません。キリストが立てられた一人一人と共に築き上げていくものです。神様は、教会の中に色々な人を招き、受け入れ、新しく立てられます。あなたを苦しめるものから守る人、あなたと一緒に立ち向かう人、あなたが支える人を、この教会に立てています。

 

愛は、キリストの体である私たちが、共に聞き、共に分け、共に語っていくものです。あなただけに背負わされる課題ではありません。愛は、あなたを一人で歩かせる道ではありません。あなたと私と私たちが、一緒に誰かと向き合って、一緒に歩んでいく道です。一緒に聞き、学び、働きかけていくイエス・キリストの道なんです。

 

どうか、私の語る言葉が「やかましいシンバル」に成り果てないよう、私たちの伝える教えが「騒がしいどら」に成り果てないよう、あなたの道連れにしてください。キリストの体の一部として、私を頼り、あなたを頼らせてください。共に立てられている仲間を、キリストの弟子にさせてください。共に最高の道を歩めますように。

 

讃美歌

オンライン賛美歌24番「イェスは今日あなたを」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろから2ページ目をご覧ください)

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の頌栄25番「父・子・聖霊に」を歌います。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。(コリントの信徒への手紙一12:27)

 

祝 福

平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。(エフェソの信徒への手紙6:23〜24)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった13名、同時に視聴された15名、計28名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

華陽教会では、引き続き9月末まで、感染症対策のため、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名の計10〜15名で集まる『調整型小規模礼拝』を行います。教会員の方は礼拝出席希望表や牧師とのメール、電話で、出席する日を調整していきます。

 

新来者の方も、毎週一家族分、出席できるように枠を用意しています。始めて教会に来る方は、日曜日は問い合わせなしで参加できるので、ぜひお越しください。また日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。