ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『金持ちは救われない?』 ルカによる福音書16:19〜25、ヤコブの手紙2:1〜9

日曜礼拝 2023年10月1日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

見よ、その日が来れば、と主は言われる。耕す者は、刈り入れる者に続き、ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。山々はぶどうの汁を滴らせ、すべての丘は溶けて流れる。(アモス書9:13)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌Ⅱ編の26番「ちいさなかごに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆癒しと回復をもたらす、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今週も、病気や怪我、障害や衰えに苦しんできた方々へ、あなたの慈しみがありますように。どうか今、適切な治療やサポートがもたらされ、回復の希望を持つことができるように、私たちを遣わしてください。

◆私たちの神様。今週も、環境の変化や人間関係、事故や災害などのトラブルに苦しんできた方々へ、あなたの憐れみがありますように。どうか今、何をどうすべきか、何ができないかを正しく認識し、健全に支え合うことができるように、私たちを用いてください。

◆私たちの神様。今週も、不安や恐怖、悩みや葛藤に苦しんできた方々へ、あなたの励ましがありますように。どうか今、「過度に」ではなく「正しく」恐れ、楽観でない希望を得て、新しく歩むことができるように、私たちを立たせてください。

◆あなたの平和が実現し、あなたの栄光が現され、あなたのお名前が、褒め称えられますように。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書16:19〜25、ヤコブの手紙2:1〜9(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編73:21〜28(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の141番「主よ、わが助けよ」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

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メッセージ

貧しい人々は救われ、金持ちは救われない……聖書には、そんな物言いが、たとえ話がけっこうたくさん出てきます。もともと、この世で財産に恵まれること、裕福になることは、神様に祝福された証として受け取られていました。たくさんの財産に恵まれた、アブラハムやイサク、ヤコブの他にも、ダビデやソロモンなど、事例はいくつも出てきます。

 

ところが、イエス様は弟子たちに、「金持ちが天の国に入るのは難しい」と言ったり、「らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言ったりします。天の国の宴席に、できものだらけの貧しいラザロは招かれて、金持ちは宴席に着けないたとえを語ります。ヤコブの手紙にも、神の国を受け継ぐのは、富んでいる者ではなく、貧しい者だと書かれていました。

 

「神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさった……」一方で、金持ちは貧しい人々を辱め、信仰者を酷い目に遭わせ、裁判所へ引っ張っていくと糾弾されています。確かに無実の人を陥れたり、弱っている人を辱めたりする悪人が、そのまま救われたら嫌でしょう。

 

けれども、ヤコブの手紙を受け取った教会の人々は、果たして、教会へ来た金持ちから酷い仕打ちを受けていたんでしょうか? むしろ、会堂建築や修繕費用、教師の謝儀や伝道費など、助けてもらうことの方が多かったんじゃないでしょうか? 使徒言行録に描かれる初代教会も、たいてい、裕福な商人や貴婦人に助けられています。

 

そんな中、金持ちが救われないたとえ話や、富んでいる者を悪人のように語ることは、ちょっと気まずい感じがしてきます。もし、今日の礼拝に、市長や社長がやって来たら、議員や資産家がやって来たら、居心地を悪くさせないか心配になってくるでしょう。あるいは、自分が金持ちに見られたら、裕福に見られたら嫌だな……と感じてくるでしょう。

 

イエス様の言うとおり、金持ちが天の国に入るのは難しいなら、富んでいる者が救われることはできないなら、全ての財産を売り払って、献金しなければならないんでしょうか? 確かに、それを勧めているように聞こえる箇所も出てきます。しかし、それでは、どこかの宗教カルトと一緒です。搾取するだけの霊感商法になってきます。

 

また、神様は貧しい人たちを敢えて選んで、信仰に富ませ……と出てきますが、現実はどのように見えるでしょうか? 貧しい人たちも、裕福な人たちと同じく、良い人もいれば、悪い人もいます。礼拝中に、なけなしの硬貨をささげる人もいれば、献金箱から金を取って、ポケットに入れる人もいます。

 

静かに話を聞く人もいれば、酒に酔って礼拝を邪魔する人もいます。教会でたくさんの人に助けられ、信仰に導かれる人もいれば、裏切って、トラブルを起こし、逃げていく人もいます。単純に、貧しい人は信仰に富んでいるとも、裕福な人は信仰が欠けているとも言えません。

 

実際、イエス様のたとえ話も、貧しい者と金持ちが、綺麗に分断された話じゃありません。財産に恵まれ、裕福だったことで有名なアブラハムが、貧しいラザロと一緒に、宴席に着いている……「繁栄した者」の代名詞であるアブラハムが、天の国の宴席についている。どうやら、単純に金持ちが悪者にされているわけじゃなさそうです。

 

実は、金持ちとラザロのたとえ話は、この世で貧しかった者と裕福だった者が対比されているように見えますが、財産に恵まれた者同士である、アブラハムと金持ちの対比になっているんです。アブラハムは、貧しかったラザロを自分のすぐそばへ招き、一緒に食卓へ着きますが、金持ちは最後まで、ラザロと直接話そうとしませんでした。

 

自分からラザロへ話しかけたり、お願いしたりすることはなく、終始、アブラハムにだけ話しかけ、アブラハムからラザロへ命じてもらうように頼みます。どこまでも、ラザロと関わろうとしない、彼の態度が露わにされます。ヤコブの手紙が送られた教会も、みなしごや、やめもが困っているのに、何もしないで無視していることが問題にされました。

 

身なりの整った裕福な人は、礼拝の席へ案内するのに、汚らしい服装の貧しい人は、礼拝の席へ案内せず、「そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言ってしまう、誤った態度がありました。なぜ、彼らを案内しないのか? なぜ、彼らを無視しているのか? あなたたちの隣人とは、彼らのことではなかったか?

 

手紙の著者は、「隣人を自分のように愛しなさい」という掟に触れて、イエス様が語った善いサマリア人のたとえを思い出させます。あなたは、強盗に襲われて倒れている人を、無視して通り過ぎる祭司やレビ人にならうのか? それとも、民族間で争いながらも、倒れたユダヤ人を憐れに思って助けてくれた、サマリア人にならうのか?

 

今日は、世界聖餐日でもあります。聖餐式は、信仰者が信仰者であり続けるための式であり、世界聖餐日は、世界中の教会が、聖餐を通して、キリストにある交わりを確かめ、全教会の一致を求めて制定されたものです。実は、この背景には、ソビエトとアメリカを筆頭にした、東西の冷戦がありました。

 

ソビエトの側につくのか、アメリカの側につくのか、共産主義に立つのか、資本主義に立つのか……その対立を前にして、互いに声をかけられない、互いに手を取り合えない関係が、キリスト教会の中でも起こっていました。同じ信仰を持っているのに、話しかけない、支え合わない、無視してしまう。

 

そんな中、自分たちの違いを盾にしないで、「隣人とは誰か」「隣人になるとはどういうことか」教えてくれたイエス様を思い起こそう。もう一度、みんなで食卓を囲もう。人を分け隔てなさらない、神様の愛を分かち合おう……そうやって、続いてきた聖餐に、今年もあずかろうとしています。

 

貧しい者か、富んでいる者か、異邦人か、ユダヤ人か、初めて来た人か、ずっといる人か、同じ教派か、違う教派か……私たちの間には、いくつも隔たりがあるように見えますが、あらゆる隔たりを揺り動かし、叩き壊し、和解と平和をもたらす神様が、これまでもこれからも、私たちを新たにしていきます。

 

「もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:23)そう、私たちは一つです。一つになり得ない民を、一つにしてくださる神様が、ずっと間に立っています。

 

さあ、用意された食卓を囲み、信仰を新たにされ、祝福を分かち合いましょう。公に、信仰を告白してない方も、私たちから良い知らせを受け取ってください。あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように。あなた自身も、天の国、神の国で宴席につくその日まで、希望を持って、待ち望むことができますように。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌8番「何も変わらないと(B)」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖 餐[1]

御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。本日から、聖餐式も通常の形に戻して行います。感染リスクを避けるため、パンとグラスを取る際は、必ず自分の手で触れたものだけを手に取って、他の人の分は触らないようにお願い致します。

 

讃美歌

最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、食事の席で、主は約束されました。「前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる」

 

主は、弱っている者を励まし、閉じこもっている者を力づけ、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯を配る)

 

オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、この場にいる人のために、神の祝福を祈りましょう。

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、(着席のまま)讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」4節を歌いましょう。

 

讃美歌

「派遣」の賛美歌92番「主よ、わたしたちの主よ」3節を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6)

 

祝 福

どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。(テサロニケの信徒への手紙一5:23)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週の日曜日も、三密を避けた会衆礼拝を配信と並行して行います。教会に来られる方は賛美中のマスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。

 

[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。