在宅礼拝 2020年4月19日
招 詞
あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びにあふれています。(ペトロの手紙一1:8)
讃美歌
讃美歌329番「目覚めよ、歌えよ」を歌いましょう。(動画では権利関係に配慮して歌いませんが、『讃美歌21』をお持ちの方はぜひ、この賛美を味わいつつ、御言葉を受け取る準備をしましょう)
お祈り
共に祈りを合わせましょう。
◆復活と希望の主である私たちの神様。在宅礼拝を始めてから2週目の日曜日を迎えました。どうか今、家庭で、職場で、施設で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆主なる神よ、感染症の影響で、外に出られず、休息もできず、不安と苛つきが募る中、誰かを傷つけ、また誰かに傷つけられてしまった人を覚えます。どうか今、一人一人の痛みと苦しみを癒してください。
◆主なる神よ、あなたはこの一週間、様々な喜びを与えてくださいました。閉塞感が漂う中も、新しい発見、新しい挑戦が誕生しました。どうか今、暗闇を照らすあなたの光に、みんなが加えられますように。
◆主なる神よ、新しい命が誕生し、病が快方へと向かい、様々なつながりを与えられた人がいます。どうか今、孤立と喪失を体験した人も、これらの変化と回復が訪れますように。
◆主なる神よ、この礼拝によって、私たちを新しくしてください。あなたから受けた恵みと慰め、励ましを、他の人にも分けさせてください。どうか今、身近な人、助けが必要な人のために、私たちにつながりを与え、用いてください。
◆主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書20:19〜29
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
メッセージ
ハブられた人たち
「ハブられる」って言葉を知らない人は、もうあまりいないですよね。いわゆる村八分状態、一人だけ仲間外れにされる。みんなから無視され、ものごとを共有されず、どんどん孤立してしまう。学校で、職場で、近所で、家庭で、自分もそうならないか、しばしば不安に襲われます。
自分だけLINEの連絡が届かない。自分だけ遊びに誘ってもらえない。自分だけみんなといないときに盛り上がる。私一人みんなと違う状況。私のみ置いていかれる状態……こんなの一度でも経験したら、周りが信じられなくなりますよね?
ところが、まさに今、「ハブられた」とも言える状況に身を置いている人がいます。それも、教会というつながりの中で、信仰者という輪の中で、自分だけ置いていかれた人たちが……そう、自宅待機させられ、ネットもできず、礼拝の配信に参加できない人。この状況についていけず、置いていかれた人たちです。
他の人が礼拝の動画を見て、そのメッセージを共有する中、自分は一人で聖書を読み、一人で讃美歌を歌い、一人で神様に祈る。誰かと交わることもなく、誰かが訪ねることもない。孤独で寂しい日曜日。そのうち聖書を開かなくなり、祈る気力もなくなって、自分の信仰生活は、終わりを迎えてしまうのか?
何で今、神様の言葉を一番必要とする私には、その機会が与えられないのか……せっかくイースターを迎えたのに、イエス様の復活を聞いたのに、私にはその実感が伴わない。だって、喜びを共有できないから。私だけ、つながりがもたらされないから。
ハブられたトマス
この状況、誰かとものすごく似てますよね? そう、もうお分かりのとおり、イエス様が弟子たちの家に現れたとき、一人だけそこにいなかったトマスと同じ。自分だけ、イエス様と出会えなかった。自分だけ、喜びを分かち合えなかった。
これってイエス様に嫌われたから? 私がいないとき、敢えてみんなに現れた? ハブられることに敏感な私たちも、トマスに思いを重ねます。私のことはどうでもよくて、見向きもされないんだろうか? このまま置き去りにされるのか?
口々に「イエス様が来た」と話す弟子たちに、思わずトマスはこう言います。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」
この気持ち分かりますかね?……分かりますよね?……イエス様が現れたとき、家にいなかった自分が悪い、そう言われている気分です。動画がUPされたとき、パソコンの前に座れない私は、スマホの操作もできない私は、見向きもされない者なんですか?
社会にも教会にも置いていかれた。仲間のみんなに置いていかれた。それこそ特別なことが起きなければ、本当に無視していないと分からなければ、私はもう、みんなとイエス様を信じられない。一緒に信仰を共有できない。
トマスの要求は、自分とイエス様の距離を知るための非常に切実な叫びです。近くであなたを見させてください。自分の傷口に触らせるほど、心許していると言ってください。彼の言葉は自分勝手だなんて言えません。愛する者との再会を切実に望む叫びです。
そんな彼に対し、イエス様はすぐ会いに来てくれるのか? いえいえ、なんと再会するまで8日もかかってしまいます。一週間放って置かれたことが不憫です。この8日間ってすごく長かったでしょうね。自分はずっと置いていかれたままなんだと、半ば諦めていたかもしれません。
再び出会う人たち
しかし、確かにイエス様はやって来ました。それも今回は明らかにトマスのためです。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」
あなたの要求を実現するため、あなたの願いを叶えるために、私は再びやって来た。無視されていると思った願い、聞かれていないと思った訴えも、私はちゃんと聞いている。あなたも共に喜びなさい!
実は、教会というつながりの中、信仰者という輪の中で、置いていかれた人たちは、今回会堂に集まれなくなった、ネットを見られない人たちだけではありません。長年、病気のため、仕事のため、家族のケアのため、礼拝に行けない人たちがいました。
何とかして、聖書のメッセージを聞きたい。だけど、日曜日、教会という場にいない私は、きっと見向きもされないだろう……そう思っていた人たちに、この騒動をきっかけにして、多くの教会から礼拝の配信が届くようになりました。
こうなるまで、長い時間がかかりました。8日なんてもんじゃありません。8年、あるいは数十年待った人もいるかもしれません。今まで、イエス様のメッセージと出会えなかった人たちに、ようやくその時がもたらされました。今こそ再会のときなんです。
そう、イエス様は、たった1人で泣いていたマグダラのマリアに、たった2人でエマオに向かっていた弟子たちに、たった1人で待っていたトマスに、復活した姿を見せに来ました。3日かかろうが、7日かかろうが、それからさらに8日かかろうが、イエス様は必ずあなたに会いに来ます。
だから、信じない者ではなく、信じる者になりなさい。
主の祈り
共に、主イエス・キリストが弟子たち教えた最も基本的な祈りを祈りましょう。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
讃美歌
讃美歌432番「重荷を負う者」を歌いましょう。(こちらも、権利関係に配慮して動画内では歌いませんが、『讃美歌21』をお持ちの方は、ぜひ、賛美に込められた応答の思いに心を合わせましょう)
とりなし
神の祝福にあずかった者として、とりなしの務めを果たしましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。
◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
神がわたしたちを憐れみ、祝福し
御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。
あなたの道をこの地が知り、
御救いをすべての民が知るために。アーメン。(詩編67:2〜3)