ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『魚さえ獲れなかったのに』 エレミヤ書1:4〜10、マルコによる福音書1:14〜20

日曜礼拝 2022年1月16日


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案 内

華陽教会では、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。(使徒言行録9:15)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌457番「たのしきこえを」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。昨日と今日は、多くの受験生が試験の日を迎えています。朝から緊張している子どもたちに、あなたのお守りとお支えがありますように。どうか今、一人一人の努力が報われて、新しい道が開かれますように。

◆私たちの神様。来週は、前奏から後奏まで、一つ一つの要素を説明していく「オープン礼拝」を行います。初めて教会に来る人や配信を見る人に、礼拝の流れを分かりやすく説明します。どうか今、私たち自身も礼拝の諸要素を豊かに味わうことができますように。

◆私たちの神様。新型コロナの第6波で、再び感染者が広がっています。一部の地域では既に教会に集まることが困難になっています。どうか今、ここに集まった人たちも、それぞれの場所から礼拝している人も、健康と安全が守られますように。

◆人と人との間に居られる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。エレミヤ書1:4〜10、マルコによる福音書1:14〜20(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編100:1〜5(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の401番「しもべらよ、み声きけ」を歌います。(お立ちください)

 

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Quang Nguyen vinhによるPixabayからの画像

メッセージ

神の子であるイエス様が、宣教を開始されたとき、最初に選ばれた弟子たちは、ガリラヤで漁師をしている4人でした。シモン・ペトロとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ……4人とも、イエス様に呼ばれるとすぐ、打っていた網を捨て、父親や雇い人たちを残し、イエス様の後について行きます。

 

「わたしに従いなさい」「わたしについて来なさい」そう言われたら、ためらうことなくすぐに従う忠実さ、迷うことなく弟子になる決断……それこそが、模範的なキリスト者であり、信仰的な強さだと、捉えられています。おそらく、これが初対面だったイエス様と弟子たち……ものすごくドラマティックなシーンですよね。

 

でも、私はこの場面を見ると、どうしても、小学生の頃、注意された話を思い出さずにはいられません。「知らない人について行ってはいけません」「何かあげると言われても、ついて行ってはいけません」……大人になってからも、急に呼びかけてきた人を、無条件に信頼することは、愚かな行為だと言われます。詐欺やトラブルの種だからです。

 

普通は、信頼していい人間か、危険な人物ではないか、見定めてからついて行きます。でも、弟子たちが声をかけられたのは、イエス様が活動を初めてすぐ、ガリラヤへ来た直後でした。まだ、この人の目的や背景も、よく分かってないときでした。甘い条件を出されても、ついて行くのは慎重になるべきです。

 

ところが、弟子たちはびっくりするほどあっさりと、イエス様について行きます。それも、仕事道具の網を捨て、父親や雇い人たちを残し、何もかも放り出すようにしてついて行きます。模範的な態度というより、無謀に見えます。相手がオレオレ詐欺の掛け子だったら、あっという間に被害に遭ってしまうでしょう。

 

彼らにとって、「イエス様の弟子になろう」と一瞬で決めるほど、魅力的な呼びかけがあったんでしょうか? 良い条件や報酬を提示されたんでしょうか? 改めて読んでみると、イエス様のかけた言葉はとてもシンプルです。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」……ただそれだけ。巧みな話術も、心理操作もありません。

 

不思議な台詞ですよね? 「人間をとる漁師にしよう」……そうなることを求めている人って、どのくらい居るんでしょう? 聖書には、弟子たちが一晩中網を打っても、一匹も魚が獲れなかったシーンが度々登場します。漁をしている人間にとって魅力的なのは、魚が安定して獲れることです。「人間をとる」ことを目指す漁師は、おそらくいません。

 

にもかかわらず、弟子たちはこの言葉を聞いて、すぐイエス様について行きます。「人間をとる漁師にしよう」という言葉が、何を指すのか理解していたかも分かりません。彼らはこの後、イエス様のやることなすこと理解できず、トンチンカンな質問をし、イエス様に従うどころか、皮肉を言ったり、たしなめようとする姿もさらしていきます。

 

彼らの信仰が強かったから、模範的な信仰だったから、イエス様にすぐ従えた……とはだんだん言えなくなってきます。他ならぬイエス様から「信仰の薄い者」と言われたり、「なぜ信じないのか?」と叱られたり、実を言うと、彼らも私たちと変わらないくらい、イエス様についていくのが困難な人でした。

 

そりゃそうですよね。彼らは、普段の仕事や日常生活にだって困難を覚えます。嵐に遭い、転覆しかけ、一晩中魚が獲れなくて、朝方は疲れ切っている……長年営んできた漁師の仕事も、満足にできないことが多々あります。「人間をとる漁師」どころか「魚をとる漁師」としても、一人前とは思えない日が頻繁にある。

 

信仰の話を抜きにしても、彼らは特別、思いやりが強かったり、賢かったり、勇気がある「人格者」ではありませんでした。熱くなりやすく、調子に乗りやすく、喧嘩になりやすい人たちでした。知れば知るほど、分からなくなります。なぜ、そんな弟子たちが、あのとき、イエス様の言葉にパッと従えたのか? すぐついていくことができたのか?

 

下手すれば、警戒心のない愚かな人間だったから……とさえ思えてしまいます。信仰深さというより、非日常的な呼びかけに、舞い上がったのかもしれない。イエス様でなくても、それっぽい教祖に呼ばれたら、ついて行ったのかもしれない。「自分は選ばれた者だ」という優越感に、浸りたかっただけかもしれない。

 

実際、弟子たちは誰が一番偉いかで、よく議論になりました。過激な政治運動に身を投じている人もいました。イエス様を革命の指導者として持ち上げたかった人もいました。もともと彼らの中にあった「信仰深さ」は、破壊的カルトや熱狂主義に陥りやすい、危うい「信仰」だったのかもしれません。危険な「忠誠」だったのかもしれません。

 

そんな危うい人たちを、イエス様は自分の弟子として選びます。神様の教えと業を伝える者として育てます。イエス様と一緒に過ごしながら、弟子たちも、だんだん自分の勘違いや無理解に気づき、ショックを受けていったでしょう。信仰心だと思っていたものが、実は違ったかもしれない。信じたいものを信じるだけの愚かな態度だったかもしれない。

 

イエス様が示す、本来の、健全な信仰には、あの時も、この時も至っていなかった……そんな自分を振り返りながら、弟子たちは色んな村や町へと遣わされます。危うい信仰を持っていた自分に、なぜかイエス様は付き合い続け、信頼して送り出します。彼らは、伝道に遣わされる中、人々にイエス様の教えと業を語る中、こう思ったことでしょう。

 

「あの日も、あの夜も、自分には魚さえ獲れなかったのに、人々の心をとらえるなんて無理な話だ」「本当は、伝道に遣わされるような者じゃない」「みんなに信仰を分けられるほど、自分の信仰は確かじゃない」……ところが、危うい信仰だった彼らは、挫折し、失敗し、間違えながらも、キリストの体である教会を、少しずつ形にしていきます。

 

どこまでも付き合ってくださるイエス様に励まされ、危うい信仰から健全な信仰へと変えられて、人々の心をとらえていきます。弟子たちは模範的な信仰だったからイエス様に選ばれたわけでも、常に信仰的な正しさを持っていたわけでもありません。むしろ、危うい信仰の持ち主でも、イエス様は弟子としてふさわしくなるよう付き合ってくださいます。

 

そう、あなたもまた、イエス様から「人間をとる漁師にしよう」と呼びかけられている一人です。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌6番「戻らないせかいで」(©︎柳本和良)を歌います。(お立ちください)

 

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使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

(ご着席ください)本日も初めて来た方、久しぶりに来た方と、礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信に乗らないように、新来者カードでご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。今日初めて配信を見ている方にも、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

(お立ちください)共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた献金封筒をお使いください。

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。今から後、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄29番「天のみ民も」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

今、行きなさい。わたしはあなたを遣わす。(『讃美歌21』93-6 ① 出エジプト記3:10より)

祝 福

願わくは主があなた(がた)を祝福し、あなた(がた)を守られるように。願わくは主がみ顔をもって/あなた(がた)を照らし、あなた(がた)を恵まれるように。願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように。(民数記6:24〜26より)

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった17名、同時に視聴された8名、計25名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜日は、前奏から後奏まで、一つ一つの要素を説明していく「オープン礼拝」を行います。例年、午後から礼拝研修会を持っていますが、今年も感染症対策のため、長時間集まることは避け、YouTubeの配信という形でオンライン研修会をする予定です。

 

オンライン研修会のテーマは、『旧讃美歌』『讃美歌21』『オンライン賛美歌』の使用と目的について、「聖餐式」と「愛餐式」についてです。改めて礼拝の持ち方について、みんなで考えられたらと思います。それではまた、日曜日まで、神様の平和がありますように。