ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『愛してないと思われた』 コリントの信徒への手紙二11:7〜11

日曜礼拝 2023年9月3日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や、お疲れの方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。本日は、1月から延期していた礼拝研修会を行います。

 

午前中の礼拝は、オープン礼拝として、前奏から後奏まで、一つ一つの要素を説明しながら進めていきます。共に、礼拝の意味を味わいながら、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

最初に、前奏を聞いて心を静めましょう。前奏は、礼拝の開始を告げる音楽です。奏楽者は、その日の教会暦や行事に合わせて曲を選び、会衆が礼拝へ参加しやすいように、その日に歌う讃美歌も、礼拝が始まる少し前から流してくれることもあります。

 

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。(ルカによる福音書14:11)

 

招詞(招きの言葉)は、礼拝に集まった人たちへ、神の招きを告げる聖句です。司式にあたる人は必ずしも聖書箇所まで告げる必要はありません。この言葉は、その日の教会暦やメッセージに即したもの、あるいは、聖書日課で指定されている聖書箇所から選ばれます。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌Ⅱ編の26番「ちいさなかごに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

最初の讃美歌は、神の招きに対する応答の賛美です。礼拝委員会で季節毎にふさわしいものを選びます。讃美歌は立って歌われることが多いですが、座ったままでも大丈夫です。差し支えない方は、お立ちください。共に賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

 

開会の祈祷は、神の前に立った会衆が聖書の言葉を受けとめる準備をします。たとえば、自分の罪を告白して、神の憐れみを願い、神による罪の赦しを聞き、神の栄光をたたえて、聖霊の導きを求めます。最後の「アーメン」という言葉は、「本当にそうです」「本当にそうなりますように」という意味のヘブライ語で、祈りを合わせる全員が唱和します。共に、祈りを合わせましょう。

 

呼びかけ

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

 

罪の告白

◆私たちの神様。私たちはこの一週間、思いと言葉と行いによって罪を犯し、あなたを悲しませてしまいました。どうか今、私たちが傷つけた人、怒りをぶつけた人を癒し、回復させてください。

 

憐れみの賛歌(キリエ)

◆私たちの神様。私たちはこの一週間、自分自身も傷つけられ、痛みと苦しみを覚えてきました。どうか今、私たちの心と体の傷を癒し、変化と回復をもたらしてください。特に、様々な事情で、一緒に礼拝できない人たちを力付けてください。

 

赦しの言葉

◆私たちの神様、あなたは心から悔い改め、あなたに立ち返る全ての人を赦してくださいます。どうか今、ここに連なる一人一人をあなたが憐れみ、全ての罪から清め、永遠の命を受け継ぐ者としてください。

 

頌栄(グローリア)

◆私たちの神様、あなたは後悔する者に癒しを、責める者に希望を与えてくださいます。本来なら、恵みを受け取れない者が喜べるように、変化と回復をもたらします。どうか今、天の上にも地の上にも、あなたの栄光が現されますように。

 

聖霊の導きを求める祈り

◆私たちの神様。あなたは心に平安をもたらし、大切な言葉を与えてくださいます。どうか今、心を乱す様々な事柄に惑わされず、あなたの声を聞かせてください。これからのち、新しい人として主に仕え、あなたの栄光を現すことができますように。

 

結び

◆私たちを新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。

 

聖書朗読は、神の語りかけを聞くときです。主に聖書日課で指定されている【旧約】【使徒書】【福音書】の中から選ばれます。礼拝の中心は神の言葉なので、できるだけ、この3つ全てを読むことが望ましいです。

 

どれかを省略しなければならないときは、クリスマス前の日曜日には【旧約】が、クリスマスからペンテコステ前までは【福音書】が、ペンテコステからアドヴェント前までは【使徒書】か、それに準ずる新約の文書が、なるべく読まれるようにしています。聖書についている見出しは箇所を見つかりやすくするもので、礼拝の中では読み上げません。

 

コリントの信徒への手紙二11:7〜11(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編31:15〜19(新共同訳交読詩編より抜粋)

 

交読文は、聖書の言葉を聞いた会衆が祈りへ導かれるように、詩編の言葉を司式者と会衆で交互に唱えていくものです。詩編の箇所も、聖書日課で指定されているものを選んでいます。『交読詩編』か、交読詩編付きの『讃美歌21』を持っている方は、一段下がったところと太字のところをお読みください。司式者は、会衆が読むところを間違えないように、テンポよく読むようにします。詩編31:15〜19

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の61番「われらは信ず」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

メッセージ前の讃美歌は、神の言葉を受けとめるため、教会暦や聖書箇所に即した歌が選ばれます。今回は、悲しむ者を支え励まし、悩む者に平和を与える、父・子・聖霊なる神を讃えて賛美します。讃美歌21の61番。

 

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メッセージ

本日は、「愛してないと思われた」と題して柳本伸良牧師にメッセージをしていただきます。

 

メッセージは、朗読された聖書の意味を解き明かし、神の言葉を受けとめる時間です。「説教」や「宣教」とも呼ばれます。牧師は、聖書箇所の文脈や出てくる単語の意味を調べ、現代の会衆に語られているメッセージを伝えます。教会の信徒が信仰に至ったきっかけや、聖書の言葉に助けられた体験を話す【信仰の証(奨励)】をする場合もあります。本日は、牧師からメッセージをさせていただきます。

 

 

前奏から始まって、招詞、賛美歌、お祈り、聖書と、それぞれの要素について、一つ一つ説明を聞きながら礼拝に参加していると、一時間前後の礼拝で、けっこう色んな準備が必要だと分かってきます。教会暦や聖書箇所に合わせて、どんな前奏を弾き、どんな賛美歌を選び、どんなメッセージを語るのか……迷い、考え、悩みながら用意する。

 

これを毎週行っている奉仕者がいます。多くの場合、日曜日の礼拝で、聖書の言葉、神の言葉を告げ知らせるのは、牧師の役目と思われます。良い知らせ、福音を語る働きをしているのは、聖職者だと思われます。しかし、礼拝で、神の言葉が語られるのは、司会、奏楽、配餐などを、毎週、毎月、用意して、練習している奉仕者がいるおかげです。

 

彼らの多くは、自分を低くして、無報酬で奉仕をしています。仕事の合間、家事の合間に、次の前奏で何を弾こうか考える。時間を縫って教会へ行き、伴奏の準備や編曲をする。日曜日の朝早くから、聖書朗読のリハをする。遅くまで残って会計報告をつけ、次の礼拝に必要な出金の準備をする。これら全てが積み重なって、福音が告げ知らされています。

 

コリントの信徒への手紙を読んだとき、宣教者パウロの言葉を聞いたとき、私は真っ先に、司会や奏楽を担い、聖餐を整え、会堂を綺麗にしてくれる、皆さんの声が聞こえてきました。「あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせた」……華陽教会でそれを行っているのは、無償で奉仕を担っておられる皆さんでしょう。

 

牧師の私は、コリント教会で報酬を貰わなかったパウロと違って、毎月謝儀をいただいています。地区や教区の研修へ行くときには、教会や教区から、交通費の補助もいただきます。しかし、奏楽の研修や楽譜の購入、銀行と教会を行き来する交通費など、受け取っていない奉仕者や役員はけっこういます。

 

教会でお昼を作るとき、子どもたちにお菓子を包むとき、いくらか持ち出しで用意してきた方もいます。みんなに負担をかけないように、自分が奉仕するための費用まで、黙って出し続けてきた方がいます。平日に、日曜の朝に、会堂やトイレを綺麗して、みんなが気持ちよく礼拝へ出られるように、何の見返りもなく掃除をしてきた方もいます。

 

おそらく、本日読まれた聖書の言葉は、パウロが書いた手紙の言葉は、私から読み上げるよりも、皆さんの口から語られる方がふさわしいでしょう。あなたがたは自分を低くして、神の福音を無報酬で告げ知らせてきました。決して生活が楽ではないときも、お互いに負担をかけないように、精一杯工夫して、奉仕を担ってくださいました。

 

一方で、そのようにしてきた手紙の著者、宣教者パウロが、教会の人たちを愛していないと思われた、非難されたことが、チラッと暗示されています。不思議ですよね? コリント教会のために無報酬で、他の教会からかすめ取るようにしてまでも、自分の生活費を賄って、奉仕してきたパウロに対し、それを非難する人がいたんです。

 

なぜでしょうか? 牧師だったら分かりやすいかもしれません。華陽教会に赴任した私が、華陽教会の牧師なのに、華陽教会でみんながささげた献金から、謝儀を出そうとしても受け取らず、他の教会から援助をもらって生活する……どうして、他の教会の援助は受け取るのに、私たちからは受け取らないのか? 私たちのことが嫌いなのか?

 

愛していないと思われた……それも、無理のないことかもしれません。パウロは以前の手紙で、自分のように、神の言葉、聖書の言葉を宣べ伝えている人たちは、教会から援助を受ける権利があると言っていました。自分の代わりに、誰かを派遣するときも、その人への援助を惜しまないようにお願いしていました。

 

にもかかわらず、コリントの教会では援助を受け取りません。他の仕事と掛け持ちしながら、以前いた教会から生活費を助けてもらいながら、福音を語り続けています。コリントの教会は貧乏だったんでしょうか? いえ、むしろ、宣教者とパトロン関係を結べるような、有力な信者も地元にいました。

 

パウロの他に、会衆を教えていた教師の中には、そういった有力な信徒とパトロン関係を結んで、「大使徒」として生活している人もいました。ひょっとしたら、より有力な信徒と、より多くのパトロンと、関係を結んでいくために、教師の間で、誰がよりふさわしいか、誰が本物の使徒であるか、アピール合戦が行われていたのかもしれません。

 

「私の方が神の教えを守っている」「私の方が律法を厳格に教えている」「あの人は食物規定を守っていない」「あの人は教会の暦が分かっていない」……キリストの使徒を装って、自分のアピールをするために、裁く相手、非難する相手を探してしまう教師たち……それに影響され、自分たちの間でも、律法主義に陥ってしまう信徒たち。

 

パウロがコリントの教会で援助を受けようとしなかったのは、そのようなアピール合戦から距離を取り、ただ純粋に、イエス様の教えと業を伝えるためだったのかもしれません。偽教師や偽使徒のように、権威を纏おうと人を貶め、競争することから、離れるためだったのかもしれません。

 

華陽教会で、礼拝奉仕を担ってきた方々も、自分をアピールするためではなく、純粋に福音を、神様がもたらす良い知らせを、みんなへ伝えるために働いてきました。どの時期に、どの賛美歌を歌うか、どのパンを聖餐に用いるか、牧師一人に任せるのでなく、知恵を絞って、一緒に考えてくださいました。

 

訪問礼拝の形やクリスマス演奏礼拝も、試行錯誤しながら、一緒に作ってくださいました。見えるところでの礼拝奉仕に、直接参加できない方も、電話をくれたり、手紙をくれたり、あるいは、全く隠れたところで祈りを合わせてくださいました。今日の午後にも、礼拝研修会の中で、改めて、福音を告げ知らせる働きをみんなで考えます。

 

皆さんとあずかる礼拝を通して、メッセージを語る私自身も、皆さんから、福音を告げ知らされています。わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、岐阜地区で妨げられるようなことは決してありません。なぜなら、皆さんがキリストを、私たちを、愛していることを、神がご存じだからです。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌1番「枯れた谷に鹿が」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

メッセージ後の讃美歌は、神の言葉を締めくくるのにふさわしい歌を歌います。今回は、私たちへ必要な気づきと力を与えてくださる神様に、今週も、その日、その時、必要な言葉を願い求めて、生きていくことを歌います。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

 

使徒信条は、神の言葉に共鳴して、教会の信仰を告白するキリスト教会共通の信条です。信仰者が何を信じているのか表す便利な要約となっており、一人一人が自分の口で、神様と、イエス様と、聖霊について、集まった人たちに伝える時間でもあります。

 

その性質上、なるべくみんなに分かる言葉で告白するのが望ましいですが、華陽教会では現在も文語の使徒信条を使っているので、『讃美歌21』か、オンライン賛美歌の後方2頁に載っている口語訳を見ながら告白していただけると嬉しいです。使徒信条。

紹 介

華陽教会では、その日、初めて教会に来た方や、久しぶりに礼拝へ集まった方を意識して「とりなし」と「祝福」を行います。それは、この礼拝につながった全ての者が、神の民として招かれた隣人であり、新たに加えられた仲間だからです。

 

みんなの前で紹介されるのを遠慮したい方は、受付の新来者カードの記入欄で「紹介されるか/されないか」を選ぶことができます。連絡先や住所の記入欄は、緊急時の連絡先や集会案内などを希望される場合に使うもので、書いても書かなくても大丈夫です。

 

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

とりなしの祈りは、自分自身がイエス様のとりなしによって助けられていることを覚え、今度はこちらから、周りのため、世界のために、神様へとりなす祈りです。お祈り毎に、沈黙を挟むので、皆さんも、それぞれ思い浮かぶ人のためにお祈りください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

主の祈りは、神の国でイエス様と共に食卓に着く日を待ち望み、キリストの十字架と復活を思い起こす「聖餐式」(パンとぶどう液をいただく式)の準備をする祈りです。イエス様が「祈り方の基本」として弟子たちに教えたものであり、現代でも、どう祈ったらいいか分からない人へ、最初に教えられる祈りでもあります。

 

「祈り方の基本」を伝えるものでもあるため、なるべくみんなに分かる言葉を用いることが望ましいです。華陽教会は、普段は文語訳ですが、現代の言葉で祈りたい人は『日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳』を、昔から馴染みのある文語の言葉で祈りたい人は『讃美歌21の93-5A』を選んで、同時に声を合わせて祈ることもできます。

 

文語と口語で一緒に祈る際は、タイミングを揃えるために、それぞれ(……)のところで一呼吸おいて、お祈りください。主の祈り。

 

 

聖 餐[1]

御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。聖餐式は、神の恵みに感謝して、信仰が新たにされるよう、キリストの十字架と復活を思い起こし、パンと葡萄液を分かち合う式です。

 

信仰を告白した人が、信仰者であり続けるための式であり、やがて来たる神の国で、イエス様と一緒に着く食卓を先取りしたものでもあります。洗礼を受けていない人が、誤ってパンと杯を取ってしまった場合には、非難するのではなく、この食事の意味を伝えます。

 

聖餐式は「神の言葉の見えるしるし」であり、ここに集まった全ての者、あなたの隣に、前に、後ろにいる人へ、あなたの信仰を証しする時間です。パンと杯を受けとる方は、パンと杯を受けない方へ、神様の愛と祝福を祈ってください。

 

讃美歌

最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、食事の席で、主は約束されました。「前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる」

 

主は、弱っている者を励まし、閉じこもっている者を力づけ、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯の入ったケースを配る)

 

オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、この場にいる人のために、神の祝福を祈りましょう。

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、(着席のまま)讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金は、神の恵みに対する感謝の応答です。自分の生き方を神にささげるしるしとして、献げ物を行います。初代教会では、信徒一人一人がパンや飲み物を持ち寄って祭壇にささげ、集まった食事を生活に困っている人たちへ分け与えていました。そのとき集められた一部を聖餐に用いたため、献金と聖餐は、本来セットで行われます。

 

現代では、集めた献金を教会の維持や運営のため、牧師の謝儀(給与)のため、地区・教区・教団の働きのため、福祉や慈善活動のために用いています。あくまで「恵みに対する感謝」としてささげるものなので、金額に定めはありません。どうしても迷ったら「自分と誰かにご飯を分けられるくらい」で考えるといいでしょう。献金の後、係の方が祈りをささげます。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である私たちの神様。今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

派遣の賛美歌、92番「主よ、わたしたちの主よ」を歌いましょう。

 

最後の讃美歌は、会衆が神の栄光をたたえて、礼拝から送り出されていくものです。神の栄光をたたえる「頌栄」の讃美歌が選ばれる他、祝福との関連で「派遣」をテーマにしたものが選ばれます。季節毎に礼拝委員会で話し合って決められます。お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派遣の言葉と祝福は、会衆一人一人が、神様の愛を示していく生き方ができるように、神の祝福を宣言して、日常へ送り出すものです。祝福の間、目を閉じなければならない決まりはありません。

 

できれば、互いに祝福し合う気持ちで、顔を上げていただけると嬉しいです。なお、体の不自由な方やしんどい方は座ったままで大丈夫です。立っている方も、牧師が手を下げた後は、静かに座っていただいて大丈夫です。

 

派 遣

義に飢え乾く人々は、幸いである。その人たちは満たされる。(マタイによる福音書5:6)

 

祝 福

主があなた(がた)を祝福し、あなた(がた)を守られるように。主が御顔を向けてあなた(がた)を照らし/あなた(がた)に恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて/あなたに平安を賜るように。(民数記6:24〜26)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

本日は、1月から延期していた「オープン礼拝」を配信と並行して行わせていただきました。この後、軽食を挟んで「奏楽と賛美」をテーマに、礼拝研修会を行う予定です。興味関心のある方は、初めて来た方でも自由に参加できます。

 

牧師が司会をしながら懇談形式で行う予定なので、礼拝についての疑問やリクエストがある方はぜひ、礼拝後もご出席ください。だいたい60分程度、13時半までに終わる予定です。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。

 

[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。