ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『敵も家族も打ち破る?』 ミカ書2:12〜13

日曜礼拝 2020年11月22日


『敵も家族も打ち破る?』日曜礼拝 2020年11月22日

 

案 内

おはようございます。礼拝前に、感染症対策についてアナウンスがあります。寒くなってきたので、礼拝の中で3度、最初の讃美歌と、交読文と、メッセージ後の讃美歌の間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。後ろにいる方は窓の開閉にご協力ください。また、ご希望の方はロビーに置いてある膝掛けをご利用ください。使用後の膝掛けは必ず「使用済み」の箱へご返却ください。

 

また、室内の人数が16名を超えた場合は、体に無理のない方、目や耳が悪くない方に、ロビーや3階集会室、2階配信部屋への移動をお願いしています。ご協力どうぞよろしくお願いします。それでは前奏を聞いて、神様を礼拝する準備をしましょう。

 

招 詞

だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。(使徒言行録3:19)

 

讃美歌

会堂の窓を開放しましょう。マスクをしたままで(旧讃美歌)521番「イェスよ 心に宿りて」の1、4節を歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。(*起立のジェスチャー)

 

お祈り

(*着席のジェスチャー)共に祈りを合わせましょう。

 

◆刈り入れと恵みの主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まれたことを感謝いたします。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆癒しと回復の主よ。あなたは私たちの兄弟、姉妹、隣人へ、必要な力と支えをもたらします。どうか今、怪我や病気を負っている人、心や関係が壊れた人に、安心できる居場所と、立ち直る環境を与えてください。

◆慰めと希望の主よ。あなたは孤独と悲しみに暮れる人へ、見えないつながりと見えるつながりをもたらします。どうか今、別れや孤立を経験し、寂しさの中にいる人を、あなたの温かい手ですくいあげ、包み込んでください。

◆正義と公正の主よ。あなたは悪質な支配をする人へ、正当な裁きと変化をもたらします。どうか今、全ての関係における歪みを癒し、あなたの支配へ入らせてください。自立と連帯と平和を導く、あなたの呼びかけに答えさせてください。

◆私たちの友なる主、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ミカ書2:12〜13、マタイによる福音書10:34〜39(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

交読文

会堂の窓を開放して、詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編50:1〜6

(*起立のジェスチャー)

(*新来者が来られたとき)讃美歌21の後ろの方をお開きください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、会衆の方は、一段下がったところと太字のところをお読みください。(新共同訳交読詩編より)

 

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PublicDomainArchiveによるPixabayからの画像

メッセージ

感謝と哀悼の日

今日は収穫感謝記念日です。日本基督教団では、11月の第4日曜日に祝いますが、アメリカでは感謝祭(サンクスギビングデー)として、第4木曜日に行われます。海外のドラマや洋画を見ている人は、感謝祭と言えば七面鳥、家族や友人が集まって、大規模な食事会を催す日……と覚えているかもしれません。

 

一般に、感謝祭の起源となったのは、イギリスからアメリカ大陸に移民してきたキリスト教徒が、作物を栽培できずに全滅しかけ、先住民に助けられたことを記念する感謝の食事会と言われています。先住民のおかげで生き延びた入植者たちは、収穫の多かった年に彼らを招いて宴会を開き、それが感謝祭の始まりになったと伝えられました。

 

アメリカの小学生たちは、11月の第4木曜日に、このときのキリスト教徒や先住民の衣装を着て、感謝祭の歴史を学ぶそうです。両者が集まって食事を囲んだ日に、家族が集まって食事を囲む……なかなか微笑ましい話ですよね。

 

ところが、当の先住民の間では、同じ日が「大量虐殺の始まりの日」として記憶されています。入植者たちが先祖の土地を略奪し、女や子どもを奴隷として売り飛ばし、それに抗議して虐殺された犠牲者に、祈りをささげる哀悼の日……実は、入植者のキリスト教徒と、各地に追いやられた先住民の間で、全く異なる認識なんです。

 

集められたくない者

もし、白人の子ども同士で異なる衣装を着て集まるのではなく、本当にヨーロッパ系のアメリカ人と先住民のアイデンティティを持つアメリカ人が、一緒にテーブルを囲んだら、同じところに集められたら……おそらく、心温まる雰囲気よりも、ギクシャクした空気になるでしょう。

 

自分たちの間に残る溝、今も抱えている闇が、受け入れがたい現実が、集められたら露わになる。それは、アメリカに留まる話じゃありません。日本で感謝祭を祝う習慣はそこまでありませんが、年に何回か家族と過ごしたり、離れた身内が集まる機会は、今もそれなりにあるでしょう。

 

けれども、いざ離れていた家族が集まると、心温まる食事どころか、居心地の悪い空間になることも、珍しくはありません。久しぶりに集まったからこそ、お互いの間で、なあなあにしていた問題や、見ないようにしていた溝が露わになる。再び集まれてめでたいはずが、かえってざわめき、イライラする。

 

そう、離れた者同士が集められるって、必ずしも嬉しいことばかりではありません。実は歓迎できない人だっているでしょう。「うちに帰る」「うちに帰らされる」ことが、重荷になる人もいるでしょう。

 

案外、教会でも、コロナ禍によって顔を合わせないで済む人がいるから、今は安心しているけれど、再びみんなが集まれるようになったら困ってしまう……という人も、それなりにいるかもしれません。でも、それはあなた一人ではありません。みんなが呼び集められるとザワザワする、心が騒いでしまうのは、神の民であるイスラエル人も同じでした。

 

ざわめき、騒ぐ者

他国の侵略によって各地に散らされたイスラエル人、その人々が、神様によって呼び集められ、牧場の群れのように一つとされたとき、そこには、ざわめきや騒ぎが起きると、朗読したミカ書にも書いてありました。仲間が集められたことを素直に喜び歓迎し、一致する民の姿とは、ちょっと違いますよね?

 

そりゃそうです。久しぶりに実家へ集まった家族でさえ、お互いの変化にショックを受け、考え方や生き方の違いに、心がざわついてしまうのに、何世紀も違う国、違う地域で暮らしていた離散の民が集まれば、それはもう大きな騒ぎになるでしょう。「お前、その格好は何なんだ?」「何てもの口にしてるんだ?」「本当にこれが同胞なのか?」

 

さらに、「先立つ者」「打ち破る者」が現れて、どこかとの戦闘に連れていかれることも予告されます。どうやら、騒ぎはますます大きくなるらしい。ただでさえ、離れていた者同士が集まって落ち着かないのに、これからこのメンバーで協力して戦わなきゃいけない。一緒に解決しなきゃならない。そのために招集されたから。

 

久しぶりに集まった家族の間で、思ってもみない問題を共有された経験が、皆さんもおそらくあるでしょう。実家に帰って、ゆっくりご飯でも食べようと思っていたら、借金の話、解雇の話、いじめの話、介護の話が明かされる。和やかに食事をする空気じゃなくなっていく。むしろ、これから家族みんなで、戦わなきゃいけない現実を知らされる。

 

感謝とは程遠い感情かもしれません。戸惑いと驚きと混乱がある。最初の戦いは、まさに集まった家族の間、同胞の間で起きるでしょう。目の前の問題が起きたのは誰のせいか?どの解決策が正しいのか? それぞれの意見がぶつかってしまう。家族が、同胞が、生き残るために、集まった自分たちが対立してしまう。

 

こんな面倒くさいことになるのなら、深刻な溝ができるなら、最初から集められなければ良かったのに……よくある光景じゃないですか? 家族を救うために、バラバラだった家族が集まり、そこで息子が父親に、娘が母親に、嫁が姑に敵対する。それぞれの心に剣が刺さる。あのめちゃくちゃ痛い、地獄のような瞬間ですよ。

 

できれば争いたくないから、みんな離れて黙っている。でも、誰かがその沈黙を打ち破り、先頭に立って呼びかける。「一緒に解決しなきゃならない」「一緒に集まらなきゃいけない」……砕かれたものを復興しよう、崩されたものを回復しよう、たとえ、集まって喧嘩なっても、ここから始めていくしかない。

 

打ち破り、先立つ者

そういえば、戦うべき現実を露わにし、人々にざわめきを起こす有名な方が、新約聖書に出てきました。迷い出た羊をどこまでも追いかけて呼び集める「良い羊飼い」、神の子イエス・キリストです。この方も、同胞の間、家族の間に、何度も対立をもたらしました。

 

「わたしは敵対させるために来た」「人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに」「こうして、自分の家族の者が敵となる」……事実、イエス様に従う人たちは、度々家族と争うことになりました。律法で禁じられているのに、病人に触れてしまうなんて! 罪人と食事をするなんて! 安息日に仕事をするなんて!……私たちの考え方と違う。縁を切られたくなければ、その人から離れて帰っておいで!

 

これはもう、家族と集まるのを止めるか、イエス様と一緒にいるのを止めるか、どっちか選ぶしかありません。見ようによっては、イエス様が敵を打ち破るより先に、自分と家族の仲を打ち破る、厄介な存在に見えたでしょう。ところが、イエス様の弟子たちは、家を捨て、仕事を捨て、家族を捨ててついてきたような記述がありながら、姑のいる家で食事をし、母親との関係を保ち、同胞と集まり続けます。

 

ありえないほどしんどいことです。理解してもらえない間、理解してもらおうとする間、どれほど傷つき、苦しく、我慢がいるか……けれども彼らは、先頭に立つイエス様に引っ張られて、戦うべき現実と向き合うため、自分の家族、友人、同僚たちと、一緒に集まり続けます。

 

集まれない者を招く方

考えてみれば、初代教会の宣教者も、何度、ユダヤ人に会堂を追い出されようと、ひどい迫害を受けようと、新しい土地では、必ずユダヤ人の会堂へ行きました。物理的にも精神的にも離れた仲間、同胞のもとへ集まることを止めませんでした。イエス様の言葉が、離れた者同士を呼び集めていたからです。

 

やがて、同胞と一緒に、家族と一緒に、目を背けていた現実と、少しずつ向き合える日がやって来ました。一緒に戦えないと思っていた人たちが、手を貸したり、話を聞くようになりました。ギクシャクした空気で机を囲んでいた同胞たちが、共に祈り、感謝を口にし、パンを分け合って食事をするようになりました。

 

かつて、剣をもたらされた家族の間に、同胞の間に、新しい絆と関係ができていきました。今まで輪に入らなかった者が、異邦人や逃亡奴隷までもが、呼び集められる民となりました。それが、キリストを頭とする教会であり、信仰共同体の姿です。私たちは、集められるとざわめきますが、一つになるまで、成熟するまで、導いてくれる方がいるんです。

 

一昨日、ある方の遠くに住んでいるご家族が亡くなりました。感謝祭に、家族みんなで集まれなくなった家があります。もう収穫された食物を一緒に味わうことはできません。全員が揃って食卓につくこともできません。しかし、イエス様は終わりの日に、全ての者が、神の食卓に集められると約束してくださいました。

 

日曜日に行われる聖餐式は、その日、全ての悪と、死の力が打ち破られ、神の国が完成することを記念して、みんなでお祝いするために、私たちが集められる「主の食卓」を先取りしている食事です。神様は、この世で集まれなくなった者でさえ、新しい体に復活させ、一つの群れに呼び集めてくださるんです。

 

共に、この方の恵みに感謝して、ざわめき、騒ぎ、不安に支配された現実を打ち破る、救い主の再臨を待ち望みましょう。イエス様が再び来られる日を求めて祈るアドヴェントまで一週間、皆さんの心に、癒しと回復の火が、慰めと希望の火が、正義と公正の火が、主によって灯されますように。

 

讃美歌

会堂の窓を開放しましょう。マスクをしたままで、(讃美歌21)387番「刈り入れの主を」の1、3節を歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。(*起立のジェスチャー)

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。

 

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

本日、初めて来られた方で、ご了承いただいた方のみ、案内した方と一緒にお立ちください。ようこそいらっしゃいました、神様の平和が皆さんと共にありますように(拍手)。配信に乗らないように、お名前は後ほど紹介させていただきます。

 

とりなし

本日、ここに招かれた人たちで、とりなしの務めを果たしましょう。お手元にあるとりなしの祈りの用紙をご覧ください(持っていない方がおられたら、近くの方と一緒にご覧ください)。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた最も基本的な祈り、『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです(*起立のジェスチャー)……主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌『すべてを売り払い』(©柳本和良)を歌います。マスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

(*起立のジェスチャー)

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派遣の言葉

わたしの前に集めよ/わたしの慈しみに生きる者を(詩編50:5より)

 

祝福の宣言

永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。(ヘブライ人への手紙13:20〜21)