日曜礼拝 2022年3月20日
消 灯
本日は、受難節第3週目の礼拝なので、光や命の象徴として立てられた蝋燭を3本倒し、キリストが受けられた苦しみと、十字架の死を思い起こします。共に今、あなたの労苦と痛みに寄り添う、イエス様の歩みを覚えましょう。
案 内
華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝に切り替えています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。 (テモテへの手紙二1:8)
讃美歌
マスクをしたままで、旧讃美歌526番「主よ、わが主よ、あいの主よ」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。
お祈り
(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。
◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。3日前、再び福島で震度6の地震が起こりました。断水した地域や家屋が壊れたところもあります。どうか今、余震や土砂崩れ、二次災害でさらなる被害が起きないように、一人一人を守ってください。
◆私たちの神様。昨日は芽含幼稚園の卒園式が行われ、19名の子どもたちが新しい出発をしていきました。どうか今、卒園した子どもたちが小学校でも楽しく過ごすことができますように、保護者と一緒に支えてください。
◆私たちの神様。全国の新規感染者数が少しずつ下がってきていますが、岐阜県では未だ病床使用率が33%を超えており、新たなクラスターも発生しています。どうか今、まん延防止等重点措置の解除後も、医療のさらなる逼迫を招かないよう助けてください。
◆私たちを助け起こす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書48:1〜8、マルコによる福音書8:27〜33(新共同訳より抜粋)
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編31:8〜14(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です) |
讃美歌
マスクをしたままで、讃美歌21の297番「栄えの主イェスの」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。
メッセージ
誰かに向かって「サタン」と言い出す人を、私はあまり好きになれません。どう考えても攻撃的で、侮辱的な言葉です。猟奇的な人物や、人を人とも思わないような相手なら、まだ分かりますが、自分の友や仲間、家族に対してこんなことを言う人は、ちょっと信用できません。
皆さんだって、いきなり人のことを「サタン」と指差す人がいたら、近づこうとは思わないでしょう。無礼で常識を持たない人だと思うでしょう。ところが、ショッキングなことに、神の子であるイエス様が、これをやったと聖書には記されています。しかも、自分を最も慕ってくれる弟子相手に「サタン、引き下がれ」と叱りつけます。
「サタン」と呼ばれた可哀想な弟子は、イエス様から選ばれた12人の中でも、中心的な人物だったペトロです。誰よりもイエス様に味方してきた人物です。直前には「わたしを何者だと思うか」と尋ねたイエス様に「あなたは、メシア(救い主)です」とはっきり信仰を告白し、イエス様への信頼を見せています。そんな仲間が「サタン」と呼ばれる。
よっぽど悪いことをして、そう言われたのかと思ったら、むしろ、イエス様を気遣った行動が原因のように思われます。イエス様が、自分は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから、排斥されて殺される、三日後に復活すると語るのを聞き、ペトロは思わずわきへ引っ張り、イエス様をいさめ始めます。
別の福音書では、「とんでもないことです」「そんなことがあってはなりません」と言う彼の様子も記されています。自然な反応だと思います。自分の慕うイエス様が、みんなを救ってくれると信じている方が、「これから私は殺される」と言うんです。「はい、そうですか」とはなりません。
確かに、長老や祭司長や律法学者がイエス様を排斥しようとしていることは事実でしたが、彼らよりイエス様の方が人々の支持を得ている場面も、少なくありませんでした。「何を言っているんですかイエス様!? あなたについてきた人がこれだけいるんです! あなたを救い主だと信じているんです! 自分が殺されるなんて言わないでください!」
そんな気持ちから出た言葉を「サタンの言葉」と受け取ることは、普通はないと思います。サタンと聞いてイメージするのは、「誰かを殺せ」という声や「こいつを裏切れ」とそそのかす声、「あいつを見捨てろ」とささやくような言葉です。殺されるのを止めようとする、死なせまいと抵抗する言葉を「サタンから出た」と言う人は、たぶん居ません。
でも、イエス様は違いました。自分を愛し、自分のためにいさめ始めたペトロに向かって、「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と叱りつけます。ペトロは混乱したでしょう。イエス様をいさめたのは、救い主を死なせないため、神の子を死なせないためです。自分勝手な欲のためではないはずです。
それなのに、「神のことを思っていない」と言われます。いったいなぜ、イエス様が殺されるのを回避しようとしたペトロは「サタン」と呼ばれたり、「神のことを思っていない」と言われなければならないんでしょうか?……私はこのやりとりを見る度に、破壊的カルトの教祖やリーダーが、どういう時に「サタン」を持ち出しているか振り返るんです。
神よりも自分を信じさせようとする、神よりも自分に従わせようとする教祖たちは、信者が自分よりも家族を優先しようとしたとき、組織の言うことよりも、世間の言うことに耳を傾けたとき、「あなたにはサタンが入っている」「あなたは悪魔にそそのかされている」と言ってきます。
教祖である自分のためになることが一番になるようコントロールし、それ以外の選択は「サタンから来ている」と制限します。信者は教祖が喜ぶように、リーダーの不利益にならない選択を自ら繰り返していきます。でも、イエス様は、自分が一番になる選択を喜びませんでした。自分の痛みや苦しみが少なくなる道を優先させようとはしませんでした。
ペトロは、イエス様に対し、心のどこかで、何をどうしたらいいか、自分の代わりに決めてくれる、自分が悩まなくてもいいように、あらゆる指示や決断を与えてくれる、力強いリーダーを期待したのかもしれません。自らそういう人のコントロールを受けて、安心したい、楽になりたいと思う気持ちが、心の片隅にあったのかもしれません。
しかし、イエス様はそのような形で服従されるのを望みませんでした。弟子たちにはいつも、神様が何を願っているか、何が求められているか、自分で考えさせるように、たとえ話で教え、律法主義に注意させ、これからどうしたらいいか問いかけるよう、ドキドキさせることを言いました。自分が排斥され、殺され、復活するときが来ると語りました。
何も考えずに言うことを聞いていたい……そんな態度を逆にいさめ、自分で考えること、自分で問いかけることをやめないように、彼らを揺るがし続けました。弟子たちが命令を聞くロボットではなく、一緒に働く友として歩み続けるように、ずっとずっと導いていました。
実は、弟子たちの中で「サタンが入った」と書かれている人物が、もう一人だけ居るんです。教会に数年通っている人は、すぐに思い浮かぶでしょう。イエス様を裏切って、祭司長たちに売り渡してしまったイスカリオテのユダのことです。後に、彼は自ら命を絶ってしまいますが、イエス様が最後に彼を呼んだ言葉は「サタン」ではなく「友」でした。
聖書を読んでいると、ついつい、最後までイエス様の友であったペトロたちと、サタンの手先となったユダ……というふうに分けてしまいたくなりますが、両者は何も変わりません。裏切るか、見捨てるかの違いで、イエス様が死ぬときは、ペトロの方も、ユダの方も、友として一緒にいることはできず、離れてしまいました。
にもかかわらず、両者はずっと、イエス様から友として、愛する弟子として、呼ばれ続けていました。イエス様は、十字架にかけられた後、命を絶ったユダがいる、死の影の谷まで降っていきました。三日目に復活した後、見捨てて逃げたペトロがいる、戸に鍵をかけた家へ訪れました。
私たちはいつだって、イエス様をメシアと信じようとする一方で、イエス様のことが分からなくなってしまう、自分自身に振り回されます。「サタンな自分」と「友の自分」を行ったり来たりしています。しかし、不安を募らせる必要はありません。イエス様は私たちを締め出さず、友と呼び続け、こちらが鍵をかけていても、入ってきてくれるからです。
いつか、自分が「サタン」と呼ばれることを恐れている方、あるいは既に「サタン」と呼ばれているように感じている方は、顔を上げてください。あなたもペトロと同じです。イエス様はあなたを弟子に選び、あなたを友と呼び続け、一緒に居続けることができるよう、どこまでも会いに来てくれます。離れた人とも必ず再会されます。
だから、今こそ主を呼び求めましょう。苦難のはざまから声をあげ、自分を解き放つイエス様を迎えましょう。十字架にかかったキリストが復活した日を記念するイースターまで3週間、共に祈りと賛美を合わせましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌16番「苦難のはざまから」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の裏面をご覧ください)
使徒信条93-4A
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)
使徒信条93-4B
わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。
紹 介
本日も、初めて配信を見に来た方、久しぶりに配信を見られた方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。互いに顔を合わせることはできませんが、礼拝を通してつながっている一人一人に、神様の祝福がありますように。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)
主の祈り93-5A
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。
献金の祈り(例)
主なる神よ、私たちが持っているものはみな、あなたからいただいたものです。今、私自身の生き方をあなたの御用のためにおささげします。どうか、ここにささげた献金もあなたの求めていることに用いてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の3節を歌いましょう。
讃美歌
頌栄29番「天のみ民も」を歌いましょう。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6 ⑥より)
祝 福
どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)
報 告
本日も、配信を通して日曜礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅礼拝は、ライブ配信の奉仕者7名、同時に視聴された16名、計23名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。
教会に集まる礼拝の再開は、まん延防止等重点措置の解除を目安に役員会で検討し、決定次第、教会員への連絡網とホームページ、各SNSの公式アカウントでお知らせします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。