ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『救われていると思えない』 ローマの信徒への手紙8:18〜25

聖書研究祈祷会 2022年3月23日 


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案 内

華陽教会では、岐阜県の医療提供体制を踏まえて、会堂に集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで讃美歌21の447番「神のみこころは」を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方はそのままお聞きいただき、心で賛美をささげましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の在宅聖研祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。受難節第3週目を迎えました。ウクライナをはじめとして、侵略や弾圧の被害に遭い、まさに受難のときを過ごしている方が世界各地に居られます。どうか今、この苦しみが長く続かないように、平和的な解決をもたらしてください。

◆私たちの神様。地震、台風、豪雨、飢餓、疫病などの災害によって、苦しんでいる人もたくさんいます。電気の供給や物価の上昇で、生活が苦しくなる人たちも出てきます。どうか今、私たちに必要な知恵と力をもたらし、助け合う道を歩ませてください。

◆私たちの神様。21日で、まん延防止等重点措置が解除された一方、岐阜県の病床使用率は30%を切ることなく、ステージ3の状態です。どうか今、会衆一人一人と近隣の住人、子どもたちの安全を守りつつ、信仰生活を歩めるように、私たちを助けてください。

◆知恵と勇気と良心をもたらす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ローマの信徒への手紙8:18〜25(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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メッセージ

神様を信じることで、自分は救われたと、すぐに実感できる人は、そんなにいないと思います。「すぐに」どころか何年経っても、本当に救われるか不安になってしまう……救いから漏れるんじゃないかと恐ろしくなってしまう……そういう人間の方が、信徒の中でも多いと思います。

 

だって、洗礼を受けていても、教会へ行かなくなったり、聖書を読まなくなったり、神様のことを考えないで過ごす時間が、どんどん長くなることもあります。習慣として毎週聖書を読んでいるけど、礼拝の配信を見ているけれど、自分の中で、神様を信じる気持ちが薄くなったり、信じられなくなる瞬間が、一つ、また一つと出てきます。

 

これで本当に救われるんだろうか? 信じる前の自分と、そんなに変わらなくなっていないか? むしろ、信じる前より悪くなってないか? こういう不安って、正直、牧師にもあります。信じている人間同士で起こる争い、牧師の間で起きる対立、自分自身がやるとは思えなかった過ち……そういうものを経験する中で、救いが信じられなくなる。

 

キリスト教の救いって、永遠の命とか、神の国に入るとか、丁寧に話すと長くなりますが、いずれも「神の赦し」とつながっています。自分がやってしまったこと、やらないでしまったこと、壊してしまったもの、回復できなかったもの、そういう自分じゃどうにもできないものを暴かれたとき、果たして赦されるのか? 救ってもらえるのか?

 

まさに今、自分の過ちを顧みて、悔い改めて、神様を信じているけれど、やっぱり、救われていると思えない、救いを得られたと思えない人たちがいるでしょう。だって、病気が治らない、家族の仲が良くならない、生活は苦しくなっていて、助けてくれる人も現れない……信じたけれど、信じているけど、自分は救われる人間ではないのかもしれない。

 

実はまだ、神様に赦されていないかもしれない。反省が、悔い改めが、足りないと言われているんじゃないか? 信仰が、優しさが、誠実さが足りないから、救われていい方に入ってないんじゃないか? 救われている人は、何かしらの自覚があるに違いない。満ち足りていて、自信にあふれ、奇跡を体験したりする……そんなイメージかもしれません。

 

ある人は、苦しい状況でも耐えられる、平気で居られるように見えます。環境としては非常に困難な状況にいるのに、それでも平安で、何とかなっているように見えます。あの人は救われているんだろう。そういう強さが与えられているんだろう。でも自分は、耐えることも、平気でいることもできないから、救われていないんだろう。

 

神の国に入ることも、永遠の命を受けることも、まだ難しいかもしれない。既に与えられているとは言えないかもしれない。私には、確信も実感もないから、救われている信仰者という自信が持てない……実際、パウロの言うことともギャップがあります。「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います」

 

いやいやパウロさん、信仰者が激しい迫害を受けていた時代に比べて、私たちのいる世界はずっと優しい方かもしれませんが、それでも私は、自分の受けている苦しみが「取るに足らない」とは思えません。自分が神の子とされる、救ってもらえるという確信も揺らいでいます。あなたの言う「滅びへの隷属」状態に、私はまだ、いるような気がします。

 

教会で、「あなたはもう救われています」「既に救いにあずかっています」と言われて、「確かにそうです」と頷ける人が、どのくらいいるでしょう? とりあえず、信仰を告白したら、「自分は救われている」と言わなきゃおかしいと思って、そう教えられて、ちょっと自信はないけれど、「私は救われています」と口にする人もいるでしょう。

 

だけど、誰かが救いの確信を口にするのを見ていると、羨ましくなってしまう。本当はあそこまで確信がない。本当は今も信じきれない。自分が「赦された人間」と言っていいのか、「わたしは救われる」と思っていいのか、ずっと自信が持てないでいる……そんな人たちに思い出してほしいんです。

 

パウロから繰り返し、救いについて語られた初代教会の人たちも、やっぱり不安だったんだと……ローマでも、コリントでも、ガリラヤでも、本当に救われていると言っていいのか、神様に赦されていると言っていいのか、不安になるような人たちが、このように言われてきたんだと。

 

貧しい人をかえりみない、未亡人や孤児を大事にし切れない、生活スタイルの違いで口汚く罵り合い、簡単に分裂へと発展する、どう見ても微妙な、未熟な人たちに、パウロは赦しと栄光を語りました。神様はあなたを自分の子とし、あなたを滅びから救われると告げました。だから、互いに愛し合いなさいと。

 

おそらく、信仰を告白した時点で、救いの確信をはっきりと持っていた人間は、私たちがイメージするほど、昔もいなかったんじゃないかと思います。聖書に出てくる初代教会の人たちの姿は、まさに揺れ動く民です。どんな困難にも耐えられる、平気で居られる人たちだったとは言えません。彼らも揺れながら、問いかけながら歩んできました。

 

希望に満ちた、喜びに満ちた会衆というより、心の中でうめきながら、救いを待ち望んでいる人たちでした。救いの確信が、実感が持てなければ、救われないんじゃないか? という不安に襲われている人は、安心してください。いつだって、神様が助けた人たちの中には、そんな確信持てなかった人の方が多く居たんです。

 

はっきりと確信を持てなくても、奇跡を実感できなくても、聖霊を体感できなくても、神様があなたにもたらす救いは、決して揺らぐことはありません。それは、旧約に記された時代から、何人もの人が、疑い、迷い、平気で居られない人生を送りながらも、神様に迎えられ、受け入れられたことを証している、この聖書が示しています。

 

自分に自信を持てなくても、神様はあなたを離しません。救われていると思えない一人一人が、心から信じることができるその日まで、神様は付き合い続けます。あなたに必要な変化をもたらし、あなたが期待さえできなかった、新しい道を歩ませます。今、私たちの目に見えない希望を、確かなものとして受け取ることができますように。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(静岡県沼津市の沼津大岡教会)のために、全国の受洗志願者のために、全国の教会の会衆のために、全国の牧師のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆静岡県沼津市の沼津大岡教会のために祈ります。移転後24年目を迎えるこの教会に、あなたの祝福がありますように。先に召された方々のご遺族、ご友人が励まされ、教会にたくさんの人がつながって、あなたを知ることができますように。

◆全国の受洗志願者のために祈ります。コロナ禍で受洗前の準備会や、受洗後のサポートが十分できない人たちへ、あなたの慈しみがありますように。それぞれが安心して教会に迎えてもらえるように、必要な道を整えてください。

◆全国の教会の会衆のために祈ります。教会員やそのご家族、客員や教友、求道者、初めて教会へ来る人に、あなたの恵みがありますように。なかなか満足に集まることができない間も、あなたの言葉を受け取ることができますように。

◆全国の牧師のために祈ります。多くの困難を前に、毎週礼拝の準備をしている人たちにあなたの支えがありますように。特に、複数の教会を兼任されている方や、家族の介護をしている方、隠退された教師や無任所の方々に、あなたの助けと力がありますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌12番「信じたくても」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、配信を通して聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、配信奉仕者2名、同時に視聴された0名、計2名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

教会に集まる礼拝の再開は、病床使用率の推移を見て、明日、役員会で判断し、教会員への連絡網とホームページ、各SNSの公式アカウントでお知らせします。また日曜日まで皆さん一人一人に神様の平和がありますように。