ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『それがイエスと分からない』 ヨハネによる福音書21:1〜11

礼拝メッセージ 2020年4月26日

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ScottslmによるPixabayからの画像

 

招 詞

シオンのゆえに嘆いている人々に、灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた。正義の樫の木と呼ばれる。(イザヤ書61:3)

 

讃美歌

讃美歌402番「いともとうとき」を歌いましょう。(動画では権利関係に配慮して歌いませんが、『讃美歌21』をお持ちの方はぜひ、この賛美を味わいつつ、御言葉を受け取る準備をしましょう)

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆復活と希望の主である私たちの神様。この一ヶ月、私たちはこれまでと違う日曜日を過ごしてきました。今日もまた、家庭で、職場で、施設で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆主なる神よ、感染症の対策に追われ、多くの情報にさらされ、風評や差別に遭い、不安や恐怖に煽られて、私たちは疲れています。どうか今、あなたの癒しと休息が一人一人に、もたらされますように。

◆主なる神よ、あなたはこの一週間、私たちを慰め、励まし、力づけてきました。どうか今、ある人に与えられた回復が、つながりが、発見が他の人にも広がっていきますように。

◆主なる神よ、今日は「働く人の日」です。多くの現場で働き方が変わり、あるいは変わろうとしています。どうか今、変化をもたらす新しい知恵や力がもたらされ、この日々が豊かにされますように。

◆主なる神よ、あなたは挫折した者や失敗した者、過ちを犯した者に赦しを与え、新しい生き方を与えます。どうか今、苦しみ、悩み、後悔している人々に、励ましと気づきと力を与える、あなたの言葉を送ってください。

◆主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書21:1〜14

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

メッセージ

気づかなきゃおかしい

3日ぶりに会った人が、誰だか分からなくなっている。髪型を変えたり、化粧をしたり、整形したというなら、別に不思議じゃありません。見た目や印象が変われば、最初は気づかなくても仕方ない。でもそれが、3度目ともなると話は別です。しかも、「殺された人が会いに来た」という印象的な出会いなら、なおさら次は分かるはず。

 

私たちはイースターの朝、死んだはずのイエス様が3日目に甦ったと聞きました。復活したイエス様がその姿を現したとき、多くの人はそれがイエスと分からなかった。マグダラのマリアは墓を管理する園丁だと思い、エマオへ向かっていた2人は同じ行き先の旅人だと思います。

 

けれども、いくら最初は分からなかったと言え、3度目ともなれば、すぐに誰が来たのか分かるはず。ところが、弟子たちは今度もイエス様だと気づきません。しかも、初めてイエス様と出会ったティベリアス湖で、「わたしに従いなさい」と言われたあの湖で、明け方まで魚が獲れないあの時と同じ状況で、声をかけられて気づかなかった。

 

さらに、舟に乗っていた弟子たちは、イエス様と印象的な出会いや再会をしてきた人です。イエス様から「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ(岩)と呼ぶことにする」と言われたペトロ。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ……わたしは決して信じない」と言い切った後、イエス様に再会したトマス。

 

「ナザレから何か良いものが出るだろうか」とイエス様を皮肉りながら、自分のことを言い当てられたナタナエル。名前の出てこない2人の弟子は、エマオへ行く途中、イエス様と出会った2人のことを思い出させます。ちなみに、ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、まさにこの地で、舟で仕事をしていたとき、イエス様から選ばれていた2人でした。

 

この日、この時、復活したイエス様に声をかけられ、それが誰だかすぐ気づかないとおかしい7人が集まっていました。ヒントもたくさんありました。「子たちよ」という呼びかけ、「何か食べ物があるか」という質問、「舟の右側に網を打ちなさい」という指示……どれも、イエス様との思い出を想起させる行動です。

 

私もあなたも気づかない

「思い出せ、イエス様だ、主がまた会いに来られたんだ!」……時間が、場所が、状況が、全力で彼らに訴えますが、それでも彼らは気づかない。ユダヤ人を恐れて閉じこもっていた彼らが、食料を手に入れるため、やっと夜中に抜け出して、びくびくしながら外へ出てきた。そのとき声をかけてきた相手が、2度も会っている復活の主と気づかない。

 

いい加減、気づきなさいよ! と言いたくなりますが、実は私も、人のことは言えません。私たちも、いつまで続くか分からないこの困難な状況で、今出会っているのがイエス様だと分からないでいるからです。

 

かつて、空っぽになった墓穴をマリアが覗き込んだとき、そこには復活を知らせる天使がいました。ちょうど私も日曜日、空っぽになった教会を覗き込もうとしています。でもそこに、嬉しい知らせが待っているなんて思いません。

 

かつて、戸に鍵をかけ、閉じこもっていた弟子たちにイエス様は現れました。ちょうどあなたも、教会に行くのをやめて自分の家に閉じこもっています。でもそこに、イエス様が現れるなんて思いません。

 

かつて、ユダヤ人を恐れて人を避け、暗いうちに漁へ出ていた弟子たちに、イエス様は声をかけました。ちょうど皆さんも、感染症を恐れて人を避け、時間をずらして移動しています。でもそこに、イエス様が話しかけてくるなんて思いません。

 

そう、私たちが直面しているこの状況って、イエス様が復活した日、出会いに来た日と重なります。あの日が来たと知らせるように、その日を思い出すように、私たちは今、あらゆるものから促されているんです。

 

「ほら、あの時と一緒だよ。イエス様はあなたに出会われる」「思い出して、彼らもあなたと一緒だった。あなたにもこの日がやって来た」……でも、私たちは気づきません。今イエス様が私の前に、隣に、後ろに来ているなんて思いません。

 

それどころか、私はイエス様から離れてしまったと思っている。イエス様を探そうと顔を上げる気力も出てこない。この暗くて厄介な状況が、復活の主と対面する場面だなんて、ほとんど想像もつきません。

 

むしろ思い浮かべるのは、神様が私たちに怒り、裁きをもたらそうとして、こんな状況が起こされたという最悪な想像です。今、「あなたがたに平和があるように」と呼びかけられるよりも、「信仰の薄い者たちよ」と裁きを下されると言われた方が、しっくりきます。

 

だって、この状況に私は疲れ、虚しくなり、信じる気力も失せている。休まずささげてきた礼拝もできず、疑いの気持ちが芽生えている。そう、今は信仰よりも怠惰が育ち、従順よりも不審が勝る。こんな私に、こんなところに、イエス様は現れない。

 

それがイエスと分かるとき

不思議ですよね? 私たちは既に知っています。イエス様が死者の中から復活し、「なぜ泣いているのか」「もう泣かなくともよい」と言われた出来事を。人々がうつむき、黙り、涙を流し、恐れて閉じこもっているときにこそ、この方はいつも声をかけ、その姿を現してきたと。聖書の中で、礼拝の中で、繰り返し確認してきました。

 

神様が私を助けてくれた、イエス様が私を支えてくれた、聖書が私に気づかせてくれた……そんな体験をしてきた人もいるでしょう。でも、再び困難がやってきた今、どうにもならない状況に陥った今、私たちは気づきません。自分の近くに立っているのがイエス様だと。苦しくなって、悲しくなって、力が出なくて落ち込んでいる、裸同然の私に対し、急に声をかけてきたのがイエス様だと。

 

もう前にも会っているのに、今まで何度も見てきたのに、私たちはその度に分からなくなるんです。弟子たちが復活したイエス様と2度も会い、3度目に声をかけられたときも、それがイエスと分からなかったように。

 

だから聖書は伝えます。今、あなたに声をかけたのは、あなたの後ろに立っているのは、復活したイエス様なんだ。あの日、あの時を思い出しなさい。あなたが見ている人は誰なのか気づきなさい。恐れることはない。この方はこう言われる。

 

「さあ、来て、朝の食事をしなさい」……今週も、日曜日の朝を迎えました。イエス様は、ご自分が用意した食卓に招いて、一週間を始めるための力をつけさせようとしています。もはや、「あなたはどなたですか」と聞く必要はありません。私たちは今、それを知ったから。

 

主の祈り

共に、イエス様が神の国の訪れを思い出すよう教えられた、主の祈りを祈りましょう。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

讃美歌

讃美歌432番「重荷を負う者」を歌いましょう。(こちらも、権利関係に配慮して動画内では歌いませんが、『讃美歌21』をお持ちの方は、ぜひ、賛美に込められた応答の思いに心を合わせましょう)

 

とりなし

神の祝福にあずかった者として、とりなしの務めを果たしましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。アーメン。

(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 


『それがイエスと分からない』ヨハネによる福音書21:1〜14