ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『実現したら困ります』 ルカによる福音書1:39〜56

聖書研究祈祷会 2020年7月15日


『実現したら困ります』聖書研究祈祷会 2020年7月15日

 

 

案 内

本日から、水曜日の聖書研究祈祷会も、換気を徹底した上で、教会に集まる形を再開します。しかし、配信を通して聖書に触れてきた方々、今も基礎疾患や心身の衰えを理由に、教会へ来られない方も、一緒にこの時を味わえるように、感想や質問を分かち合う時間以外の「讃美歌、お祈り、聖書朗読、メッセージ」のみ配信したいと思います。

 

万が一、参加者の方々の顔が映ってしまったり、声が入ってしまった場合は、後から編集でカットして、アーカイブに残すのでご安心ください。動画を見ている方々は、「分かち合い」に入る前、メッセージが終わったら配信を終了しますので、ご了承ください。

 

讃美歌

それではただいまより、聖書研究祈祷会を始めます。最初に、オンライン賛美歌「枯れた谷に鹿が」(©️柳本和良)を歌いましょう。こちらの賛美歌は、著作者の許可を得て使用・配信しています。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書の言葉を受け取る時間が与えられ、感謝致します。どうか今、この場に集まった人、配信を通して祈りを合わせる一人一人に、あなたの恵みがありますように。

◆私たちの神様、新型コロナや豪雨による被害で、様々な困難に見舞われる中、こうして3ヶ月ぶりに、みんなと顔を合わせて祈祷会ができることを感謝致します。再び集まれなくなるときも、いついかなるときも、聖書を通して私たちを導いてください。

◆私たちの神様、教会につながることが困難になったこの期間、今までつながれなかった人、つながる機会を与えられてこなかった人にも、聖書や祈りに触れる機会が与えられたことを感謝致します。どうか今、これらの機会をさらに豊かにさせてください。

◆私たちの神様、病気や怪我、疲労や衰えによって力を失っている人たちに、あなたの希望と励ましがもたらされるように、今日このときを用いてください。あなたに招かれた私たちのことも、どうぞ新しく用いてください。

◆私たちと共におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書1:39〜56(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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StockSnapによるPixabayからの画像

メッセージ

本当にそうなったら

聖書の中には、様々な力強い言葉が出て来ますが、実際にそのとおりになったら困る……という言葉も出て来ます。たとえば、救い主を身ごもった女性、イエス様の母マリアが、同じく聖霊によって身ごもった親戚、エリサベトに出会って言った言葉。

 

「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます!」

 

非常に大胆な発言です。時の権力者が聞いたら激怒するか、直ちに処罰しかねない、当時としては過激な言葉。さらりと流して読んでしまうかもしれませんが、これってけっこう政治的な発言です。聞きようによっては「革命」や「クーデター」を連想させる。

 

もし本当に、この言葉どおり、神様が腕を振るって思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし始めたら……身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし始めたら……富める者を空腹にさせ、そのまま追い返し始めたら……? あなたは歓迎するでしょうか? それとも困惑するでしょうか?

 

歓迎できない気持ち

一見、思い上がる者が神様に打たれ、散らされるというのは、良いことのような気もします。反省しなければならない人が、ようやく懲らしめを受けるわけですから。でも、思いあがっているのは私かもしれません。「自分は思い上がる者でない」という保証はありません。

 

権力ある者をその座から引き下ろすというのも、多くの人には関係ないかのように思えます。「今の政権が引き下ろされるなら大歓迎!」という人もいるでしょう。でも、あなたが応援している政治家も、一緒に引き下ろされるかもしれません。全く応援していなかった、むしろ見下していた人たちが引き上げられるかもしれません。

 

身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い者で満たす……これについては、誰にとっても嬉しいことだと思うでしょう。でも、神様が高く上げるのは、今まで自分が怖がっていた路上のおじさんかもしれません。礼儀もマナーも知らない、教養のない人間かもしれません。そういう人が低いところから高く上げられたとき、あなたは喜べるでしょうか?

 

富める者を空腹のまま追い返される……これについても、自分が裕福だと思っていない人たちにとって、危機感は少ないかもしれません。でも、正直言えば、私はここしばらく自分が飢えたという経験をしていません。空腹のまま一日を過ごすこともなかなかありません。どちらかと言えば、満たされてきた人間です。

 

むしろ、一人暮らしで食材を余らせ、腐らせてしまった経験もあります。世界的な基準で見ても、私の生活は上位にあり、安心して眠る家があり、飢える心配はほとんどなく、保証を受ける機会にも恵まれています。実は、身分の低い、飢えた人に代わって追い返される人間に、私も入っているかもしれません。

 

いやいや、そんなわけないでしょう! もっと地に落とされるべき、ブルジョアや権力者が山ほどいるじゃないですか! そう思われるかもしれません。でも、本当に身分の低い者が高く上げられ、飢えた人が良い物で満たされるには、私が維持したい自分の生活は変わらざる得なくなるでしょう。

 

変わりたくなかった人

この3ヶ月、私たちの信仰生活は、繰り返し覆されてきました。礼拝を休めと言われるなんて、教会に来るなと言われるなんて、みんなで集まるなと言われるなんて、正直想像していませんでした。

 

病気のため、怪我のため、高齢のため、家庭のため、あるいは仕事のために礼拝へ来られない人はいました。そういう人たちも一緒に信仰生活を守れるように、何かしなければとは思っていました。教会から去った人、教会に行けなくなった人たちともう一度つながろうと、お昼ご飯の後、みんなで話し合ったりもしました。

 

どうやってまた教会に誘おうか? どうやってまた来てもらおうか? どうやって彼らに変わってもらおうか? そういう思いを持ちながら、私たちの方が、彼らの参加できる礼拝をしようとは考えないで歩んでいました。今のまま、私の信仰生活はそのままに、私が満足している教会のまま、ずっと歩んでいけたらいいと思っていました。

 

でも、教会という場から散らされて、自宅で礼拝しなければならなくなって、今まで教会に来られなかった人たちの場所に引き下ろされて、私たちは変わらざるを得なくなりました。教会に来られなくても、みんなで礼拝ができるように、みんなが聖書の言葉で満たされるように、ようやく動き始めました。

 

そして気づきました。私たちは結局、低い人を低いまま、飢えた人を飢えたままにしてきたんだと。自分が変化する、自分が変化させられることは避け続け、御言葉に飢えている人を放置してきたんだと。

 

変わらされてしまった人

思い上がる者を打ち散らし、権力ある者を引き降ろし、富める者を空腹のまま追い返される……そんな神様の様子を歌ったマリア自身、ダイレクトに変化を突きつけられた少女でした。婚約者がいる中、結婚もしていないのに、誰とも関係を持っていないのに、神様の子どもを妊娠してしまう。非常に過酷な、困難の多い変化でした。

 

順調な交際、健全な人付き合い、安定した結婚生活から引き下ろされた彼女は、全ての人を救うため遣わされたイエス様を身ごもります。容赦なく、みんなを満たそうとする神様の呼びかけに応答して、自分にもたらされた大きな変化を受け入れます。彼女にとって救い主の妊娠は、すぐさま歓迎できることだったのか? 今も考えさせられます。

 

けれども、同じように聖霊によって身ごもったエリサベトとの出会いによって、マリアは一緒に、この変化を喜んでいきます。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです」

 

そう、神様はマリアを犠牲にしたんじゃありません。マリアに目を留めて、大きな変化をもたらして、全ての人を満たす業へと用いられたんです。教会に集まることが困難になった私たちも、神様から犠牲にされたんじゃありません。礼拝の仕方、祈りを合わせる仕方に変化がもたらされるのは、今こそ、みんなが御言葉で満たされていくためなんです。

 

私たちも、マリアと一緒に、神様からもたらされる変化を受け入れ、その偉大な業を喜びたいと思います。「今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう。力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」

 

分かち合い

配信はここまでにしたいと思います。もし、動画を見ている方で、分かち合いたいことや質問がある場合は、動画のコメント欄をご利用ください。あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように。

 

それでは、今日参加された方々と感想や質問を分かち合いたいと思います。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(愛媛県松山市のコイノニア伝道所)のために、親を失った子どものために、子どもを失った親のために、戦争や紛争に巻き込まれる人のために祈りを合わせます。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆愛媛県松山市のコイノニア伝道所のために祈ります。この教会に連なる社会福祉法人や学校法人、信徒一人一人が、あなたから与えられた使命を果たせるように、子どもたちとの関わりが豊かにされるように導いてください。

◆親を失った子どものために祈ります。親と死別したり、分かれ離れになった人、関係が壊れてしまった子どもたちに、あなたの癒しと慰めがありますように。共に悲しみ、共に喜ぶ人がそばに与えられるよう導いてください。

◆子どもを失った親のために祈ります。子どもと死別したり、分かれ離れになった人、関係が壊れてしまった親たちに、あなたの癒しと励ましがありますように。必要な気づきと希望が与えられるように導いてください。

◆戦争や紛争に巻き込まれる人のために祈ります。争いの被害に遭った人、あるいは加担させられた人たちに、あなたの癒しと変化がもたらされますように。安全と食事と教育の機会が、全ての人に与えられるよう導いてください。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌「恐れ惑うこの身に」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 

以上で聖書研究祈祷会を終わります。また日曜日まで、あなたに平和がありますように。