ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『侮る者へ』 使徒言行録13:32〜43

聖書研究祈祷会 2023年4月5日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の312番「紅海を渡り」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆赦しと和解をもたらす、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。キリストの受けられた苦しみと十字架の死を思い起こす受難節に入って6週間が経ちました。イエス様の復活を記念するイースターまで、あと4日です。どうか今、あなたの慈しみを信頼し、互いに喜びを分かち合う準備をさせてください。

◆私たちの神様。今度の日曜日には、新しくキリスト者になる仲間を迎える洗礼式と、共にキリスト者であり続けるための聖餐式を行います。どうか今、洗礼を受ける人と、一緒に信仰を告白する会衆一同へ、あなたの祝福が豊かにありますように。

◆私たちの神様。腕を怪我した人、目を痛めた人、首を痛めた人、心身が傷ついた人、それぞれが、今日まで少しずつ、あなたに癒されてきたことを感謝致します。どうか今、引き続き、弱っている人に回復をもたらし、みんなで希望を分かち合わせてください。

◆全ての者と出会われる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録13:32〜43の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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dozemodeによるPixabayからの画像

メッセージ

今週の日曜日「棕櫚の主日」からイエス様が十字架につけられるまでの最後の一週間を思い起こす「受難週」に入りました。来週の日曜日には、イエス様が殺されてから三日目に復活したことを記念するイースターを迎えます。そんな中、順番に使徒言行録を読んできた私たちは、奇しくもキリストの復活について語っているパウロの言葉と出会いました。

 

「神はイエスを復活させて、私たち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです」約束というのは、詩編2章7節に出てくる「お前はわたしの子。今日、わたしはお前を生んだ」という預言の成就を指しています。もともとこの言葉は、神に背いて民衆を虐げてきた王に代わり、神様から「わたしの子」と呼ばれる王が即位する日を約束したものです。

 

パウロは、神様が十字架につけられたイエス様を、死者の中から復活させることによって、みんなを治める王として、即位させたと語ります。それも、いつか朽ち果て、居なくなってしまう王ではなく、悪い王に取って代わられる王ではなく、もはや朽ち果てることのない、永遠にみんなを導いてくれる王として、復活させられたと語ります。

 

それは、何度も大国に攻め入れられ、自分たちの王を失ってきたイスラエルの民、ユダヤ人にとって、心を震わされる宣言でした。今まで、「神に従って歩んだ」と言われた王でさえ、早くに亡くなってしまったり、途中で神に背いたり、敵に支配されてしまったため、自分たちが最後までついていく指導者を見失っていたからです。

 

しかし、パウロは伝えます。「神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかった」と。イエス様は、神様に背いて人々を虐げることも、蔑ろにすることもなかった。敵に屈して仲間を見捨てることも、差し出すこともなかった。むしろ、自分の身を差し出して、命を失ったにもかかわらず、死を越えて、みんなのもとへ帰ってきてくださった。自分を見捨てた者たちを訪れ、和解して、再び仲間と呼んでくださった。

 

神様が復活させた独り子は、単に身体が朽ち果てなくなった方ではありません。私たちに対する、愛と、憐れみと、慈しみが、決して朽ち果てない方です。そして、パウロが一番伝えたかった言葉が38節に出てきます。「だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」

 

今度は、ユダヤ人でない、神をあがめる改宗者たちの心が震わされていきます。ピシディア州のアンティオキアでは、ユダヤ人でない異邦人も、聖書の言葉を分かち合う会堂に入ることが許されていました。同じ地域で生活するユダヤ人から、旧約聖書の話を聞き、神様を信じるようになった異邦人が、毎週一緒に集まっていました。

 

しかし、改宗者となっても、旧約聖書に記されたモーセの律法に定められている全ての掟を守ることは、どうあがいてもできません。必ず日曜日に仕事を休めるわけでも、他の神々を信仰する異邦人との接触を断てるわけでもありません。その地で生活していくには何世紀も前にイスラエルへ語られた言葉をそのまま守ることはできません。

 

ユダヤ人同士なら理解され、配慮され、日常生活の中で守ることができる教えも、異邦人の改宗者にとっては、より難しい掟となります。家庭で、学校で、職場で、自分だけしかキリスト教を信じていない人間が、毎週みんなの理解を得て、教会へ行くことが難しいように、彼らもまた、「改宗者として欠けている」「改宗者になりきれない」意識を持ちながら暮らしていました。

 

そんな中、パウロはユダヤ人の同胞だけでなく、共に集まっていた異邦人にも伝えてきます。「兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」

 

聖書に書いてあることを大事にしたいと思いつつ、「これが守れない」「あれも守れていない」という自分に直面し、救いから遠く離れていると感じてきた人たちに、慰めと希望が語られます。復活して、自分を見捨てた者たちに死を越えて再会し、赦しを与え、平和を告げたイエス様は、あなたにも赦しと平和を告げている。ただ、この方を信じることによって、あなた自身も救われる。

 

とても大胆な知らせでした。「そんなこと言ったら、律法を守らない奴が現れる」「みんなが神様の掟を大事にしなくなる」「異邦人のスタイルが持ち込まれ、信仰共同体が乱れてしまう」……そんな非難が容易に予想できました。事実、翌週の安息日になると、パウロとバルナバはユダヤ人から大反対を受け、この町から追い出されてしまいます。

 

けれども、2人の言葉を、異邦人の改宗者と一緒に真剣に受けとめているユダヤ人もいました。次の安息日にも同じことを話してほしいと頼み、2人についていって、語り合っていた同胞がいました。きっと、ユダヤ人の中にも、自分は掟を守ることで救われることはできない……「信仰者として欠けている」「信仰者になり切れない」と感じる人たちが、居たんだと思います。

 

パウロは彼らへ警戒するよう語ります。「預言者の書に言われていることが起こらないように、警戒しなさい。『見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事を。』」……ここで、新しく行うと言われている「一つのこと」とは、救いが異邦人に向けられることを意味しています。

 

毎週日曜日の礼拝に来られない、聖書に書かれた教えがちゃんと守れない、信仰から遠のく付き合いがたくさんある……そんなふうに、本人も、周りからも見なされる人たちへ神様の救いが向けられます。今まで、「あなたはここがダメだ」と言われ続けてきた、「自分はここがダメだ」と思い続けてきた人たちに、赦しと平和が告げられます。

 

どうか、侮らないでください。神様はあなたが自信を持てなくても、他人が評価しなくても、あなたに救いを向けられます。あなたを自分の民と呼ばれます。同時に、あなたが侮る誰かのことも、滅び去らないように新しく出会われます。あらゆる壁を越えて、その人の心の奥底に訪れ、変化と回復をもたらします。

 

今度の日曜日、私たちは新しく仲間を迎え、洗礼式を行います。かつて、洗礼を受けた人たちも思い出すでしょう。バプテスマを受ける直前まで、「自分はまだ信仰者として欠けている」「信仰者になり切れてない」という不安や恐れを抱いていたことを。ここで洗礼を受けること、救いにあずかる「神の民」となることを赦されないんじゃないかと心配になったことを。

 

しかし、神様の憐れみを、イエス様の慈しみを侮る古い自分は、やがてこの方に滅ぼされます。あなたは新しくされます。あなたは甦って、赦しと救いを受け入れます。ここにいる私たち一人一人が、最初はとうてい信じられなかったことを、信じていったように、あなたも「信じない者」から「信じる者」へ、変化と回復をもたらされます。

 

キリストの復活を記念するイースターまで、あと4日。私たちを救うため、どこまでも何度でも、訪れてくださるイエス様を、共に心に迎えましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(埼玉県本庄市の本庄教会)のために、受洗志願者のために、新来者のために、教会の会衆のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆埼玉県本庄市の本庄教会のために祈ります。この教会が、日曜日の礼拝と、祈りの会を通して、キリストと共に生きる恵みを地域へ証しできますように。始めて教会へ来られる方、信仰が芽生えてきた方に、あなたの救いを伝えることができますように。

◆受洗志願者のために祈ります。今度の日曜日に、洗礼を受けようとしている方が、安心して、ここへ迎えられますように。また、いつも支えてくださったご家族にも、あなたの祝福がありますように。

◆新来者のために祈ります。春休みに教会へ来てくれた中高生、イースターに初めて礼拝へ来られる方に、あなたの慈しみがありますように。ここで、あなたから力を受けて、また新しく、生きていく力を得られますように。

◆教会の会衆のために祈ります。怪我や病気や衰えを感じつつ、互いのために祈りを合わせ、教会に心を向けてくださる信徒、客員、会衆に、あなたの恵みがありますように。それぞれが抱えている悩み、苦しみ、困難に、癒しと解決を与えてください。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌11番「どうか平和の主が」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週の聖書研究祈祷会は中部教区バイブルキャンプと重なったため、お休みさせていただきました。キャンプには31名の中高生が参加してくれました。お祈り感謝します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

また、聖書研究祈祷会が終わった後、受洗志願者と一緒に受洗勉強会も15:30まで行っています。今日で一旦最後となります。今後も、受洗する気はないけど興味のある人、既に受洗したけど出てみたい人があれば、気軽にリクエストしてくださると嬉しいです。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。