ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『安心させてくれ』 マタイによる福音書14:22〜36

在宅礼拝 2021年2月14日


『安心させてくれ』在宅礼拝 2021年2月14日

 

案 内

華陽教会では、感染拡大による岐阜県の医療提供体制の逼迫を受けて、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝へ切り替えています。共に今、見えない教会に集められていることを覚え、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)

 

招 詞

ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」(使徒言行録12:11)

 

讃美歌

旧讃美歌300番「みそらのかなたに」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて在宅礼拝を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの友なる神様。2月も半ばになり、今年度もいよいよ終わりに近づいています。卒園・卒業する子どもたちも、一歩一歩その準備を進めています。どうか今、出会いも別れも、成長も挫折も、全てがあなたによって益とされますように導いてください。

◆私たちの母なる神様。明後日には灰の水曜日を迎え、イエス様が受けられた苦しみと十字架を思い起こす受難節に入ります。どうか今、自らの罪と過ちに向き合い、新しい生き方ができるように、私たち一人一人を立たせてください。

◆私たちの父なる神様。会堂に集まる礼拝を休止して1ヶ月以上が経ちました。今日はこの後、会衆礼拝の段階的な再開に向けて、必要な協議や検討を行います。どうか今、あなたに対し、会衆に対し、社会に対し、最も誠実な決断ができるように導いてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書14:22〜36(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

交読文

共に、詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編119:9〜16

(*起立のジェスチャー)

讃美歌21をお持ちの方は、後ろの方をお開きください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは、一段下がったところと太字のところをお読みください。(新共同訳交読詩編より)

 

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dexmacによるPixabayからの画像

メッセージ

安心させてくれ……今日のメッセージのタイトルは、多くの人の心の叫びでもあるでしょう。コロナ禍に振り回され、自身の病気に悩まされ、お金がなくて不安になり、人間関係で参っている。生きていけるか? 自由になれるか? 孤独にならないか? 恐怖から自分を解放する、決定的な奇跡を求めます。

 

皆さんが欲しいのは、まさにこれでしょう。「安心」「安全」「安定」の社会、心配事の少ない穏やかな日常、いつでも助けてくれる仲間やヒーローがいる世界……きっと、これらを期待してキリスト教を信じた人もいるはずです。ところが実際には、信仰生活が始まっても安心できない日々が続いている。

 

神様を信じたら、恐怖に打ち勝つ強い心が与えられると思ったのに、先行き不明な将来や、いつかやって来る「死」に対して、未だ恐れを抱いている。治癒や回復を願ったのに、今もダメージを負っている。どんなときにも、安らぎと希望に満ちた生活ができるのを期待したのに、教会でも社会でも振り回されている。

 

信じた人は気づいたはずです。どうやら神様は常に安心させてくれるわけじゃない。恐怖や不安を全部取り除いてくれるわけじゃないと……むしろ信じてからも、次々と恐ろしい出来事が起こります。以前助けられた経験があっても、過去に救われた出来事があっても、何もかも平気になることはありません。

 

イエス様に従う弟子たちもそうでした。彼らは、ファリサイ派や律法学者に絡まれたときも、人里離れたところで飢えに襲われたときも、繰り返しイエス様に助けられました。しかし、困難がなくなることはありませんでした。イエス様に従っていると、心配事が減るどころか、どんどん事件に遭遇します。まるで呪われたかのようです。

 

台風は自分たちを避けるどころか、逃げ場のない湖で舟を出したときに限ってやって来ます。神様は「イエス様の弟子だから」という理由で、嵐を回避させてはくれません。一度ならず二度までも、彼らは激しい風に襲われます。しかも、イエス様が強いて自分たちを舟に乗せたとき。

 

これで、イエス様も一緒に乗っていたなら、まだいくらか安心できたかもしれません。ところが、イエス様は彼らを舟に乗せると「じゃ、私は一人で行くから」と姿を消してしまいます。自分たちだけ湖に放り出された弟子たちは、相当慌てたことでしょう。イエス様に言われて舟に乗ったら、急に逆風で悩まされる。雨の日に段ボール箱に取り残された子猫のようです。

 

もしかして捨てられたんじゃないか?……思わず疑ったとしても、おかしくありません。それくらい完璧なタイミングでした。「そんなはずはない」と何度も頭を振りながら、彼らは徐々に追い詰められます。このまま陸地に辿り着くことはないんじゃないか? イエス様の顔を見ることは、もうないかもしれない。

 

ちょうどコロナ禍で、いつ教会に集まれるか分からない私たちのようですよね。このまま感染症が収束することはないんじゃないか? みんなと一緒に礼拝できることは、もうないかもしれない。そんなとき、期待する奇跡があるとすれば一つです。神様、コロナを収束させてください。イエス様、この逆風を止めてください。

 

ところが、私たちの前に現れるイエス様は、期待した奇跡とは違う出来事を起こします。普通、逆風に悩む弟子たちを安心させようと思ったら、風を止めますよ。コロナ禍に悩む私たちを安心させようと思ったら、感染症を収束させますよ。でも、イエス様が起こす奇跡は、より信じられないものでした。

 

この逆風の中を、湖の上を歩いてきたんです。ありえないところから、私たちに近づいてきたんです。嵐の中で「安心させてくれ!」と叫ぶ私たちは、激しい風が止んだときこそ、祈りが聞かれたしるしだと思います。けれども、祈りを聞いたイエス様は、私たちと同じ強風に当たりながら、同じ恐怖に身を置きながら、こっちへ近づいて来るんです。

 

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」……ありえないところを歩く人影を見て、「幽霊だ」と怯える弟子たちに、イエス様はすぐ話しかけます。いつまでも陸地に辿り着かない、教会へ行けない状況で「捨てられた」と思う私たちへ、「安心しなさい」「私はあなたの祈りを聞いている」と言われます。

 

そう、逆風が吹き止まないことは、嵐が静まらないことは、イエス様に捨てられたしるしではないんです。むしろその時、この方は湖の上を歩いて、私たちに近づいています。自分を指差して「襲われる!」と怖がっている私たちへ「恐れることはない」と呼びかけます。

 

そのとき、弟子たちの中心的な存在であったペトロは言いました。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」……調子に乗った発言と捉えられがちですが、もしかしたら違うのかもしれません。普通この状況なら、まず「逆風を止めてくれ」と願うでしょう。でも、彼は自分を「あなたの方へ行かせてくれ」と願いました。この恐ろしい逆風が吹き荒れる湖の上で、あなたに近づかせてくれと。

 

間髪入れずに「来なさい」というイエス様にうなずいて、ペトロは恐る恐る水の上を歩いていきます。未だ、陸地につかない中、コロナが収束しない中、恐る恐る信仰生活を続ける私たちに、イエス様は逆風の中でも確かに歩けることを示します。ところが、途中でペトロは気づきました。強い風に、恐ろしい天気に、本来安心できない状況に。

 

その瞬間、沈みかけたペトロの手をイエス様はすぐ捕まえます。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」……その手厳しい言葉は、同時に温かい呼びかけでもありました。風が止まず、裁きに怯え、「捨てられたかも」と疑う者に、この方は迷いなく手を伸ばします。さらに、薄い信仰も、芽生えた疑いも、そのままにしてはおかれません。

 

2人が舟に乗り込んで、ようやく風が静まったとき、弟子たちは口々に言いました。「本当に、あなたは神の子です」……イエス様が湖の上を歩いた話は、信じてもすぐ疑い、調子に乗ってしまう弟子たちの成長しない姿を描いているように見えますが、よく見ると、彼らは確実に変化しています。

 

以前、同じように湖で嵐にあったとき、8章でイエス様が強風を静めた日、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」と言われた弟子たちは、ただ驚くばかりでした。「いったい、この方はどういう方なのだろう」……けれども今回は違います。風が止む前から、ペトロはやって来たイエス様に近づこうとし、湖が静まると、弟子たちははっきり告白します。「本当に、あなたは神の子です」

 

怖がり、疑い、神を見失った者たちが、安心できない状況の中、近づいて来るイエス様に変えられる。自分自身も神に近づき、信仰を告白する者へ変えられる。陸地につかない、コロナの収束が見えない状況で、私たちも変えられています。口にできなかった告白をする者へ、近づけなかった存在へ近づく者へ。

 

目を凝らしましょう。陸地がまだまだ遠い今、イエス様はあなたの近くにおられます。あなたに近づき、あなたを招き、あなたの告白を待っています。「安心しなさい」「恐れることはない」……この方の手を掴みましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の446番「主が手をとって起こせば」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。

 

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

 

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた最も基本的な祈り、『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌「どうか平和の主が」(©️柳本和良)を歌います。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

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祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マタイによる福音書14:27)

 

主がすべての災いを遠ざけてあなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)

 

報 告

本日も、配信を通して在宅礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅礼拝は、私と奉仕者の4名、同時に視聴されていた16名、計20名の出席でした。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信等による在宅礼拝は2月21日まで延長して行います。会衆が集まる礼拝の再開は、2週間毎に役員会で検討し、決定次第、教会員への連絡網とホームページのお知らせでお伝えします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。