ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『怪しい出来事』 使徒言行録2:1〜11

在宅礼拝 2021年5月23日


www.youtube.com

 

案 内

華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝に切り替えています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)

 

招 詞

その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。(ヨエル書3:1)

 

讃美歌

旧讃美歌179番「よろこびあふるる」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

◆聖霊の送り主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、ペンテコステの礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆一人一人の弁護者である私たちの神様。この一週間も、味方がおらず、守ってもらえず孤立していた人々を、あなたは擁護してくださいます。どうか今、弱った人の身の潔白を証明し、誠実な仲間を与えてください。

◆一人一人の助け主である私たちの神様。この一週間も、踏み躙られ、傷つけられ、攻撃にさらされてきた人々を、あなたは包んでくださいます。どうか今、痛みを負った人々を癒し、安心できる場所を備えてください。

◆一人一人の導き手である私たちの神様。この一週間も、道に迷い、自分を失い、立てなくなった人々を、あなたは支えてくださいます。どうか今、希望が見えない人を照らし、新しい知恵と力を注いでください。

◆私たちを送り出される、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録2:1〜11(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

f:id:bokushiblog:20210523083906j:plain

StockSnapによるPixabayからの画像

メッセージ

「聖霊」という言葉に胡散臭さを感じる人は、キリスト教会の中でも少なくないかもしれません。「聖霊を受けました」「聖霊に満たされました」「聖霊に語らされました」こうした言葉を聞くと、牧師をしている私でも「本当に……?」とつい疑ってしまいます。自分の体験、自分の選択を特別視し、正当化する便利な言葉にもなるからです。

 

周りの人に見えないもの、他人には感じられないもの、だけど、否定することは難しいもの……聖霊って、なかなか厄介です。神様を信仰する以上、その神様から送られてきた聖霊を、安易に否定することはできません。でも、「誰の」「どんな」出来事に、聖霊が関与しているか、信仰者同士でも互いに察することはできません。

 

見えないし、聞こえないし、触れないから。あの人の感じた聖霊が、自分にも感じられるとは限らないから。「信仰があれば誰でも分かる!」と言えたら嬉しいですが、私自身も生まれてこのかた30年、はっきりと聖霊を感じたこと、分かったことはありません。「あれは聖霊の働きかも……」と思っても「そうだ」と言い切ることはできません。

 

復活したイエス様と出会っても、全然気づかなかった弟子たちのように、神様の送った聖霊を受けても、全然気づかない私たちがいます。後になって、心が燃えていたことに気づき、神様と、イエス様と、聖霊と、出会っていたんだ……と口にする場合もあるでしょう。エマオの途上でイエス様と出会い、いなくなってから気づいた2人のように。

 

でも、気づいた瞬間「いない」から、本当にそうか分からなくなる……「聖霊って何ですか?」という質問に、私がなかなか答えられないのは、そんなふうに、把握が困難なものだからです。聖書の中でも、「助け主」と言われたり、「弁護者」と言われたり、「イエス様を力づけた霊」であったり、「イエス様自身の働き」でもある。

 

一貫した説明じゃないですよね? まさに、よく分からない力であり、よく分からない働きであり、よく分からない交わりです。しかも、怪しい出来事を引き起こす。先ほど読んだ聖書箇所、「五旬祭の日に聖霊を受けた弟子たちが、突然、色々な国の言葉で語り出した」という出来事も、現代の私たちからすれば、荒唐無稽に聞こえます。

 

そんなことありえない! 何かの冗談だ! 一部の人が「あの人たちは新しいぶどう酒に酔っているのだ」とあざけって、納得しようとしたのも分かります。もちろん、酔っ払った人間が、知らない外国語を話し始める、というのも無理がありますが……不思議な出来事を目にした人たちは、感動するより先に、驚き、怪しみ、戸惑います。

 

「いったい、これはどういうことなのか」……聖霊って、超常現象を起こす力なのか? 超能力を与える力なのか? 激しい風を起こし、家中に音を響かせ、人々の注目を集めるような奇跡をもたらす力なのか? 単にそういうものであるなら、オカルトの分野とどう違うのか?

 

新型コロナの第4波により、岐阜県に非常事態宣言が出てから一ヶ月、日曜日も教会に集まらないで、家に閉じこもる私たちには、別世界の話に聞こえます。もしも今、弟子たちに送られた聖霊が私たちにも注がれて、色々な国の言葉で話せるようになったとして、いったい何の意味があるでしょう? どんな現実を変えられるでしょう?

 

たぶん、変えられるものはありません。感染症が落ち着くまで、まだ教会には集まれない。好きなところへ出ていくことも、みんなと会うこともままならない。何とか礼拝に集まれたとしても、飛沫感染を避けるため、歌も、会話も制限される。ひとつになって集まりながらも、ユダヤ人に捕まらないよう、沈黙していた弟子たちのように。

 

外国語が話せたからって、外に出たら危険な事実は変わらないんです。そもそも、弟子たちが異なる言語で話し始めた相手だって、言葉が通じない人たちじゃありません。パルティア、メディア、エラムからの者、メソポタミア、ユダヤ、カパドキアからの者……ここに挙げられている人たちは、たいてい共用語であるアラム語かギリシャ語を話せました。

 

福音について、キリストについて、神の国について話すなら、もとから知っているアラム語かギリシャ語で十分伝えることができました。わざわざ諸外国の言葉を離さなくても通じたんです。むしろ、イエス様みたいに捕まらないよう、ユダヤ人から隠れていた弟子たちが、こんな奇跡で目立ったから、かえってリスクが高まります。

 

神様から、イエス様から送られてきた聖霊は、弟子たちをどうしたかったんでしょう? 「キリスト教ってすごいんだぞ!」「信じればこんなことができる!」というアピールに過ぎないのだとしたら、ほとんどの人が、そこに到達することのない、マルチ商法と変わらない……いったい、この奇跡を私たちはどう捉えるべきなんでしょう?

 

弟子たちはここに書かれているだけで、17の国や地域、民族の言葉を話しています。イエス様を裏切って自ら命を絶ったユダの代わりに、マティアが加わったことを考慮しても、あと5人足りません。ここにいないはずの誰かが、彼らと一緒に話し始めたかのようです。

 

さらに、パルティアからアラビアまで挙げられている国の中には、既に滅んだところもあります。当時、地図から消えていた地域、同じところに集まっているはずのない人たちが、なぜか登場しています。弟子たちが話し始めた言葉は、距離や時間や空間を超えて、そこにいない人たちにまで、聞こえてしまう言葉でした。

 

そこに、あなたも、いるんです。一昨日亡くなったあの人も、昨年召されたあの人も、まだ洗礼を受けていないあの子や、教会に来てないあの人もいます。共に礼拝へ出られない、一つになって集まれない、あなたと私とあの人が、場所も時間も死も超えて、あの日、一緒に語られたんです。今日、聖書を開いたとき、あなたもあの日に居合わせたんです。

 

聖霊は、超能力や超常現象を起こす力じゃありません。それよりも、ずっと素敵な、大切な力をもたらします。聖霊は、一つになれない者たちを集め、無視されてきた者たちへ語り、一人一人が必要とする言葉を語ってきます。そこに居合わせた者たちは、驚き、怪しみ、戸惑って、聖霊のわざだと気づかないまま、話を聞くかもしれません。

 

でも、確かに、私たちは、神様から聖霊を送られ続けているんです。神の息が吹き込まれ、新たな者に作りかえられ、神にきよめられた者として、共に賛美をささげましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の348番「神の息よ」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

 

司会:一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

愛 餐

本日は、信仰を告白した人があずかる聖餐式に代わって、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

分かち合い

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、このパンと水は、信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。配信を見ておられる教会員の方は、郵送する献金袋に入れて、また後日来られたときにおささげください。

 

讃美歌

オンライン賛美歌「閉じこもる私たちに」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

f:id:bokushiblog:20210523083617p:plain

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。(使徒言行録1:8)

 

祝 福

願わくは主があなた(がた)を祝福し、あなた(がた)を守られるように。

願わくは主がみ顔をもって/あなた(がた)を照らし、あなた(がた)を恵まれるように。

願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜るように。(民数記6:24〜26より)

 

報 告

本日も配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の在宅礼拝は、ライブ配信の奉仕者6名、同時に視聴された14名、計20名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週の在宅礼拝は、薬物依存症のリハビリ施設である岐阜ダルクから2名の方をお招きして、その活動を通して与えられた信仰の証をしていただきます。薬物依存やセクシュアリティに関わる生々しい内容にも触れますが、事前に話し合いをして、牧師と役員会が了解した上で、メッセージをお願いしています。

 

勇気と使命感を持ってお話ししてくださるので、配慮のないコメントや誹謗中傷となる発言には注意して礼拝にご参加いただけるよう、ご協力どうぞよろしくお願いします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。