ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『聖書のみってどういうこと?』 申命記4:1〜4、ヨハネの黙示録22:18〜21

聖書研究祈祷会 2021年10月6日


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案 内

華陽教会では、現在の医療提供体制を踏まえ、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会も配信と並行して開いています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の52番「歌え高らかに」を歌いましょう。諸事情で、マスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会が開けたことを感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を探している人を導いてください。

◆私たちの神様。今日から久しぶりに、また教会に集まって、聖書を開くことができるようになりました。どうか今、すぐには集まれない人も、体調やリズムが整わない人も、これから顔を合わせる機会が増えるよう、つながりを豊かにしてください。

◆私たちの神様。日曜日には、会衆が集まる礼拝も再開します。同時に、学生YMCAシニア夏期ゼミの参加者も、配信を通して、遠くから礼拝に参加します。どうか今、見えるつながりと、見えないつながりで、より深く、広く、私たちを結び合わせてください。

◆私たちの神様。再来週には、延期していた岐阜地区の交換講壇も行われます。どうか今、飛騨高山教会に赴任された北川博司先生と、隠退された大塚信明先生に、あなたの祝福が豊かにあって、岐阜地区の交わりも、ますます豊かにされますように。

◆私たちを送り出される、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。申命記4:1〜4、ヨハネの黙示録22:18〜21(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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stempowによるPixabayからの画像

メッセージ

10月の聖書研究祈祷会は「宗教改革」がテーマです。宗教改革と言えば、マルティン・ルターをはじめとする宗教改革者が主張した「聖書のみ」「信仰のみ」「万人祭司」という三大原理が頭に出てくると思います。中学や高校で世界史の授業に出てきますし、プロテスタントの教会なら、何度も耳にしたキーワードでしょう。

 

今日は、その一つである「聖書のみ」という宗教改革の原則について、もう一度、聖書から学ぼうと思っています。この原則が訴えられるようになったのは、教会の世俗化や堕落が進み、聖書に全く根拠のない伝統が作られ、一部の人に都合の良い教えが主張されていたからです。最も有名なのが贖宥状、いわゆる「免罪符」の問題でしょう。

 

もともと「贖宥」とは、教会がキリストの代理として、一時的罪に対する罰の赦しを与えることで、罪を犯してしまった人は、その感謝の気持ちを表して、善行に励んだり、慈善のために献金することもある……というものでした。これは、罪を償うべき「罰」が赦されるのであって、「罪そのもの」が赦されるという意味ではありませんでした。

 

また、感謝を表そうとして献金するのは、「赦しの結果」であって「条件」ではなかったんです。ところが、ルターの頃には、これらの理解がねじまがり、贖宥状を買うことが、「罪の赦しを買う手段」と多くの人に信じられていたようです。ルターはこれに抗議して教会の贖宥状販売に対する『95箇条の質問状』を送りました。

 

ようするに、「お金で罪の赦しが買えるなんて、聖書に書いてないじゃないか?」「贖宥状を販売していい根拠なんて、聖書のどこにもないじゃないか?」と問いかけたわけです。ここから「聖書に根拠のない教えや伝統は正当化するべきじゃない」という「聖書のみ」の原則が広く訴えられていきました。

 

でも実は、「聖書のみ」という原則は、ルターの前から、カトリックに留まっていた人によっても、訴えられてきました。たとえば、宗教改革の先駆者であるイギリスの哲学者ウィクリフは、「聖書こそ、キリスト者の信仰と、実践の唯一の基礎なんだ」と主張して、ラテン語のウルガタ聖書を英語に翻訳しました。

 

ルターが聖書をドイツ語に訳す前から、既に、母国語の聖書翻訳に着手していた人がいたんです。さらに、ボヘミアの神学者ヤン・フスは、ウィクリフの著作をチェコ語に訳して、ルターよりも先に、贖宥状販売を批判し、ローマから破門され、異端として火あぶりの刑にされていました。

 

なかなか激しいですよね。それくらい「聖書のみ」という原則は、教会の積み重ねてきた伝統を、ある意味、破壊するものだったんです。実際、今でも「聖書のみ」という原則をきちんと守ろうとしたら、多くの教会は、大事にしてきた伝統を、慣習を、失うことになるでしょう。

 

ある教会は、聖書に根拠のない階級を作っているかもしれません。ある教会は、聖書に根拠のない儀式を行っているかもしれません。ある教会は、聖書に根拠のないルールを定めているかもしれません。こう言うと、そこまであからさまなことはしていない、と自分たちの教会を振り返るかもしれませんが、果たしてそうと言えるでしょうか?

 

たとえば、「牧師夫人」……そんな役職、聖書に根拠はないけれど、多くの信徒が、牧師の連れ合いに対して、大きな働きを期待し、当然だと思っている。やってくれなきゃ困るし、教会が回らないと感じている。ちょうど、贖宥状を売れなければ、教会財政が維持できない、困ると考えていた、いつかの教会の姿みたいに。

 

聖書のみって、実はけっこう難しいんです。聖書に根拠のないものを、私たちはいくらでも正当化しています。それ以外、考えられない態度を取っています。だから、かつて神の言葉を受けた聖書の記者たちも、注意深く警告をしているんです。非常に厳しい言葉ですが、旧約にも新約にも出てくる以下の言葉は、私たちに繰り返し改革を促します。

 

「あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない」「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる」

 

かつて、教会に加えられた裁きは、おそらく当時の人々にとって、災いだったに違いありません。教会の分裂、教師への糾弾、ある種の炎上……しかし、それらはもう一度、全ての信徒と聖職者が、神の言葉に立ち返る、気づきと力を与えました。神様は、私たちを滅ぼすためではなく、立ち返らせ、新しく歩み直させようと、裁きと改革をもたらします。

 

今日から、再び私たちは教会に集まって、聖書研究祈祷会や日曜礼拝を開けるようになりました。今日から、再び私たちは聖書を開き、疑問やつまずきを共有できるようになりました。今日から、再び私たちは自分自身が聖書に付け加えてしまったもの、あるいは無視してしまったものを、互いの読み方から気づく機会を取り戻します。

 

今月末に訪れる、504回目の宗教改革記念日に、私たちも、自身の在り方と、所属する教会の在り方を改革し続けていけるように、神の言葉と真摯に向き合いたいと思います。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(滋賀県近江八幡市の近江金田教会)のために、病気の人のために、障がい者のために、高齢者のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆滋賀県近江八幡市の近江金田教会のために祈ります。様々な弱さを抱えた人、考えや立場の違う人、信仰のありようが異なる人、それぞれが、共に歩む教会を目指して、進んでいくことができますように。この教会に、あなたの祝福がありますように。

◆病気の人のために祈ります。通院、入院、施設、自宅、それぞれの場所で、それぞれの形で、病気と向き合っている人たちに、あなたの癒しと回復がありますように。どんな痛みも苦しさも、不安も恐れも、あなたによって和らぎ、救われますように。

◆障がい者のために祈ります。身体障害、精神障害、発達障害、また、強度行動障害によって、生活に困難をきたしている人に、あなたの助けがありますように。本人も、家族も、周りの人も環境や理解が整えられ、生きやすさとやりたいことが得られますように。

◆高齢者のために祈ります。身内や友人が減ってきた人、心や体の機能が衰えてきた人に、あなたの励ましがありますように。孤独や孤立から解放され、色んな人とつながって、あるいは好きなことが見つかって、幸せな余生を送ることができますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌1番「枯れた谷に鹿が」(©️柳本和良)を歌いましょう。諸事情で、マスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、奉仕者3名、出席4名、計7名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週から、日曜礼拝も会衆が集まる形で再開します。聖書研究や礼拝に参加される方は、マスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力いただけるよう、どうぞよろしくお願いします。また日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。