ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『創造されていない者?』 創世記1:24〜31

日曜礼拝 2023年10月29日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。(コロサイの信徒への手紙1:17)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌Ⅱ編の26番「ちいさなかごに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆この世界を造られた、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日は、宗教改革506年を記念して、新しい翻訳の聖書や、コロナ禍に作った式文を用いて、礼拝を行います。どうか今、この時代に問い直される、一つ一つの事柄を受けとめ、私たちが自ら改革できるように、教会全体を導いてください。

◆私たちの神様。礼拝後には、「カルトと教会」というテーマで教会研修会も開かれます。どうか今、宗教者として問われること、私たち自身が見直すべきこと、健全な伝道と誠実な信仰継承を行うために、必要な気づきと発見を与えてください。

◆私たちの神様。来週は、召天者記念礼拝として、亡くなった方の写真を見ながら、天においても、地においても、共にあなたを礼拝していることを思い起こします。どうか今、遠方から来られるご遺族や会衆一人一人の健康を導き、豊かな希望で満たしてください。

◆私たちを新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。創世記1:24〜31の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編104:19〜23(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の223番「造られたものは」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

Jess FoamiによるPixabayからの画像

メッセージ

今週、10月31日には、506回目の宗教改革記念日を迎えます。「宗教改革」と言えば、聖書に根拠のない贖宥状、いわゆる免罪符の他、聖職者の地位の売買、教会の私物化に対する批判など、様々な抗議で有名です。ウィクリフ、ヤン・フス、マルティン・ルターをはじめとして、多くの宗教改革者が、組織の見直しを訴え、改善に尽力してきました。
 
そんな中、かつてはラテン語でしか読まれなれかった聖書朗読が、各々の国の言葉で読まれるようになったり、聖歌隊に限られていた賛美歌が、会衆賛美としてみんなで歌われるようになったり、聖職者しか飲めなかった聖餐式のぶどう酒が、会衆にも配られるようになったり、様々な変化が起きていきました。
 
それまで支配的だった聖書の読み方や解釈にも、見直しと反省が迫られるようになりました。どれだけ寄進や献金をしたか、どれだけ奉仕や善行をしたかという「行いによって救われる」のではなく、ただ神様を信じる「信仰によって救われる」ことを確認し、贖宥状の購入や十字軍への参加を「救いの条件」とする根拠はないことが明らかにされました。
 
昨年以降、破壊的カルトによる、霊感商法や高額献金の被害が話題になっていますが、キリスト教会の中でも、16世紀には、それに近いことが起きていました。そのため、教会は指導内容を改め、献金と奉仕は「神の恵みに対する応答」であって「救いの条件」ではないこと、救われるためにいくら献げろ、という根拠はないことをはっきりさせました。
 
このように、自分たちの組織と集団を振り返り、共同体が抱える問題を追求し、改革のために、抗議する人々のことを、いつしか「プロテスタント」と呼ぶようになりました。文字通り「抗議する者」という意味ですが、私たちが自分のことをプロテスタントと言うときには、単に「あのとき抗議した」「かつて改革したグループ」を指すのではありません。
 
今も、自分たちの中で、間違ったことにはプロテストする、改革し続ける教会として、自らをプロテスタントと位置付けるのが、私たちに求められているあり方です。決して、「過去に間違ったことを改めたから、今の私たちは正しいんだ」と主張することが、プロテスタントではありません。
 
今も、自分たちの中にある問題を見つめ、改革していく勇気を持った共同体が、本当のプロテスタントです。そう言うからには、実際に今日、勇気を出して、私たちキリスト教会の問題の一つに、向き合う責任があるでしょう。本日、聖書日課で示された創世記1章1節から31節には、天地創造に関する記述が載っています。
 
長いので、聖書朗読では24節から31節のみにしましたが、この箇所はまさに、キリスト教会が長い間、ある人々を罪人として、自然ではない存在として、許されていないあり方として、断罪する根拠にしてきた聖書箇所です。メッセージのタイトルと1章27節を読めば、ピンとくるかもしれません。
 
「神は人を自分のかたちに創造された。神のかたちにこれを創造し、男と女に創造された(聖書協会共同訳)」神様がどうやって人を造ったのか示した記述。これを抜き出して、攻撃されてしまったのが、同性愛者やトランスジェンダーの人たちでした。神は人を男と女に創造された。それ以外の性は造らなかった。だから、彼らの在り方は不自然だ、と。
 
確かに、新しく翻訳された聖書協会共同訳でも、はっきり「男と女に創造された」と書かれています。同性愛者やバイセクシュアル、トランスジェンダーの存在を造ったとは書かれていません。しかし、それを理由に、自然ではない、正しくない在り方として、LGBTの人たちを否定するのは、それこそ、正しくないんです。
 
なぜなら、「聖書に書いてないから」という理由で、その在り方が否定されるなら、今、自然に受けとめられている存在も、否定されなければならないからです。たとえば、創世記1章20節には、こう書いてあります。「鳥は地の上、天の大空を飛べ(聖書協会共同訳)」しかし、現実には、全ての鳥が、これに従っているわけではありません。
 
南極にいるペンギンは、地の上ではなく氷の上で生活し、天の大空ではなく海の中を泳いでいます。しかし、ペンギンを指して「神の命令に背く不自然な生き物だ」と、そのあり方を否定しようとする人はいないでしょう。聖書に書いてないから、という理由で、そのあり方を否定するのは、一見正しいようで、実は自分の主観に振り回されているんです。
 
でも、他の箇所で、同性愛の行為ははっきり禁じられている!……そう言って、なお、LGBTのあり方を否定したくなるかもしれません。確かに、レビ記18章22節には、男性に対し、「女と寝るように男と寝てはならない。それは忌むべきことである(聖書協会共同訳)」と書いてあります。
 
新約聖書でも、コリントの信徒への手紙一6章9節で「男娼となるもの」「男色するもの」は「神の国を受け継ぐことはありません」と厳しく否定されています。これを、現在知られている「同性愛」の否定と受け取るべきか、議論はありますが、いずれにしても、これらの教えを根拠にして、安易に、誰かを断罪することは避けなければなりません。
 
なぜなら、「聖書に書いてあるから」という理由で、その在り方を否定すれば、他に守られなければならないと思う存在も、守れなくなるからです。たとえば、申命記22章24節には、婚約者のいる女性が、町の中で襲われた場合、襲った男性と共に、被害者の女性も、死刑にしなければならないと書かれています。
 
その理由は、「町の中で娘が助けを求めて叫ばなかったから」……とされています。しかし、実際には、恐怖で声が出なかったり、「叫べば殺す」と脅されたりして、物理的には助けを呼べても、声を上げられない人も多いでしょう。おそらく、ほとんどの人は、聖書の言葉どおり、助けを呼べずに襲われた女性を「死刑にすべき」とは思わないでしょう。
 
しかし、「聖書に書いてあるから」同性愛者を断罪するのが正しいなら、町の中で、襲われた女性を断罪することも、正しくなってしまうんです。このように、聖書に書いてあるから、という理由で、そのあり方を否定するのは、一見正しいようで、実は大きな危険を伴っています。
 
私たちは、「聖書のみ」という宗教改革の原理に従って歩もうとしますが、実際のところ完全に聖書のみを根拠にして行動することはできません。聖書を理由にしていても、必ず自分自身の主観や偏見、嫌悪感が介入してきます。「そんなことはない」「自分は聖書だけを根拠にして主張している」という人間は、その高慢さに気づけていません。
 
聖書を根拠に、ある行動を正当化すること、自分の正しさを主張することは、イエス様を誘惑した悪魔だってやっていたことです。また、かつてドイツでは、キリストが十字架につけられたことについて、「その血の責任は、我々と子孫にある」とユダヤ人が答えたことを理由に、多くのユダヤ人が迫害され、殺されました……聖書に書いてあるから……
 
21世紀を迎えた現在も、同様のことを繰り返していないでしょうか? 律法に書いてあるからという理由で、病人を汚れた者として扱い、排除した共同体。かつて神様が命じたからという理由で、異邦人を蔑み、拒絶した共同体。それに対し、罪人として蔑まれた人たちと、共に食卓を囲み、「あなたの信仰があなたを救った」と宣言されたイエス様。
 
今、私たちが「創造されていない者」として、ある人たちを否定するとき、どちらに、ならっているでしょう? どちらに陥っているでしょう? イエス様は、故郷でも、会堂でも、神殿でも……身内にも、同胞にも、敵対者にも……新しい生き方をもたらすために繰り返しプロテストしてきました。私たちに、自らを顧みる力を与え続けてきました。
 
新しく創造されることは、今までの私たちの否定ではありません。神様は、造ったすべてのものをご覧になったとき、「それは極めて良かった」と言われました。今までも、これからも、あなたがここにいることは、神様が望む、良いことなんです。あなたを造られた神の祝福が、あなたと、あなたの隣にいる者を、照らし続けてくださるように。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌8番「何も変わらないと(B)」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Bです。オンライン賛美歌の後ろの方の3頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。

 

主の祈りは、イエス様が教えてくださった「祈り方の基本」です。華陽教会では、文語訳の「93-5A」を使っていますが、本日は、初めて来た人や子どもたち、若い人にも祈り方が伝わるように、「日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳」を使いたいと思います。差し支えない方はお立ちいただき、オンライン讃美歌の後ろの方の4頁、右側の祈りをご覧ください。主の祈り。

 

 

愛 餐

本日は、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。御着席いただいたままで大丈夫です。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

配 餐

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、初めて来た方も、このパンと水は信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。

 

 

本日、礼拝に来られているお子さんも、一緒に受け取っていただけます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。係の方は、前へお越しください。(パンと水を配る)

 

分かち合い

ケースの蓋をお取りください。共に、神の恵みを味わいましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2、3節を歌いましょう。御着席いただいたままで大丈夫です。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」3節を歌いましょう。

 

讃美歌

「派遣」の賛美歌92番「主よ、わたしたちの主よ」4節を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げよ。(『讃美歌21』の93-6-4、イザヤ書52:7より)

 

祝 福

主があなた(がた)を祝福し、あなた(がた)を守られるように。主が御顔を向けてあなた(がた)を照らし、あなた(がた)に恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。(民数記6:24〜26)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

この後、軽食を挟んで、12時半から「カルトと教会」というテーマで、教会研修会を行います。だいたい1時間、13時半には終わる予定なので、時間のある方や興味のある方はぜひ、ご出席ください。

 

なお、来週の日曜日は、召天者記念礼拝です。先に、天へ召された方々も、神の国で一緒に礼拝していることを覚え、会堂の前に、写真を置かせていただきます。教会員でない方も、希望される方は一緒に、写真を飾って、神の国での再会を祈ることができます。

 

今年は、礼拝後12時半〜13時半に、教会から車で10分程度の墓苑にて、墓前礼拝も行う予定です。外での礼拝は、だいたい30分程度です。ご無理でない方はぜひ、お越しください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。