ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『神か人間か分からない!』 マタイによる福音書1:18〜23

聖書研究祈祷会 2021年7月7日


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案 内

華陽教会では、感染症拡大を防ぐため、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の人数調整をした上で、聖書研究祈祷会も短く開いています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の352番「来たれ全能の主」を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆父・子・聖霊なる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を必要としている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日から聖書研究祈祷会も、久しぶりに教会に集まって行います。すぐには参加できない人もいますが、再開を導いてくださり、感謝致します。どうか今、行けなかったところ、集まれなかったところへ、少しずつ私たちを送り出してください。

◆私たちの神様。ワクチン接種も少しずつ進んで、感染リスクの高い人たちも前より集まりやすくなりました。一方で、副反応から痛みや熱が出ている人もいます。どうか今、一人一人の健康と体調を守り、みんなの安全を築かせてください。

◆私たちの神様。離れたところで、華陽教会の礼拝や聖書研究祈祷会に参加している人を覚えます。顔を見せることはできないものの、みんなのために祈りを合わせ、支えてくださる方を覚えます。どうか今、その人たちにもあなたの大いなる恵みがありますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書1:18〜23(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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メッセージ

今月の聖書研究祈祷会は「三位一体」と「キリスト論」をテーマにメッセージをしていきます。その第一回目である今日は、神の子イエス・キリストの正体について、聖書から考えてみたいと思うんです。ちなみに「キリスト論」とは「イエス・キリストって何者なの?」という議論のことです。

 

新約聖書の一番初め、マタイによる福音書の第一章を開いてみると、ズラッと人の名前が記された「イエス・キリストの系図」というのが出てきます。聖書を通読しようと思って最初につまずくところですよね。ようするに、イエス様のお父さんの、お父さんとお母さん、そのまた、お父さんとお母さん、さらにそのまた、お父さんとお母さん……というふうに並べていった家系図です。

 

これを見ると、どうやらイエス様の父親の家系は、大昔に神様が選んだ、イスラエルの王ダビデの子孫みたいです。つまり、イエス様は正統な王の血筋として、立派な人間の家系から生まれた、と書かれているように聞こえます。ところが、この家系図には、異教の国から来た女性や、外国の娼婦だった女性の名前も出てきます。

 

さらに、王と人妻との間に生まれてきた子どもや、姑と嫁との間に生まれてきた子どもの名前も、父方の家系に記されています。あまり清らかな血筋とは言えません。イエス様の家系図から分かるのは、けっこうドロドロした人間模様です。神に約束された救い主が、こんなめちゃくちゃな家系から生まれてきていいんだろうか? と不思議に思います。

 

いくら王の家系とはいえ、この系図、見る人が見れば、生々しいエピソードが次々と脳裏に浮かんでくる、黒歴史の詰まったものなんです。しかも、よく考えてみると、イエス様の母マリアと結婚したヨセフは、イエス様と直接血のつながりがありません。先ほど読んだ18節から23節で書かれているように、マリアはヨセフと結婚する前、聖霊によってイエス様を身籠るからです。

 

あれ? じゃあ、イエス様はダビデ王の子孫じゃないの? だったらわざわざ、物議を醸す名前が出てくる系図なんて書かない方がいいんじゃないの? 加えて、聖霊によって身籠ったということは、マリアから生まれてきたイエス様は人じゃないのか? 「半分は神で半分は人間」というギリシャ神話に出てくる英雄のような存在なのか?

 

それにしては、力持ちのイメージもないし、戦争で勝利をもたらすこともないし、あっさり十字架につけられて死んじゃうけれど、結局、神でも人でもなかったのか? 罪のない清らかな存在なら、なぜ人間と同じように、悔い改めのバプテスマを洗礼者ヨハネから受けたのか? 悪魔の誘惑を受けたとき、奇跡の一つでも起こさなかったのか?

 

3世紀から4世紀の人々も、イエス様の正体は神なのか人なのか、激しく議論してきました。イエス様のことを、神と同じ存在ではなく、「神の最高の被造物」と言う人や「見かけは人間だけれど中身は神だ」と言う人も現れました。もともと人間だったけれど、神に変化していったと考えるような人もいました。

 

ようするに、イエス様は「神なのか、人なのか」はっきり分けて考えたい人が多かったんです。「ある部分は神で、ある部分は人」と分かりやすくしたかったんです。そうじゃないと、神なのに弱く、汚く感じたり、人なのに遠い幻のように感じてしまう。救い主が自分と同じくらい弱かったら困ります。愚かな自分の気持ちが分からないほど清らかだったら困ります。結局救ってもらえないから。

 

でも、残念ながら聖書には、イエス様のどこからどこまでが人間で、どこからどこまでが神なのか、あるいは、どっちに分けられるのか、明確に示す記述はありません。半分は神で半分は人間とか、見かけは人間で中身は神とかいう説明もありません。むしろ、ある箇所では「真の神」であることが書かれており、別の箇所では「真の人」であることが書かれています。半分ずつ神と人なのではなく、完全な神であり、完全な人なんです。

 

そう、イエス様は、人と同じく弱い存在でありながら、神と同じく強い存在でもあり、人と同じ悩みや葛藤を覚えながら、神と同じ意志をもって悪に打ち勝つ存在です。悩み事を持たない強者でもなく、克服する力のない弱者でもありません。怒りや憤りを持たないピュアな方でも、善を全うできない愚かな方でもありません。

 

全ての人を、悩みから、苦しみから、痛みから、恐れから、救い出すことができるのは、そういう方なんです。451年に開催されたカルケドン公会議では、このキリストこそ「真の神であり、真の人間」であり、「2つの本性において混合されることなく、変化することなく、分割されることなく、分離されることがない」と宣言されました。

 

イエス様の正体は、神か人かに分けられるものではなく、完全な神であり完全な人だから、全ての人を救うことができると理解されたんです。そう、イエス様は、不倫によって生まれた子であり、部落出身の人間であり、没落した政治家であり、奴隷だった人間です。同時に、彼らを王に、親に、指導者にしてしまう神であり、苦しみから解放させる救い主です。

 

誰にも赦してもらえない、誰にも分かってもらえない、誰にも付き合ってもらえない者を、この方はその身になって助けます。ありえない変化をもたらし、回復してしまいます。だから、私たちは今日も、その信仰を告白するんです。インマヌエル、我々と共におられる神、イエス・キリストのお名前によって、共に祈りを合わせましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(大阪府貝塚市の貝塚教会)のために、災害に遭った人のために、親しい人を失った人のために、心身を壊している人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆大阪府貝塚市の貝塚教会のために祈ります。高齢の方々の健康が守られ、信仰の輪が広がっていきますように。離れた人たちが再び帰って来られる場所になりますように。代務の牧師が支えられ、専任の牧師が新しく立てられますように。

◆災害に遭った人のために祈ります。大雨、洪水、土砂崩れなどにより、被害に遭った人達を助けてください。速やかな救助と復興がもたらされ、必要なケアとサポートが行き届くように、被災者も支援者も導いてください。

◆親しい人を失った人のために祈ります。事故や病気や災害によって、親しい人を見送った方々に、あなたの慰めがありますように。お別れがきちんとできなかった人や、早くに身内を亡くした人が、新しい希望を持てるように顧みてください。

◆心身を壊している人のために祈ります。様々な原因で心を壊し、体調を壊し、不自由な生活を送っている人へ、あなたの慈しみがありますように。適切な治療やケアがもたらされ、つながる人の心身も支えられますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌2番「あなたの内なる人を」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も、配信を通して聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、ライブ配信の奉仕者2名、配信参加者の2名、計4名が出席されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

今週から、聖書研究祈祷会も再開しています。初めて来る方も一度に大勢でなければ、問い合わせなしで参加できます。日曜礼拝は人数調整があるので、ご希望の参加日をお問い合わせください。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。