ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『思い巡らすクリスマス』 ルカによる福音書2:1〜19

クリスマス礼拝 2021年12月19日


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案 内

華陽教会では、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。(イザヤ書9:6)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌508番「主よ、日に日に」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆言と命と光をもたらす、私たちの神様。クリスマスの礼拝に、こうしてみんなで集まれたことを感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。アドヴェント・クランツに4つの火が灯り、救い主の誕生を祝うクリスマスが、いよいよ目の前にやって来ました。どうか今、この日を待ち望んでいる人も、待ち望みさえできない人も、共に、あなたを迎えることができるように導いてください。

◆私たちの神様。世界中で新型コロナが再び拡大する中で、教会に集まれないところ、礼拝に出られない人もいます。どうか今、家畜小屋に、飼い葉桶に、藁の中に現れた救い主が、路上に、倉庫に、自宅に、施設に、一人一人の隣にいることを思い出させてください。

◆私たちの神様。今朝、喜ぶ気分になれない人を、誰にも会いたくない人を、外に出たくもない人を、あなたは呼び集めています。悲しみ、苦しみ、戸惑っている人々に、あるいは怒っている人に、あなたは恵みを持って来ます。どうか今、受け取らせてください。

◆私たちと共におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書2:1〜19(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編98:1〜19(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の249番「おさなご 主イェスよ」を歌います。(お立ちください)

 

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165106によるPixabayからの画像

メッセージ

今年ほど、クリスマスをどう迎えるか迷った年は、今までなかったかもしれません。日本では、多くの教会が礼拝を再開しています。今までグループに分かれていたところも、デルタ株の収まりを見て、ほとんどが、みんな集まる形へ切り替えました。一方で、海外に広がっているオミクロン株の感染が、国内でも見つかるようになってきました。

 

まだそんなに増えてはいないけど、もしかしたら去年のように、一気に拡大するかもしれない。たくさんの人を呼びたいけれど、積極的に集まることは、控えた方がいいかもしれない。せっかく感染症が収束してきたように見えるのに、手放しで喜べない、警戒を解きにくい。どの程度自粛して、どの程度制限を解くべきか、ぐるぐる考え込んでしまう。

 

まさに、"思い巡らす"クリスマスです。何なら今朝も、自分がここへ来ていいか、家族を連れて来ていいか、配信を通して参加するか、迷いながら決断して、やっぱり始まってから「これでよかったんだろうか……?」と、思い巡らしている人が、いるかもしれません。実は、私も同じです。

 

礼拝の中で、愛餐式をやること。祝会をやめて、代わりにティータイムを持つこと。初めて教会に来る人も、問い合わせなしで参加できるようにしたこと……色々工夫はしたものの、それでもやっぱり考えてしまう。さあ、これで良いクリスマスになるんだろうか? 終わった後、まずいことにはならないか? この先、どんな展開が待ち受けているか……?

 

本当は、もっと喜びたいんです。お祝いムードでいたいんです。でも、色々考えてしまう。今後のことが気になってしまう……思い巡らして当然です。私たちはそういう時代に生きている。あなた自身も、そういう日常に生きている。救い主を、産んだばかりの母マリアが、訪れた羊飼いたちに祝われながらも、思い巡らしていたように。

 

あの日、みんなの待ち望む救い主は、最悪のタイミングで、最悪の場所に生まれてきました。自分の家で、出産の準備をしていたマリアとヨセフに「故郷の町で住民登録をするように」という勅令が飛び込んできます。赤ん坊のために用意したベッドも、清潔な布団も全部置いて、彼らは何の用意もないところへ、行かなければなりませんでした。

 

ヨセフとの婚約中に、聖霊によって身ごもったマリアは、天使から事情を知らされた夫以外に、頼れる身内がいませんでした。タイミング的に、今、出産間近ということは、婚約中に、結婚前に、関係を持ったことが疑われる。本来なら、新婚の夫婦を、喜んで泊めてくれるはずの親戚に、彼らは上手く事情を説明できず、頼りにくい状況でした。

 

最初から、親戚の家ではなく宿を探しますが、どこも一杯で泊まれない。唯一、空いていたのは、清潔な場所とは言い難い、家畜小屋の中でした。安心して産める場所、落ち着いて休める場所ではありません。親戚が知ったら、「赤ん坊をそんなところで産むなんて!」と眉をひそめられるかもしれません。できるだけ、誰にも会わずに過ごしたい。

 

そんなところへ、何者かが突然訪れます。赤ん坊をベッドではなく、飼い葉桶に寝かせている、情けない自分たちを見られてしまう……どんな非難をぶつけられるか、ドキドキしながら戸を開けると、そこには羊飼いが立っていました。見ず知らずの人が、救い主の誕生を見にきたと告げ、ゾロゾロと家畜小屋に入ってくる。

 

止める間もなく、飼い葉桶の赤ん坊を見られた2人は、眉をひそめられると思いきや、躍り上がって喜ばれます。「本当に天使が言ったとおりだった」「飼い葉桶の中に赤ちゃんが寝かされている」「俺も生まれてすぐ、飼い葉桶に寝かされたんだ」「うちの子も、こんなふうに藁を敷いて寝かせたの」……非難ではなく、嬉しそうな声が響きます。

 

羊飼いにとって、家畜小屋の中で寝ることも、生まれてきた子を飼い葉桶で寝かせることも、自分たちの日常でした。しかしそれは、他の者から蔑まれる日常でもありました。「あんなふうになりたくないよね」「あいつらと同じは嫌だよね」「あの生活から抜け出せないのは、祈りが足りない、努力が足りない、神に祝福されてないからだ」

 

そんなふうに見なされた時代、自分たち羊飼いは、神様にとっても、目に留められることのない存在だと思っていた……ところが、天使は最初に、自分たちのところへやって来ました。しかも、自分たちと同じように、家畜小屋で寝泊まりし、飼い葉桶の中で寝かされた赤ん坊が、みんなの待っている救い主だと言われます。

 

恥ずかしいと思っていた状況が、みんなに喜びをもたらしました。若い夫婦が、赤ちゃんを、救い主を、まともな家で産めなかった、親戚の家を頼れなかった……仕方なく、家畜に囲まれて、飼い葉桶に寝かせて夜を明かした……その困難な出来事を、天使が告げた良い知らせだと、あのお告げは本当だったと、羊飼いたちは人々に知らせて周ります。

 

聞いた者は皆、不思議に思いました。多くの者にとって、それは情けない、恥ずかしい話に過ぎなかった……赤ちゃんをまともに迎えられなかった、親戚とお祝いできなかった、寂しい家の話でした。クリスマスに、換気で部屋が温まらず、まともに食事会もできず、祝会を開けない教会で、恐る恐る来た人たちが集まった……ただ、それだけの話でした。

 

しかし、それこそ天使の告げた、救い主の生まれた場所でした。あのお告げは本当でした。子どものこと、家庭のこと、仕事のこと、今後のこと……それらを思い巡らし、オロオロしているあなたのもとに救い主は訪れました。あなたが泊まった家畜小屋に、あなたが用意した飼い葉桶に、あなたが敷いた藁の上に、この方は寝かされ、歓迎されたんです。

 

救い主は、あなたにもとに生まれて、あなたの腕に抱かれたんです。今、思い巡らすあなたの内に、この方はやって来たんです。あなたを助けに来た方は、あなたを選んでやって来ました。あなたを頼って来られました。誰よりもあなたを必要とし、誰よりもあなたを信頼し、誰よりも、あなたを愛してやまない神の子が、この日、生まれてきたんです。

 

周りは不思議に思うかもしれません。自分のために生まれてきた方がいる。自分を選んで、自分のもとに訪れてくれた方がいる。そのことを信じてもらえないかもしれません。しかし、あなたは知っています。救い主は、わたしと共におられると。神は、わたしたちと共におられると……今よりとこしえに、主の御名がたたえられますように。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌7番「何も変わらないと(A)」(詞:柳本和良、滝田真治)を歌います。(お立ちください)

 

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使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

(ご着席ください)本日も初めて来た方、久しぶりに来た方と、礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信に乗らないように、新来者カードでご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。今日初めて配信を見ている方にも、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

(お立ちください)共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

愛 餐

本日は、クリスマス礼拝として、神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。毎月、第一日曜日に行っている聖餐式は、信仰を告白した者が、信仰者であり続けるために行いますが、この愛餐式は、神の祝福を分かち合いたい誰もが受けられる食事です。

 

配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に今、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

讃美歌

最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

分かち合い

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、このパンと水は、信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。(*パンを配る)

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」

 

私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

(*パンをいただく)

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」

 

私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

(*水をいただく)

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた献金封筒をお使いください。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である神様、今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の4節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

ハレルヤ。主を賛美せよ/主の御名を賛美せよ。今よりとこしえに/主の御名がたたえられるように。(詩編113:1〜2)

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように/あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)

 

報 告

本日は、教会に集まって、配信を通して、クリスマスの礼拝にご参加くださり、感謝致します。感染症対策のため、例年行っている祝会は休止していますが、この後、12時半までパーテーション付きの2階集会室でティータイムを用意しています。

 

そのまま帰られる方は、ぜひ受付でお土産をいただいてお持ち帰りください。なお、24日(金)の午後7時から、クリスマス・イブ演奏礼拝を予定しています。こちらも、皆さんの参加をお待ちしています。配信の方々も、神様の恵みが豊かにありますように。