ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『再臨って生まれ変わりですか?』 使徒言行録1:6〜11、ヘブライ人への手紙9:23〜28

聖書研究祈祷会 2021年12月22日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会も、配信と並行して開いています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の204番「よろこびの日よ」を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆命と言と光をもたらす、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会に集まることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外であなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。日曜日には、アドヴェント第4週目のクリスマス礼拝を行うことができ感謝致します。どうか今、24日のクリスマス・イブ演奏礼拝も、みんなで精一杯、救い主の誕生を記念することができますように、導いてください。

◆私たちの神様。各地で起きてしまった事件、事故、災害によって苦しむ人、悲しむ人を癒してください。どうか今、必要なところに、あなたの御手が差し伸べられ、必要な仕方で、私たち一人一人を遣わしてください。

◆私たちの神様。クリスマス前に、疲れている人、困っている人、悩んでいる人を助けてください。どうか今、誰かと一緒に喜ぶ気分になれない人を、あなたが支え導いて、励ましと平安を与えてください。

◆私たちの間におられる救い主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録1:6〜11、ヘブライ人への手紙9:23〜28(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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Ri ButovによるPixabayからの画像

メッセージ

かつて、私たちと同じ人間として、この世に訪れた神の御子、イエス・キリストの誕生を記念するときが、いよいよ目の前に近づいてきました。教会では、日曜日にアドヴェント第4週目のクリスマス礼拝をしたばかりですが、24日の金曜日には、日没から始まるクリスマスの訪れを祝って、クリスマス・イブ演奏礼拝が行われます。

 

神の子が、救い主が、人間の赤ちゃんと同じように生まれ、人間の赤ちゃんと同じように泣き、人間の赤ちゃんと同じように、誰かの助けを必要として、この世に生まれた出来事は、様々な驚きを与えます。私たちを救ってくれる存在で、悪を滅ぼし、永遠の命をもたらす方なのに、一方的にではなく、自分も、私たちの助けを必要とされた。

 

イエス様も、私たちを必要としてくださった……私たちを愛すると同時に、私たちをかけがえのない、必要な存在として、頼ってくださった……そんなクリスマスの出来事を思い出しながら、イブの夜は、みんなで音楽をささげようと思っていますが、ふと、気になることが出てきます。

 

それは、天に昇ったイエス様が、再びこの世に訪れる「再臨のとき」も、文字通り、天から降りてくるんじゃなくて、誰かの赤ちゃんとして生まれてくるんだろうか? 「再臨」とは、イエス様の「生まれ変わり」を指すんだろうか? 既に、イエス様がこの世に来ていて私たちが気づかずにいるということも、あり得るんだろうか?……という疑問です。

 

実際、キリスト教から派生した新宗教の中には、何千と「キリストの生まれ変わり」を自称する教祖やリーダーが存在します。外向けには、単なる宗教指導者のように振る舞って、内向けには、「自分こそが聖書に書かれている再臨のキリストだ」と信じさせ、絶対的な服従を敷くグループがあります。

 

特に、ヨハネの黙示録をはじめとする、象徴的な表現が書かれた部分を引用し、「この箇所に書いてある○○とは、何年に生まれた、誰々のことを指している」というふうに説明して、歴史的背景や修辞表現を無視した、めちゃくちゃな解釈を、さも、本当のことを言っているかのように、教えてしまう人々がいます。

 

先に言っておくと、「キリストの生まれ変わり」や「再臨のキリスト」または「来臨のキリスト」を自称する教祖やリーダーは、日本や韓国や中国だけでも、何千と存在します。周りが気づいていない中、自分たちだけは、既に来られたキリストが誰か知っている、メシアに正体を明かされている、と思わされ、選民思想にはまってしまう人たちがいます。

 

しかし、聖書を見ると、イエス様が天に挙げられた後、残された弟子たちに、こんな言葉が語られています。「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天にいかれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」……もし、イエス様が弟子たちの目の前で天に挙げられたという聖書の記述を信じるなら、この部分も、同じように信じるのが自然でしょう。

 

イエス様が再び来られるときは、誰から見ても、救い主がやって来たと分かるように、天に昇ったのと同じ有様で、天から降りてくる……一部の人しか分からないように訪れるのではなく、みんなに良い知らせが届くように、姿を現してくださる。私には、そのように伝えられていると感じます。

 

また、「キリストの生まれ変わり」や「再臨のキリスト」を自称するリーダーから「あなたの罪を精算して、地獄へ行かなくて済むように、これだけの献金をささげなさい」とか「罪を贖ってもらうために、あなたの大切なものを捨てなさい」と指示されることもありますが、ヘブライ人への手紙には、イエス様が二度目に来るときは、罪を負うためではなく、救いをもたらすために現れてくださると書かれています。

 

既に、イエス様はただ一度、十字架にかかって自分自身の命をささげ、私たち全ての罪を贖ってくださいました。今日、キリスト教会でささげられる献金は、罪を贖ってもらうための条件ではなく、罪を贖われたことへの感謝、神の恵みに対する感謝として、ささげられているものなんです。

 

「献金をする」「しない」で「救われる」「救われない」が決定するのではなく、自分も救いに加えられていることに、感謝と喜びを表すものが献金なんです。もし、「罪を精算してもらうために何かしなさい」と指示する者が現れたら、それはキリストの生まれ変わりではなくて、偽メシアと呼ばれる人たちの一部です。

 

イエス様の再臨がいつなのか、どうしたら知ることができるのか、私たちには分かりません。聖書にも、「あなたがたの知るところではない」とはっきり書かれていることから、推測で色々言うべきことでもないのだろうと思います。詳細が分からない日のことを恐れてしまうのは、確かに自然です。

 

しかし、私たちはこの日を救いの日として待ち望みます。妊娠をすぐには信じられなかったお母さんに、妻と別れようとした夫に、天使を恐れた羊飼いに、神様がイエス様を送って、喜べるようにしてくださったあの日を覚え、再臨の日に不安を覚えている私たちも、繰り返し、救いがもたらされることを思い出したいと思うんです。あなたの不安が、あなたの恐れが、あなたの孤独が、希望と喜びと励ましに、変わりますように。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(愛知県日進市の赤池教会)のために、一緒にいる人のために、離れている人のために、身近な人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆愛知県日進市の赤池教会のために祈ります。コロナ禍にあって、伝道をどのように具体化するか、悩みながら祈り求めている人に、あなたの助けと導きがありますように。希望を待ち続けている人に、あなたの光が照らされますように。

◆一緒にいる人のために祈ります。長時間、生活を共にする人たちに、あなたの平和がありますように。行き違いがあるところに対話を、隔たりがあるところに和解を、確執があるところに変化を、誠実な形でもたらしてください。

◆離れている人のために祈ります。なかなか顔と顔とを合わせることができない人に、あなたの恵みがありますように。一緒にいられない間も、つながりが強く保たれ、より豊かな関係へと成長するように、私たちを導いてください。

◆身近な人のために祈ります。家族や友人、同僚や知人、仲間たちに、あなたの慈しみがありますように。自分の気づいていないところで、悩んだり、苦しんだり、傷ついたりしている人に、あなたの癒しがもたらされ、一緒に支えることができますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌23番「わたしの口は絶えず歌う」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった4名、同時に視聴された1名、計5名が参加されました。後から配信を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信はここまでですが、この後2時半まで、希望する参加者が質問したり、祈ってほしいことを分かち合える時間を持ちたいと思います。時間のある方はぜひ、ご参加ください。来週と再来週の水曜日は、牧師休暇のため、聖書研究祈祷会はお休みです。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。