ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『よく一緒にいたな』 使徒言行録9:19b〜25

聖書研究祈祷会 2022年11月23日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の3番「扉を開きて」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆命と力の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。先日の日曜日は、収穫感謝記念日として、あなたの恵みをみんなで分かち合えたことを感謝致します。どうか今、共に礼拝へ集まることのできなかった人たちにも、それぞれ、豊かな気づきと力と出会いがもたらされますように。

◆私たちの神様。会堂の清掃やワックス掛けも、今年はみんなで行えたことを感謝致します。来週には、キリストの誕生を記念するクリスマスの準備をする期間、アドヴェントを迎えます。どうか今、この期間に教会と私たち一人一人を整えてください。

◆私たちの神様。21日には、岐阜県の病床使用率が40%となり、医療提供体制が次第に逼迫してきています。どうか今、子どもたちや高齢者の健康と安全が守られ、医療従事者や介護の現場で働く人たちの心身が支えられますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録9:19b〜25の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Silviu on the streetによるPixabayからの画像

メッセージ

パウロと言えば、キリスト教を世界中へ広めた初代教会の宣教者として有名です。もともとは、キリスト教徒を迫害する、熱心なユダヤ人であったにもかかわらず、復活したイエス様の幻と出会って回心し、180度生き方を変えて、イエス様の教えと業を伝えていった人物です。

 

彼は、ダマスコへ行く途中で、自分が迫害していたイエス様から目を見えなくされ、三日間、見ることができないままでした。その間、「食べることも飲むこともしなかった」とあります。相当、ショックを受けていたんでしょう。そりゃそうです。神の子を装う偽物だと思っていたイエス様が本当に神の子で、神を冒涜していると思っていたイエス様の弟子たちこそ、神に従う者だったと明かされたんです。

 

偽物を裁き、惑わされている人々を導こうと思っていた自分の方が、実は道を誤っていた。自分こそ、本当に信じるべきものが見えなくなって、誰かに手を引いてもらう立場だった。そのことが、キリストに目を見えなくされた今、まさに明らかになりました。彼は自分が連れてきた弟子たちに手を引かれ、ダマスコの町へ入っていきます。

 

もはや、誰の目から見ても、以前のサウロとは別人です。自信に満ち、イエス様を信じる人々を捕まえようと意気込んでいたあの人はもういません。祭司長や大祭司から支持を受け、男女を問わず、キリスト教徒を縛り上げていた人間はもういません。彼と一緒に、キリスト教徒を捕まえるためやってきた弟子たちは、かなり戸惑ったことでしょう。

 

目の前で、自分たちのリーダーが、光に照らされて地に倒れ、神の子の声が天から聞こえ、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と知らされます。起き上がったリーダーは、声の主から目を見えなくされ、自分たちを引っぱっていくどころか、自分たちに手を引かれなければ、歩くこともままなりません。

 

数日経っても、水は飲まない、ご飯は食べない、このまま弱って死んでしまうのではないか? と思っていたところへ、アナニアというイエス様の弟子がやってきます。数日前まで、誤った教えを広める敵として、自分たちが捕えて処刑するつもりだったキリスト教徒の一人です。リーダーのパウロが脅迫し、殺そうと意気込んでいた相手です。

 

その人が、弱りきったパウロの前に姿を現し、家の中に入ってきます。パウロの弟子たちはどうしたらいいか分かりません。多くの仲間を縛り上げ、処刑してきた報復に、アナニアは目が見えないパウロを殺しに来たのかもしれない。何らかの罰を与えに来たのかもしれない。パウロについてきた自分たちも、お咎めなしとはいかないかもしれない。

 

人数はこちらの方が多いので、その気になれば、パウロに近づくアナニアをみんなで捕えることはできるでしょう。しかし、パウロと一緒にいた彼らは、天から語りかけてきたイエス様の声も一緒に聞いています。下手なことをすれば、自分たちも目を見えなくされるかもしれません。自分たちもこれ以上、間違ったことはしたくありません。

 

色々覚悟を決めていると、アナニアはパウロの頭に手を置いて祈り、こう言いました。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです」……予想と違う言葉が語られました。それは罰の宣告ではありませんでした。

 

自分たちが縛り上げ、処刑しようとしていた相手は、自分たちのリーダーの目が見えるように、癒されるように祈ってくれました。そればかりでなく、神の子の、イエス様の敵としてではなく、キリストの弟子として遣わされるように、聖霊で満たされるように祈ってくれました。最も信頼し難い相手の自分たちに、仲間として祝福を贈ります。

 

アナニアの言葉には、本当に驚かされます。彼は、「パウロの目が見えるように祈りなさい」という神様に反対したとき、神様からこう聞いていました。「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」……その言葉を受けて、自分たちを迫害してきた相手のもとへ行ったなら、「お前はこれから、いっぱい苦しまなくてはならないんだ」と言ってしまうのが普通です。

 

でも、アナニアが目の見えないパウロに伝えたのは、「あなたは神に呪われている」という知らせではなく、「あなたが迫害していたイエス様は、あなたを癒すために、わたしをここへ遣わした」という知らせでした。「あなたを攻撃しに来たのではなく、あなたを仲間として受け入れに来た」という知らせでした。

 

正直、パウロについてきた弟子たちは、さらに混乱したと思います。いやいや、あなたの家族や友達を、パウロ率いる私たちは捕まえて処刑してきたんだ。家の中に押し入ってめちゃくちゃにし、教会を破壊してきたんだ。今こそ、目が見えなくなって弱った彼に、リーダーが弱って途方に暮れる私たちに、罰を言い渡すときじゃないか?

 

しかし、アナニアは本当に、パウロのために手を置いて祈り、彼のために洗礼を授けます。今まで間違った教えを広めていると思っていた相手から、洗礼を受けるリーダーを弟子たちはただ見守っています。このまま、パウロについて行ったらどうなるのか、考えてみたら不安です。

 

自分たちは、ユダヤ人の多数から支持を受けて、キリストを信じる異端者を捕まえにやって来ました。その自分たちがキリストの弟子から洗礼を受け、彼らの仲間になったと分かれば、同じように間違った教えを広める者として、ユダヤ人から敵視されます。裏切り者として、激しく非難されます。

 

故郷に置いてきた家族はどうなるでしょう? 自分はどうしたらいいでしょう? さらに、キリストの弟子に加わったからと言って、他のイエス様の弟子たちが、すんなり自分たちを受け入れてくれるとは思えません。だって、彼らの仲間を追いかけて、捕まえて、引き渡してきたのは自分たちです。家族を、友達を、引き裂いてきたんです。

 

もともと仲間だったユダヤ人からも、もともと敵だったキリスト者からも、対立されることは目に見えています。アナニアのように、最初から受け入れてくれる人なんてそうそういないでしょう。実際、パウロが洗礼を受けた後、あちこちの会堂で「この人こそ神の子である」とイエス様のことを話し始めると、すぐ騒ぎになりました。

 

「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか」「ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか」……まもなく、裏切り者としてユダヤ人からの追跡が始まります。このまま一緒にいたらパウロについてきた自分たちも、裏切り者の弟子として追われる身となります。

 

ところが、パウロと一緒にいた弟子たちは、彼から離れないで、彼を殺そうとするユダヤ人たちから逃がすため、みんなで協力します。夜の間にパウロを連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり下ろします。籠で吊り下ろすということは、数人は上に残って、縄を持っていなければなりません。数人は、一緒に逃げられず、町に残ります。

 

パウロはキリストを迫害する者から、キリストの弟子となって、180度生き方を変えられた人物として、繰り返し、教会の中で語られてきました。しかし、ダマスコから彼と一緒にいた弟子たちも、弱ったパウロの手を引いて、命懸けで彼を逃した、名もない功労者の一部でした。

 

本当に、よく一緒にいたなと思います。仲間だったユダヤ人からも、敵だったキリスト教徒からも、両方からなかなか受け入れられず、孤立しやすかった時期に、最もパウロを支えた人たちでした。パウロと一緒に揺れ動き、慰め合い、励まし合ってきた人々です。パウロと一緒に居続けた彼らもまた、紛れもなくイエス・キリストを証しする弟子たちでした。

 

私自身も、弱って、悩んで、揺れ動く誰かと一緒に、祈ってくれる者を待ち、支え合う仲間になっていく、新しい自分になることを願って、聖霊を求めたいと思います。全ての人に、神様の、キリストの呼びかけが届きますように。一人一人に手を置いて、祈ってくれる者を遣わされた、神様に栄光がありますように。アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(東京都江戸川区の小松川教会)のために、貧しい人のために、病気の人のために、顧みられない人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆東京都江戸川区の小松川教会のために祈ります。この教会の会堂メンテナンスが順調に進められますように。江戸川区臨海地区の伝道と牧会が豊かに用いられ、信徒や教師の方々が支えられますように。

◆貧しい人のために祈ります。食費に困っている人、家賃に困っている人、学費に困っている人、治療や介護のお金に困っている人、それぞれに、あなたからの助けと恵みがありますように。互いに支え合うことができますように。

◆病気の人のために祈ります。心を病んだり、体を怪我したり、病気に苦しんでいる人へあなたの癒しがありますように。発達障害、精神障害、身体障害、そして、心身の衰えにも、あなたのお支えがありますように。

◆顧みられない人のために祈ります。困っていること、苦しんでいることが分かってもらえない人たち、気づいてもらえない人たちに、あなたの慈しみがありますように。頼れる人たちとの出会いや助けを求める勇気が与えられますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も、教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究には、教会に集まった5名、同時に視聴された2名、計7名が参加されました。後から動画を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。