ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『素直に聞いて検証する』 使徒言行録17:10〜15

聖書研究祈祷会 2023年8月30日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の58番「み言葉をください」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。牧師の夏期休暇の間も、華陽教会の礼拝や集会、信徒の交わりを守り、導いてくださったことを感謝致します。どうか今、見えるところ、見えないところで奉仕をしてくださった一人一人の上に、あなたの祝福が豊かにありますように。

◆私たちの神様。熱中症や感染症や心身症など、色々なダメージを受けている人たちに、あなたの慈しみがありますように。どうか今、一人一人に必要なケアと休息がもたらされ、しっかり回復することができますように。

◆私たちの神様。来週には、1月から延期していたオープン礼拝と礼拝研修会が行われます。どうか今、改めて、礼拝の意味を確認しつつ、豊かにあなたを賛美することができますように、私たちみんなを導いてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録17:10〜15の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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PDPicsによるPixabayからの画像

メッセージ

キリスト教初のヨーロッパ宣教は、順調とは言い難い形で進んできました。最初に、宣教者パウロが訪れたマケドニア州のフィリピでは、祈りの場所に集まっていた女性たちが洗礼を受けた一方で、金儲けをしていた奴隷の主人に目をつけられ、異なる風習を宣伝しているという理由で投獄されてしまいました。
 
次に訪れたテサロニケでは、ユダヤ人の一部と多くのギリシア人や身分の高い女性たちが仲間になった一方で、それを妬んだユダヤ人に騒動を起こされ、悪者にされてしまいました。パウロとシラスは、町の役人たちにも警戒され、仲間の手引きで、急かされるようにベレアへ送り出されます。
 
そして訪れたベレアの地で、パウロは再び、ユダヤ人の会堂へ向かいました。今まで、ユダヤ人の会堂へ行って、穏やかに事が進んだためしはありません。それは、ヨーロッパ宣教が始まる前から見てきたことで、どこへ行っても、ユダヤ人の会堂では反発され、騒動が起き、信者が増えても、それを妬んだ多数の人に攻撃されました。
 
例に漏れず、直前に訪れたテサロニケの会堂では、一部のユダヤ人が信仰に入ったものの、多数のユダヤ人は、ならず者まで抱き込んで、パウロとシラスの仲間になった同胞を襲い、支配階層の異邦人とやりとりをして、キリスト教徒を追い出しにかかりました。ベレアでも、ユダヤ人の会堂で、同じことになる恐れは十分ありました。
 
ところが、パウロとシラスは今回も、最初にユダヤ人の会堂へ入って、神様が約束された救い主とは、十字架にかかって復活したイエスである、と語ります。ユダヤ人にそんなこと言えば、また反発を受けて、襲われて、伝道を妨げられ、最悪の場合、殺されるかもしれないのに、彼らは一貫して、最も厄介な者たちを相手にします。
 
自分たちを追い出した者、迫害した者、攻撃した者を繰り返し訪れ、イエス様を信じて受け入れるように促します。それは、パウロをはじめとする弟子たち自身も、自分が見捨てたイエス様に、受け入れなかった救い主に、繰り返し呼びかけられ、繰り返し訪れてもらった末に、信じるようになった「今」があるからです。
 
彼らは、困難を承知の上で、今回もユダヤ人の会堂で宣教を始めます。ところが、ベレアの会堂にいるユダヤ人たちは、テサロニケの会堂にいたユダヤ人たちより素直で、熱心に話を聞き、パウロとシラスの言うことを受け入れて、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べるようになりました。
 
面白いことに、「素直」と言われているベレアのユダヤ人たちは、パウロとシラスの語る言葉をすんなり信じたわけではなく、素直に聞いた上で、まず、聖書を調べていきます。これって簡単じゃありません。今と違って、誰もが文字を読めたわけではありませんし、誰もが聖書を持っていたわけでもありません。
 
聖書の巻物が設置された会堂へ毎日行って、文字が読める人に朗読してもらいながら、パウロとシラスの語ったメッセージが、神の言葉、聖書の言葉に即しているか、自分たちで検証していくんです。「素直に御言葉を受け入れる」のに「そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べる」って、「素直」というより「疑り深い」印象を覚えます。
 
御言葉と言われたものをそのまま受け入れないで、「本当かな?」と考える。聖書を調べながら、そのとおりかどうか確認する。一見、「素直な信仰」「純粋な信仰」から離れているように思われるかもしれませんが、これこそ大事な信仰のプロセスなんです。パウロとシラスも、彼らの検証を止めません。
 
「私の言うことを疑うのか?」「神の業、神の言葉と言っているのに信じないのか?」と脅さないで、ベレアの人々が自分たちで考え、問いかけ、信じていくのを辛抱強く見守ります。自分たちの語った言葉がそのとおりかどうか、聖書に即しているかどうか、みんなが調べて考えるのを促します。
 
それは、パウロとシラスに対する不信感や、イエス様への不信仰を招くどころか、むしろ、信じて従う人を増やしていくことになりました。実際、毎日、聖書を調べていた彼らの周りで、多くの人が信じていきます。ユダヤ人ばかりか、ギリシア人の女性や男性も、少なからず信仰に入っていきます。
 
本当かな?……と調べていたのに、疑いをもって検証したのに、その問いかけが、聖書に尋ね求める姿勢が、周りの者まで信仰に入る、救いに至る真理の道になっている、宣教の業になっている……なかなか奥深い話です。同時に、信者が増えると、やっぱり、反発が待っています。
 
なんと、テサロニケでパウロとシラスを攻撃したユダヤ人たちが、ベレアの町にも押しかけて、群衆を扇動し、騒がせ始めます。そこで、ベレアの信者たちは、直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせました。ところが、シラスとテモテはベレアに残り、パウロから「できるだけ早くアテネへ来るように」と指示があるまで、留まり続けました。
 
久しぶりに、テモテの登場です。テモテはギリシア人の父親とユダヤ人の母親の子で、パウロがリストラから連れてきた青年でした。ヨーロッパ宣教にも同行していたはずですが、なぜか、パウロやシラスがフィリピで投獄されたり、テサロニケで襲われそうになったときには、名前が一切出てきません。
 
もしかしたら、以前、マルコと呼ばれるヨハネが、パウロとバルナバから離れ、宣教へ一緒に行かなくなったように、テモテも一時、パウロとシラスから離れ、一人だけ逃げたり隠れたりしていたのかもしれません。けれども、ベレアで再び登場した彼は、逃げたり隠れたりするどころか、危険地帯となった町に、自らの意志で留まります。
 
いつも一緒にいなかった人が、消えていた人が帰ってくる。かつて、隠れていた人が、逃げ出した人が、我が身を晒す。不思議な変化がここでも起きていました。イエス様の教えと業を語るとき、神の言葉を、良い知らせを伝えるとき、宣教される者も、する者も変わっていきます。
 
拒んでいた者が受け入れるように、隠れていた者が身を晒すように、疑っていた者が信じるように、一人一人が導かれてきました。ある瞬間、ある時点で、信じていなければ、逃げ出していれば、その人の救いが、消え去るわけではありません。神様はどこまでも、私たちの不安に、問いに、弱さに付き合い、新しい生き方をもたらしてくださいます。
 
滅びに定められた者、神の国から締め出された者、救いの道から外れた者……そのように思われた者たちへ、死を超えて出会われるイエス様は、繰り返し、訪れてくだいます。あなたも、あなたが諦めている者も、一緒に神の国へ入ることが期待できない者たちも、そのまま放置されることはありません。
 
この方は執念深く、憐れみ深く、冷めることのない熱情を持った神だからです……「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように(テサロニケの信徒への手紙二3:16)」アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(青森県五所川原市の五所川原教会)のために、隠退教師と家族のために、牧師と家族のために、信徒と家族のために祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆青森県五所川原市の五所川原教会のために祈ります。高齢の信徒が多いため、基本的な感染対策を続けながら、礼拝を守っている人たちに、あなたの祝福がありますように。教会と付属施設の活動が守られ、あなたの愛と平和が広がっていきますように。

◆隠退教師と家族のために祈ります。日曜日に、礼拝メッセージをしてくださった、鈴木重正先生とご家族の上に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、全国の隠退教師とご家族の上にも、あなたの祝福が豊かにあって、その生活が守られますように。

◆牧師と家族のために祈ります。それぞれの教会で奉仕をしている牧師と、一緒に支えてくださるご家族の上に、あなたの憐れみがありますように。どうか今、子どもやパートナーの心身が守られ、各教会の牧師自身の健康も支えられますように。

◆信徒と家族のために祈ります。華陽教会をはじめ、各教会で祈りを合わせる信徒の上にあなたの祝福がありますように。それぞれのご家族や同僚、近所の人との関係も誠実に導かれ、豊かなつながりと恵みがもたらされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌9番「たくさん悩んでみたけれど」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった3名、同時に視聴された6名、計9名が参加されました。後から動画や原稿を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

なお、来週の日曜日は、1月から延期していた礼拝研修会を行う予定です。午前中の礼拝は、前奏から後奏まで、一つ一つの要素を説明しながら行う「オープン礼拝」を行います。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。