ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『彼らのうちのある者たち』 使徒言行録17:1〜9

聖書研究祈祷会 2023年8月23日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の504番「主よ、み手もて」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆愛と慈しみに富む、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。台風や豪雨や低気圧の中、私たち一人一人を守ってくださったことを感謝致します。どうか今、災害によって被害を受け、気候の変化でしんどい思いをしている人に、あなたの癒しと回復がありますように。

◆私たちの神様。再び増えてきた感染症や熱中症、様々な病気や症状によって、苦しんでいる人たちに、あなたの御手が差し伸べられ、痛みやしんどさが和らぎますように。どうか今、十分な休息と治療がもたらされ、健康が守られますように。

◆私たちの神様。夏期派遣実習を終えた神学生や、短期留学を終えて戻ってくる生徒たちに、あなたの慈しみがありますように。どうか今、それぞれが経験したこと、学んだことが生かされて、新しい道が切り開かれていきますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録17:1〜9の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Roberto Lee CortesによるPixabayからの画像

メッセージ

宣教者パウロの伝道旅行において、「ある者は従い、ある者は従わなかった」「ある者は信じ、ある者は信じなかった」という記述は、たいていどこでも見られます。イエス様や他の弟子たちが伝道するときもそうでした。神様の教えと業を聞き、ある者は信じて従ったが、ある者は信じず従わなかった。

 

そこから対立が起き、暴動が起き、敵と味方に別れていく。仲間になる者と、敵対する者に別れていく。自分たちを受け入れる者と、追い出す者がはっきりして、伝道における闘いの構図が目立っていく。現代でも、それはいくらか感じるでしょう。伝道を「闘い」と表現する。誰かと対立することが想定される。実際、私たちは度々衝突を経験します。

 

教会へ行くようになった自分に対し、それを止めようとする家族。礼拝の話をチラッとしたら、途端に警戒する友人。聖書を読んでいると話したら、なぜそんなものを信じるのかと、否定と説得が始まってしまう。そこまでいかなくても、本当は、自分が入った信仰から離れてほしいと、相手が思っているのを感じてしまう。

 

もちろん、宗教の中にはカルトもあるし、カルト化した教会だってあるから、注意深くなるのは分かる。信仰を理由に、差別をしたり、暴力を振るったり、社会と敵対しないか恐れてしまうのも分かる。だけど、何をやっているかではなく、何を信じているかによって、反社会的行為ではなく、思想信条を理由にして、対立を煽られるのは辛い。

 

フィリピで伝道している際に目をつけられ、投獄され、釈放されたパウロとシラスも、新たな町テサロニケで、再び対立を煽られます。2人は、往来で騒ぎにならないように、いつものようにユダヤ人の会堂を探し、ユダヤ人が集まっているところへ行って、公に、聖書が読まれる安息日に、神の子イエス・キリストの十字架と復活を話します。

 

社会に混乱が起きないように、時と場所をわきまえて、ユダヤ人と論じ合い、自分たちが信じるイエス様こそ、神様が約束した救い主であると論証します。それを聞いて、彼らのうちのある者は、一緒に信じて、2人へ従うようになりました。

 

ユダヤ人の会堂で、ユダヤ人の集まるところで「彼らのうちのある者たち」と言えば、多くを占めるのはユダヤ人だと思うでしょう。けれども、「彼らのうちのある者たち」の中には、神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数の身分の高い女性たちがいたと記されています。

 

加えて、パウロとシラスを匿ったとされるヤソンは、ギリシャ語を話すユダヤ人の名前です。どうやら、ユダヤ人の会堂で、パウロとシラスの話を聞き、信じて従うようになった者で、異邦人でない者、ヘブライ語を話すユダヤ人は、少数派だったみたいです。これだけ聞くと、テサロニケの騒動は、「キリスト者」対「ユダヤ人」のように思われます。

 

けれども、この事件の後で、パウロが記したと言われているテサロニケの信徒への手紙では、パウロたちを迫害したのは、彼らを妬んだユダヤ人が中心というより、同胞がキリスト者になることを拒んだ異邦人であったことが示唆されます。違う家、違う親族同士の対立というより、同じ家、同じ親族同士の対立という感じです。

 

おそらく、ユダヤ人と異邦人で、信じて従う者と、従わない者が、綺麗に分かれたわけではなく、ユダヤ人の中にも、異邦人の中にも、信じる者と信じない者、仲間に加わる者と敵対する者が、それぞれいたんでしょう。使徒言行録は、ローマ帝国の異邦人に宛てて書かれているためか、異邦人よりも、ユダヤ人の方を悪者にする傾向が見られます。

 

さて、こんなふうに見ていくと、気になるのは、ユダヤ人と異邦人の間であれ、ユダヤ人同士、異邦人同士の間であれ、信じて従った者と、従わなかった者との間にできた隔たりは、決定的なものなんだろうか?……という点です。彼らのうちのある者は、信じて従った……の「従う」という言葉は、直訳すると「割り当てられた」という言葉です。

 

彼らのうちのある者は、神によって割り当てられた……彼らはパウロたちに割り当てられた……つまり、イエス・キリストについての話を聞いて、パウロにつく者とつかない者に分けられたのは、神のご計画である、という意識が背後にあります。救いにあずかる者は、あらかじめ神によって定められている、という「予定説」を彷彿とさせるでしょう。

 

そう、彼らのうちのある者は、信じてパウロの仲間になり、イエス・キリストの弟子となり、神の民となった。神の国に受け入れられ、救われる者に割り当てられた。けれど、他の者はならなかった。このとき、パウロにつかないで信じなかった者たちは、2人を、ヤソンの家を、襲った人たちは、滅びに割り当てられたのか? 救いに与らないのか?

 

実は、パウロとシラスを捕えようとし、2人に従う者たちを襲い、激しく対立していた人たちの姿は、ある人物と重なります。それは、他ならぬパウロ自身の過去の姿です。彼は、復活したイエス様の幻と出会う前、イエス様の教えと業を伝えていたステファノに反対し、攻撃し、死刑に賛成していました。

 

パウロもあちこちで、イエス様の弟子たちが語るのを聞き、行う業を見ていましたが、信じて従いませんでした。むしろ、大祭司や律法学者と一緒になって、キリスト者を攻撃していました。ステファノや他の弟子たちが語るのを聞いて、ある者が信じても、パウロは信じませんでした。むしろ、ますます多くのキリスト者を捕えようと出かけました。

 

テサロニケにいたユダヤ人が、あるいは危機感を持った異邦人が、パウロを捕まえようとしたり、追い出そうとしたように、パウロもかつて、イエス様の弟子たちを捕まえようとし、追い出そうとしました。人々に対立を煽って、キリスト者を滅ぼそうとしていました。パウロ自身も、もともと「割り当てられていなかった」人間なんです。

 

しかし、そこへ復活したイエス様の幻が現れました。ある者たちが信じたとき、信じなかった者のところへ、「なぜわたしを迫害するのか?」と訴えにいきました。それは、パウロが従わないまま、救いに割り当てられないまま、裁きにつかせるためではなく、信じない者が信じる者に、救いにあずかる者となるために、呼びかけられた言葉でした。

 

パウロ自身は、復活したイエス様の幻と出会う前、何か悔い改めていたわけでも、自身の罪に、誤りに、気づいていたわけでもありません。彼自身の意志が変わったから、条件を満たしたから、イエス様が来てくれたわけではありません。むしろ、どうしようもない状況から変われなかった彼のもとへ、イエス様は来て、変化をもたらしてくれたんです。

 

テサロニケで、パウロたちが迫害を受け、追い出されたことは、彼らを襲い、追い出した人々の滅びが決定したことを示すものではありません。むしろ、この後も、テサロニケには、パウロの言葉が手紙を通して語られ続け、パウロの派遣する人々が、このとき対立した人たちにも、神の言葉を語り続けます。

 

かつて、従わなかった者、神によって割り当てられたなかった者たちは、割り当てられるまで繰り返し、繰り返し、隣人となる者を、キリストの証人を、送られ続けていくんです。その中の一人に、あなたがいます。あなたの次にも、あなたの周りにも、送られ続ける神の民、キリストの証人が、仲間がいます。

 

だから、衝突し、対立し、一緒に居られなくなった者、そこから追い出された者も、顔を上げ、希望を持ち、分かたれた同胞のために祈ってください。あなたの切実な願いを、神様は聞いておられます。あなたが見てないときも、聞いてないときも、聖霊を送り続ける神様が、あなたの立ち去ったところにも、新たな息を吹き込みます。

 

パウロが居られなくなった場所へ、手紙が、弟子たちが、信徒の一人一人が、遣わされ続けてきたように……いつか、「ある者たち」が私たちになるように。いつか、私たちみんなが「ある者たち」になるように、出会ってくださる方がいます。出会い続ける方がいます。「このメシアはわたしが伝えているイエスである」……そう、この方です。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(東京都世田谷区の玉川平安教会)のために、葛藤している人のために、弱っている人のために、過ちを犯した人のために祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆東京都世田谷区の玉川平安教会のために祈ります。コロナ禍でも、中庭の戸を開け放して、一生懸命礼拝を守ってきた会衆に、あなたの祝福がありますように。諸集会の再開と再建が、順調に進みますように。

◆葛藤している人のために祈ります。学業や仕事、治療や介護、様々な人間関係で、葛藤している人たちに、あなたの慈しみがありますように。どうか今、共に悩んで考えてくれる人が、近くに与えられますように。

◆弱っている人のために祈ります。病気や衰え、疲れのために、傷つき弱っている人に、あなたの憐れみがありますように。どうか今、失われた自信や体力が回復し、希望が与えられるように、環境の変化や適切な認識がもたらされますように。

◆過ちを犯した人のために祈ります。自分自身の間違いや愚かさに気づき始めた人たちへ、あなたのお支えがありますように。気づいても、どうしたらいいか分からない、変わる期待が持てない人へ、あなたに押し出される力が、豊かに注がれますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌26番「あなたが共にいること」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週と先々週の聖書研究祈祷会は、岐阜地区サマーキャンプと牧師の夏期休暇のためお休みでした。今週から、水曜日の13:30から聖書研究祈祷会を再開しています。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

なお、来週の日曜日は、私の夏期休暇のため、隠退教師の鈴木重正先生がメッセージをしてくださいます。その次の日曜日は、1月から延期していた礼拝研修会を行う予定です。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。