ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『第二のアナニア、第二のサウロ』 使徒言行録10:1〜23

聖書研究祈祷会 2022年12月14日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の240番「主イェスは近いと」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆世界を創造され、完成される神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。キリストの誕生を記念するクリスマスの準備をしながら、イエス様が再び来られる時を待ち望むアドヴェント第3週目を迎えました。どうか今、病気の人、忙しい人、疲れている人、それぞれに、あなたの助けがありますように。

◆私たちの神様。土曜日には、芽含幼稚園のクリスマス会が行われます。この日に向けて子どもも、保護者も、先生も、少しずつ用意をしています。どうか今、みんなで素敵なクリスマスを迎えることができますように、あなたが導いてください。

◆私たちの神様。日曜日には、数年ぶりに中部学院大学・短期大学の聖歌隊を呼んで、アドヴェント第4週目のクリスマス礼拝を行います。どうか今、初めて来る人、久々に来る人、配信を通して参加する人、それぞれに、あなたの祝福がありますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録10:1〜23の新共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Ben KerckxによるPixabayからの画像

メッセージ

ユダヤ人でない異邦人に対する宣教活動の第一人者と言えば、キリスト教徒の多くは、宣教者パウロ、ことサウロを思い浮かべると思います。しかし、使徒言行録では、パウロが本格的な宣教旅行を始める前に、ペトロの方が異邦人、外国人への伝道に乗り出したことを記述しています。

 

厳密には、彼らの前にステファノやフィリポが外国の人々に洗礼を授け、教会を作っているんですが、この箇所が読まれる際は、使徒たちの中心的存在であったペトロこそ、異邦人伝道の第一人者であると主張されることが多いです。しかし、この出来事をよく見ると、誰が異邦人伝道を最初に行ったかよりも、重要な事実が見えてきます。

 

それは、元迫害者であったパウロが、アナニアの祈りによって目を開かれ、使徒たちの仲間に迎えられたように、ユダヤ人のペトロが、異邦人のコルネリウスの祈りによって目を開かれ、異邦人伝道の仲間に迎えられたという事実です。キリスト教徒を偏見の目で見ていたパウロが変えられたように、異邦人を偏見の目で見ていたペトロが変えられていきます。

 

つまり、コルネリウスとペトロの関係性は、第二のアナニアと第二のサウロの関係性とも言えるんです。事実、コルネリウスが天使から「ペトロへ会いに行きなさい」と告げられるシーンは、アナニアが主の幻から「サウロへ会いに行きなさい」と命じられたシーンにぴったり重なります。

 

アナニアはユダの家で祈っているサウロへ会いに行き、コルネリウスは皮なめし職人の家で祈っているペトロへ会いに行きます。サウロは、ダマスコへ行く途中の道でキリストの幻と遭遇し、ペトロは、屋上であらゆる獣、鳥、地を這うものが入った幻の空間に遭遇します。

 

両者とも戸惑い、どうしたらいいか分からなくなっているところへ、神から遣わされた人間がやって来ます。しかも、それぞれ自分が敵対していた相手、避けていた相手、正しくないと思っていた存在が、神から遣わされてきます。

 

コルネリウスは非ユダヤ人で、割礼を受けてない異邦人であり、イスラエルを支配していたローマ帝国の百人隊長でもありました。ユダヤ人からは神の民の敵として、関わりを避けるべき対象に見られています。生粋のユダヤ人であるペトロと、穏やかに対面を果たせるとは、本来思えない存在です。

 

アナニアもまた、生粋のユダヤ人であるサウロから、逸脱した信仰を持つ人間として見られていました。キリスト教徒はユダヤ教の異端者で、人々に間違ったことを教えている。だから、間違った教えが多くの人に広められないよう、捕まえて取り締まろう……そう考えていたサウロとは、やはり、穏やかに対面を果たせるとは思えない存在でした。

 

興味深いことに、使徒たちの中心的存在であったペトロは、今回、異邦人を教え導く立場ではなく、異邦人の祈りによって、仲間に迎えられ、目を開かれ、教えられる側になっています。使徒たちのリーダーが、元迫害者のパウロに起きた出来事と同様に、間違いを正され、新しく変えられていきます。

 

彼を新しく変えるきっかけになったのは、カイサリアで、絶えず神に祈っていたコルネリウスでした。コルネリウスは、神から遣わされた天使にこう言われます。「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい」

 

コルネリウスが神に祈っていたこととは何だったんでしょう? 彼は、信仰心あつく、神を畏れる異邦人でしたが、割礼を受けておらず、改宗者ではありませんでした。神の民であるイスラエル人を支配するローマ帝国の仕事も続けていました。割礼は成人男性にとってハードルが高く、信仰のために仕事を手放すのも簡単ではありませんでした。

 

ユダヤ人と同様、割礼を受けなければ、ローマ帝国の仕事をやめなければ、神に背き続ける「汚れたもの」とみなされるなら、私も、家族も、仲間のみんなも救われない。何とか異邦人である私たちも、神の民に受け入れられ、救いにあずからせてほしい……そのように願っていたんじゃないかと思います。

 

彼の願いは、全てのものを救うため十字架にかかり、復活し、天に昇ったキリストの意志と一致するものでした。翌日には、ペトロが神から幻を見せられ、自分が「汚れたもの」と思い続ける存在が、神によって清くされていることを知らされます。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」と諭されます。

 

しかし、長年ユダヤ人として、異邦人との交流を避けてきたペトロの目は、まだ開き切っておらず、神に清められたものを、未だ汚れているものとして、受け入れられない様子が記されます。「主よ、とんでもないことです」ペトロは抵抗し続けます。

 

「こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた」とあるとおり、ペトロは最後まで、神様が清めた獣、地を這う物、空の鳥を、清いものとして受け入れることができませんでした。かつて、イエス様を「知らない」と三度否定してしまったときのように、今回も神様のなさったことを否定してしまいます。

 

ところが、異邦人との交流や異邦人との会食を拒んでいたペトロのもとに、神様から遣わされたコルネリウスの使いが到着します。ローマの百人隊長から遣わされた人たちを、やはり、ペトロはすぐに迎えられません。しかし、神様の声が聞こえてきます。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ」

 

神から遣わされた三人の使者がやってくる……それは、神から遣わされた三人の使者に約束の成就を告げられたアブラハムの出来事を思い起こさせるものでした。本来は、使徒である自分こそ、神の使者として人々に遣わされるべきところ、異邦人の使者が、自分のために、神から遣わされたと言われます。

 

ハッとしたペトロは、急いで3人を迎え入れました。その日、彼は異邦人の3人を家に泊め、翌日、コルネリウスを訪れて、彼らの仲間に迎えられます。ついこの前、元迫害者のサウロを使徒たちの仲間として受け入れたように、自分もまた、救いにあずかる異邦人の仲間に受け入れられたことを、彼は知ることになります。

 

非常に象徴的な出来事です。パウロも、ペトロも、自分たちが正しくないと拒んでいた相手から、神によって導かれ、目を開かれ、新しい生き方を与えられていきました。教会も、かつてのパウロやペトロと同じように、自分たちが避けていた、拒んでいた、正しくないと思っていた人たちが神の使者として遣わされ、新たにされることが出てきます。

 

それは、教会が差別してきた同性愛者やトランスジェンダーの人たちかもしれません。それは、最初からキリスト教と出会った人が偏見の目で見てきた元脱会者や元二世信者かもしれません。それは、私が拒み、避けている外国人や若者や高齢者かもしれません。私たちも第二のサウロ、第二のペトロとして、誰かを遣わされ、こちらが迎えられようとしているかもしれません。

 

さあ、出発しましょう。どうしたらいいか分かりませんが、神様は私たちに気づきを与え、目を開かせてくれる存在を遣わしています。私たちが迎えられる準備をしてくれています。誰かを迎える者として、誰かに迎えられる者として、私たちは日々、聖霊によって導かれています。さあ、出かけましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(新潟県見附市の見附教会)のために、病気にかかった人のために、怪我をした人のために、障がい者のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆新潟県見附市の見附教会のために祈ります。もうじき70周年を迎えるこの教会に、あなたの祝福がありますように。教会と地域の人々との交流がますます広がって、一人一人が神様の愛と平和の業へ豊かに用いられますように。

◆病気にかかった人のために祈ります。痛み、しんどさ、不快感など、毎日苦しんでいる人たちに、あなたの癒しがありますように。不自由さが改善し、新たな楽しみと発見が増え、孤独から解放されますように。

◆怪我をした人のために祈ります。以前とは違う生活が始まった人や、リハビリがきついと感じる人に、あなたの支えがありますように。十分な療養とケアを受け、新しくできること、新しく分かることの喜びが増えていきますように。

◆障がい者のために祈ります。身体的な特徴や精神的な特徴、発達の仕方が多くの人と異なる人に、あなたの慈しみがありますように。無理解や環境などの二次的な障害が改善され、みんなと生きやすい、自然な関係性を築いていくことができますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も、教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究には、教会に集まった5名、同時に視聴された4名、計9名が参加されました。後から動画を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

なお、華陽教会では、感染拡大期にあたる「レベル3」相当の宣言が出るまでは、マスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力いただき、誰でも問い合わせなしで参加できる「三密を避けた会衆礼拝」を続ける予定です。

 

現在、岐阜県の警戒体制はレベル2で、「岐阜県医療ひっ迫警戒宣言」が発表されています。華陽教会での礼拝出席は20名前後、祈祷会などその他の集会は5名前後が集まっていますが、感染リスクの高い方や体調が崩れている方は、配信を通してご参加できます。

 

警戒体制がレベル3となり、より慎重な行動を要請される「対策強化宣言」が出た場合は再び、配信奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名の10名前後に調整して集まる「調整型小規模礼拝」へ移行します。

 

その際は決定次第、教会員への連絡網と各種SNS、ホームページ等でアナウンスします。引き続き、発熱・倦怠感・呼吸困難のある方、感染リスクの高い方は、配信を通して集会にご参加いただき、会堂に集まる方は十分注意しながら、来ていただけると嬉しいです。

 

なお、今度の日曜日はアドヴェント第4週目のクリスマス礼拝として、中部学院大学・短期大学聖歌隊をお呼びして、共に賛美を味わいます。24日の19時からはクリスマス演奏礼拝を、25日(日)の10:30からはクリスマス当日の降誕日礼拝を行います。

 

感染症対策のため、食事会は休止しますが、少しでも、クリスマスの恵みを分かち合う機会を一緒に持てたらと思います。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。