ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『ファリサイ派から信者になった』 使徒言行録15:1〜11

聖書研究祈祷会 2023年5月31日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の348番「神の息よ」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆愛と力の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。日曜日には、イエス様の弟子たちに、天から聖霊が送られたことを記念する、ペンテコステの礼拝を開き、聖餐式に与りました。どうか今、小さく固まりやすい私たちに、あなたの風をもたらして、新しく立ち続ける者としてください。s

◆私たちの神様。日曜日の礼拝後には、芽含幼稚園の理事会、評議会が開催され、決算・予算・事業計画について話し合われました。どうか今、これまでできなかったことを取り戻しながら、新しく子どもたちと、保護者と、向き合っていくことができますように。

◆私たちの神様。日曜日の午後には、岐阜地区の総会が開かれ、三役の選挙が行われました。どうか今、地区会長に再任された、西川幸作先生と、新たに書記へ選出された川上侑先生、これから選ばれる地区委員の上に、あなたの支えと導きが豊かにありますように。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録15:1〜11の新共同訳を朗読します。(本日は聖書箇所が長いため、新共同訳のみ朗読します)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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メッセージ

「モーセの監修に従って割礼を受けなれば、あなたがたは救われない」……非常に強い言葉が異邦人たちに語られました。「割礼」というのは、かつてのイスラエル社会で、非ユダヤ人の改宗者に度々求められた行為です。もともと神を信仰していなかった人たちが、信仰共同体に入るための「入信式」のようなもの。

 

今で言う「洗礼式」に近いと思われるかもしれませんが、割礼は男性しか受けられません。なぜなら、男性の包皮の一部を切り取る儀式だからです。もちろん、成人男性が割礼を受けるともなれば、数日から数週間、動けないほどの痛みを伴います。通常は、生まれて間もない赤ちゃんの頃に家族が包皮を切り取りますが、大人だとより覚悟が必要です。

 

当然、この慣習は、異邦人が容易には改宗できない、信仰共同体に入れない現実をもたらします。赤ちゃんと違って、成人した男性は、誰かに自分の割礼を手伝ってもらうのは困難です。だからと言って、自分の手で最後までできる自信のある人は、ほんの一部しかいないでしょう。儀式のあと、しばらくは仕事もできません。家族を食べさせられません。

 

「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」という主張は、当事者である異邦人には、「お前たちは私たちのコミュニティーには入れない」「入ってくるな」というメッセージに聞こえたでしょう。どうやら、このように訴え始めたのは律法主義で有名だった、ファリサイ派から、キリスト教徒になった人たちみたいです。

 

ファリサイ派の人々は、もともと異邦人を目の敵にして、接触しないよう、避けるようにして暮らしていた人たちです。イエス様を神の子と信じ、キリスト教徒となってからもやはり、異邦人が自分たちと同じコミュニティーに入ってくるのは嫌だったんでしょうか? 異邦人が自分たちと一緒に救われるのは嫌だったんでしょうか?

 

けれども、そう単純ではなさそうです。なぜなら、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と主張していた人々は、わざわざ、ユダヤからアンティオキアまで下っていって、異邦人の兄弟たち、神を信じるようになったばかりの人へ、教えに来るからです。

 

もし、異邦人が救われてほしくないのなら、自分たちの共同体に入ってほしくないのなら、わざわざこちらから出て行って、会いに行く必要はありません。そもそも、異邦人と接触するのを極力避けてきた人たちが、異邦人だらけの町であるアンティオキアまでやって来るって、物理的にも、心理的にも、けっこうハードルが高かったと思います。

 

おそらく、ファリサイ派を中心とするユダヤ人の信者たちは、異邦人を排除する気も、自分たちのコミュニティーから締め出すつもりもなかったんでしょう。それこそ、差別意識を持っているなんて、全く思っていなかったでしょう。むしろ、本気で彼らを救わなければ……という使命感を持って、かつては忌み嫌っていた町を訪れ、自分たちと同じように割礼を受けるよう、教えていたんだと思います。

 

ちょっとドキッとするのは、私たちにも似たようなところがあるからです。「割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」「洗礼を受けなければ、あなたがたは救われない」「教会に来なければ、あなたがたは救われない」……ひと昔前まで、そんなに珍しくない言葉でした。今でも、「こうしないと救われない」という言葉は、度々、伝道に使われます。

 

使っている人の多くは、排除のつもりはありません。善意と使命感で訴えます。けれども、聞く人たちは締め出された気分になります。私は救われる状態だけど、あなたは救われる状態じゃない。私と同じ状態にならないと、あなたたちは救われない。そんな上から目線のメッセージが、無意識に、無批判に、行われる。

 

こう言うと、「私たちも、ファリサイ派の信者のようになってしまってはいけません!」というシンプルで安易な話に終わってしまいがちですが、一方で彼らは、以前から大きく成長してきた、新しく変えられてきた存在です。なにしろ、ファリサイ派といえば、最もイエス様との対立が描かれたグループです。イエス様の処刑に賛成してきた人々です。

 

そんな彼らが、今では、会堂を追い出された人たちと一緒に、エルサレムの教会に集まって、イエス様の教えと業を伝えている。異邦人も救われるように、彼らの町を尋ねて行って、兄弟として教えている……課題と問題を抱えながらも、イエス・キリストと出会ってから、大きく変わってきた、新しく変えられてきた、そんな姿が見えてきます。

 

もちろん、このシーンは決して、穏やかなシーンではありません。パウロとバルナバは彼らと激しく対立し、論争を生じさせます。自分たちだけで解決できず、収集できず、結局、他の使徒や長老たちと協議するため、アンティオキアから数名のものと一緒にエルサレムへ上っていきます。最初の教会会議と呼ばれる使徒会議です。

 

今まで交わらなかったユダヤ人と異邦人が、一緒に神の民として受け入れられるには、同じ信仰共同体としてやっていくには、どうしたらいいか? 意見が衝突する彼らに神様は明確な答えをくれません。聖霊を受けた使徒たちも、預言者として出てくる人たちも、割礼を受けさせるのが正解か、受けさせなくていいのか、神のお告げを聞けません。

 

神様は、彼らが言葉を交わして、想像力を働かせて、神の民として歩んでいくにはどうすればいいか、ぶつかりながら、答えになるものを積み重ね、築いていくのを導きます。ここに書かれているのは、どちらが正しくて、どちらが勝ったかの話ではありません。両者が互いの言葉を重ねながら、両者共に、新しく変えられていった話です。

 

私たちのところでも、先週の火曜日、水曜日に中部教区の総会が、今週の日曜日に岐阜地区の総会が開かれました。コロナ禍で献金が減る中、負担金が厳しくなる中、それぞれがどうやって信仰生活を支え合っていくか、対立を超えて新しい教区・教団になっていくか、改めて問われる会議となりました。

 

激しい意見の対立と論争が生じるとき、私たちは、こんな教会、こんな教団、もう嫌だ……と度々感じてしまいますが、むしろ、着地点の見えないそんなときこそ、聖霊に導かれて、少しずつ変わっていった使徒たちとユダヤ人とファリサイ派の歩みが思い起こされないでしょうか? ここから希望が見えてくるはずです。

 

私たちは変わってきたはずです。この数十年の間、変わらないものばかりが目につきますが、教会も、教区も、教団も、確かに変えられてきたんです。今も変わり続けているんです。神様の働きかけは、止まっていません。だから、諦めず、前を向いて、私たちの共同体を作っていきましょう。共に、神の招きを信じましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(宮城県仙台市の仙台市民教会)のために、岐阜地区のために、中部教区のために、日本基督教団のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆宮城県仙台市の仙台市民教会のために祈ります。コロナ禍で、感染症対策のため、毎月一回だった礼拝が、新しい形で取り戻されていきますように。これからの信仰生活のため必要な変化と助けがもたらされますように。

◆岐阜地区のために祈ります。田瀬、付知、坂下、蘇原、中濃、飛騨高山、各務原の教会と、この一年も支えあって生きていくことができますように。また、在日大韓基督教会の岐阜教会、大垣教会、UCCP-Jの教会とも、互いに助け合うことができますように。

◆中部教区のために祈ります。諸教会と学校、幼稚園、保育園、高齢者施設が支えられ、それぞれの働きに必要な祈りと人手と資金がもたらされますように。特に、生徒、学生、子どもたちの募集で苦労している関係機関に、あなたの助けがありますように。

◆日本基督教団のために祈ります。各教区との関係が誠実に導かれ、教団会計や機構改正など、一つ一つの課題を丁寧に、迅速に、進めていくことができますように。特に、これまでの積み重ねが蔑ろにされず、建設的な協議が行えますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌22番「神よ、諦めない心」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週の聖書研究祈祷会は、中部教区の総会と重なったためお休みでした。今週から毎週水曜日13:30からの聖書研究祈祷会を再開しています。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。