ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『私はもともと敵だった』 使徒言行録21:37〜22:5

聖書研究祈祷会 2023年12月20日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の241番「来たりたまえわれらの主よ」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆世界を創造し、愛される神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。キリストの誕生を記念するクリスマスの準備をしつつ、救い主が再び来られるときを待ち望む、アドヴェント第三週目を迎えています。どうか今、子どもも大人も、若者も高齢者も、喜びを豊かに分かち合えるように、互いに整えさせてください。

◆私たちの神様。計画していたことが、上手くいかなかった人、思っていたように、物事が進められない人に、あなたの憐れみがありますように。どうか今、失敗や、間違いが、それだけで終わらずに、恵みと回復へ至るように、進む力をもたらしてください。

◆私たちの神様。病気や怪我、障害や衰えによって、自信を失くし、気力が奪われ、虚無に陥っている人へ、あなたの慈しみがありますように。どうか今、あなたの癒しと支え、慰めと励ましを実感させ、新しく生きる力を与えてください。

◆私たちを互いに遣わす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録21:37〜22:5の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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12019によるPixabayからの画像

メッセージ

弁明とは、自分の言動を説明し、相手の理解を求めることです。不利な状況から自分を守り、少しでも有利になるよう、言葉を重ねます。しかし、宣教者パウロが、ユダヤ人の聴衆に向かって「これから申し上げる弁明を聞いてください」と言って続けた言葉は、自分を守るどころか、ますます窮地に陥らせる、弁明にならない言葉でした。
 
なぜなら、結果を見てもらえば分かりますが、彼は、かえってユダヤ人の怒りを買い、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」と言われてしまい、最高法院で、取り調べを受けなければならないことになるからです。いったい何が、ユダヤ人をそこまで怒らせたのか? そもそも、彼はなぜ弁明しなければならなかったのか?
 
それは、前回も話したとおり、もともとはアジア州から来たユダヤ人の勘違いがきっかけでした。当初、パウロはキリスト教徒を迫害するユダヤ人の一人でしたが、復活したイエス様の幻と出会い、回心をして、ユダヤ人だけでなく、異邦人にもキリスト教を伝えていく宣教者となりました。そのため、熱心なユダヤ教徒からは裏切り者に見えました。
 
また、彼は異邦人への宣教を最も精力的に行っていたため、異教を持ち込む汚れた民と接触するのを嫌がる人から、早い段階で目をつけられていました。あの男は、異邦人との接触を広げ、ユダヤ人の教えと伝統をめちゃくちゃにしている。古くからの掟を破るようみんなに教えている。そうやって、彼の評判を貶め、恐怖を煽る人たちもいました。
 
そんな中、海外宣教から帰ってきたパウロが、エルサレムの神殿へ行くと、彼を見つけたアジア州のユダヤ人たちは、こう言います。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった」
 
実は、エルサレム神殿には、異邦人が入れる所と、ユダヤ人が入れる所が決まっており、異邦人は奥まで入れませんでした。アジア州から来たユダヤ人たちは、以前、パウロがエフェソ出身の異邦人と一緒に居たのを見かけて、彼が神殿の中にまで、異邦人を連れ込んだと思い込んでしまったようです。しかし、そんな事実はなく、完全に勘違いでした。
 
普通、この状況で弁明するとしたら「私は神殿の境内に、異邦人を連れ込んではいません」「皆さんの勘違いです」と言うでしょう。「私を捕まえたとき、私と一緒に異邦人が居ましたか? 居ませんでしたよね?」と確認すれば、済むはずでした。それなのに、彼は無実の主張ではなく、自分がユダヤ教からキリスト教へ回心した経緯を話し始めます。
 
キリスト教を迫害しているユダヤ人からすれば、もともと仲間だった人が、敵に寝返った話を聞くようなものです。この話を聞いて、パウロに好印象を持つとは思えません。また、その場に居合わせたキリスト教徒からしても、かつて、自分たちの仲間を縛り上げ、処罰していたパウロの所業を聞くことは、決して良い気持ちの良いことではありません。
 
なんだ、あいつは一生懸命、イエス様の教えと業を伝える奴だと思っていたのに、もともとは敵だったのか。しかも、俺たちの仲間を殺すことに、賛成したこともあったのか。なんなら、大祭司や長老会と手を組んで、キリスト教徒を連行する手筈まで整えていた、大悪党じゃないか。こんな奴が宣教者をやっているとか、どうなっているんだ?
 
パウロを捕まえたユダヤ人だけでなく、パウロの過去を知らずにいた仲間のキリスト教徒まで、敵に回しかねない告白です。同時に、パウロを殺そうと騒いでいた、ユダヤ人の混乱状態を鎮めるため、出動してきた千人隊長も、良い印象じゃなかったはずです。なぜなら、彼は自分たちに分かるギリシア語ではなく、ヘブライ語で語りかけていたからです。
 
当初、ローマ帝国の千人隊長は、パウロが最近反乱を起こした、エジプト人の暗殺者集団のリーダーだと思っていました。どうやら、エジプト出身のユダヤ人で、自らを預言者と称して、荒れ野に多くの信者を集めていた、危険な人物がいたようです。つまり、千人隊長は、パウロをテロのリーダーかもしれないと思って警戒していたことになります。
 
ところが、パウロがギリシア語で「ひと言お話ししてもよいでしょうか」と聞いたため彼がタルソス出身のユダヤ人であることが明らかになり、その線は薄くなりました。しかし、千人隊長がホッとしたのも束の間、「この人たちに話をさせてください」と告げたパウロは、今度は千人隊長たちに分からないヘブライ語で、ユダヤ人に語り始めます。
 
その後、彼の話を聞いて、ユダヤ人たちは怒り出し、わめき立てて上着を投げつけ、砂埃を空中にまき散らすほど暴れ始めます。はたからみれば、何か騒ぎを起こすように、パウロが千人隊長たちに分からないよう、知らない言葉で群衆を扇動したのではないかと思いますよね? 
 
本来、千人隊長に対しても「私が襲われたのは、私が異邦人を神殿の中へ連れ込んだと勘違いされたためで、テロや暴動の主導者ではありません」と言えば済むはずでした。「この混乱は私のせいではありません」「反乱を起こす意志はありません」と言うべきでした。けれども、彼は無実の主張ではなく、イエス様に出会ってどう変えられたかを話します。
 
そう、よく見てみたら、彼が行った弁明は、ユダヤ人に対して、千人隊長に対して、自分の無実を主張するための弁明ではないんです。むしろ、自分の潔白を証明することよりも、かつての自分にイエス様がどのように出会ってくださり、どのように導いてくださったか、告白することに焦点が当てられています。
 
その告白は現在に至るまで、信仰の証として読まれています。私はもともと敵だった。けれども、イエス様は私に出会い、私を遣わし、弟子として、仲間として、送り出してくださった。かつて、キリスト教徒を殺そうとする者だった私が、イエス様から兄弟として呼びかけられたように、今、私を殺そうとするあなたたちも、兄弟と呼ばれているんだと。
 
そう、この弁明は、パウロのための弁明というよりも、彼を殺そうとする民衆のための弁明です。彼らが敵から仲間になるように、イエス様と出会えるように、新しい生き方へ変えられるように、自分の身に起きたことを一から語った証言です。どうか、私が出会ったイエス様を知って、あなたもキリストを受け入れて、新しい命を受け取ってほしい。
 
来週には、キリストの誕生を記念する、クリスマスを迎えます。イエス様が再び来られるときを待ち望む、アドヴェント第3週目の水曜日、イエス様が、私に訪れてくれることを覚えつつ、私の隣人、私の家族、私の友人をはじめとして、全ての人に救い主が訪れてくださることを、共に証ししていきましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(北海道松前市の渡島(おしま)福島教会)のために、教誨師のために、医療関係者のために、依存症の人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆北海道松前市の渡島福島教会のために祈ります。北海道最南端にある、この教会の群れ全体が、あなたの栄光のために用いられますように。福島幼稚園と共に、地域の良き証と光になれますように。

◆教誨師のために祈ります。岐阜県をはじめ、全国で受刑者を訪問している教誨師の方々に、あなたの支えと導きがありますように。それぞれの働きが誠実に、豊かに用いられ、一人一人が新しく生きていくための力を分けられますように。

◆医療関係者のために祈ります。様々な感染症や救急の患者が増える年末年始に、医療関係者の方々の健康と安全も守られますように。特に、家族となかなか会えない人、休息が十分取れない全ての人に、必要な環境と体制が整えられますように。

◆依存症の人のために祈ります。アルコール、薬物、性依存など、様々な依存症で苦しんでいる人たちに、あなたの助けがありますように。岐阜ダルクをはじめ、全国で回復のために支え合っている仲間たちに、あなたの祝福と導きがありますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌7番「何も変わらないと(A)」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。なお、アドヴェント期間中は、洗礼を希望する方、洗礼は受けないけれど学びに興味のある方、初心に返って学びたい方のために、受洗勉強会を開いています。

 

水曜日の聖書研究祈祷会後の30分から1時間を目処に開催する予定です。希望者はご自由にご参加ください。なお、来週12月27日〜1月3日の聖書研究祈祷会は、年末年始のためお休みです。次回の聖書研究祈祷会は、1月10日(水)13:30から開催します。

 

なお、12月25日(月)の13:30〜14:30に、24日のクリスマス礼拝やクリスマス演奏礼拝に出られなかった人のため、クリスマス祈祷会を開き、神の祝福を分かち合う式、「愛餐式」を行います。興味のある方はぜひ、お待ちしています。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。