ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『試す神、試される神』 出エジプト記17:1〜7、マタイによる福音書4:1〜11

日曜礼拝 2024年2月18日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

消 灯

本日は、受難節第1週目の礼拝なので、光や命の象徴として立てられた蝋燭を1本倒し、キリストが受けられた苦しみと、十字架の死を思い起こします。共に今、あなたの労苦と痛みに寄り添う、イエス様の歩みを覚えましょう。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。(ヘブライ人への手紙4:15)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌二編の189番「丘の上の教会へ」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆赦しと和解をもたらす神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。キリストの受けられた苦しみと十字架の死を思い起こす受難節第一週目を迎えました。どうか今、あなたがとりなしてくださった、私と、私たちの隣人が、共に自らの罪を悔い改めて、希望と励ましを受け取れるよう、導いてください。

◆私たちの神様。キリストの復活を記念するイースターまでの6週間、思いと、言葉と、行動を整え、感謝と喜びを分かち合う準備をさせてください。どうか今、語るべきことを語り、聞くべきことを聞き、行うべきことを行えるように、変化をもたらしてください。

◆私たちの神様。イースターに華陽教会へ転会される人、来年度、洗礼を受けられる人、それぞれに、あなたの恵みがありますように。新しい仲間を迎える私たちも、共に、良い変化を促されるよう、気づきと発見をもたらしてください。

◆私たちを互いに遣わす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。出エジプト記17:1〜7、マタイによる福音書4:1〜11(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

www.bible.or.jp

交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編91:1〜13(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の294番「ひとよ、汝が罪の」を歌いましょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

sebastiano iervolinoによるPixabayからの画像

メッセージ

とんでもない災いが降りかかったり、何か悪いことが起きたりすると、「もしかして今、神様に試されているんじゃないか?」と私たちはしばしば考えます。確かに、旧約聖書にも、信仰を試されたヨブの話や、アブラハムの話が出てきました。新約聖書にも、神の子であるイエス様が、弟子のフィリポを「試みる」シーンが出てきました。
 
神様は度々、私たちに試練や難問を与え、自分に従うかどうか、信仰を保つかどうか、試しておられる……そんな様子が、聖書のあちこちに見られます。これって正直、気持ちよくはありません。過ちを悔い改めるよう、悪いことを反省するよう、試練を与えられるならまだしも、自分に従うかどうか試すために、同意なく試練を与えられる。
 
それって、まじめに、誠実に、生きてきた人にとって、かなり、理不尽な出来事です。特に、病気で自由を失ったり、事故で身内を亡くしたり、災害で故郷を奪われた人たちは神様に「試されて」そうなったなら、たとえ試練をクリアしても、二度と回復できない傷を負わされたことになります。
 
神様、この責任をどのように取ると言うんですか? あなたを信じた結果、あなたに従った結果、大切なものを失った私は、どうやって回復されるんですか? 私に非がないのであれば、罰や戒めでないのなら、取り返しのつかない事故や事件を、どうして起こされたんですか? そのように叫びたくなるでしょう。
 
しかし、実際の、多くの困難は、神様に試されてそうなったのか、自分が過ちを犯したからそうなったのか、単に偶然そうなったのか、私たちが知ることはできません。もし、自分が神様に責められるような、悪いことをした覚えがないのなら、どうしてこうなったのか、納得のいく説明が欲しくなるでしょう。
 
「偶然そうなった」と言われても、受け入れられません。正しく生きていても、誠実に歩んでいても、突然、理由なく、苦難や困難が降りかかってくるなんて、言わないでほしい……普通に暮らしていたら、自分が過ちを犯さなければ、悪いことには襲われないと、保障してほしい……。
 
もし、この苦難の原因が、自分でないのなら、「誰のせいでもない」とか「仕方ない」とか言わないで、責めを負う相手を示してください……誰が、私をこうしたのか、大切なものを奪ったのか、責任を取るべき相手に、訴えさせてください……そのように叫ぶ私たちに、神様は自ら「試す者」として、表に出てこられます。
 
私たちが、どこにぶつけたらいいか分からない怒りを、嘆きを、受けとめる者として、誰も取れない責任を、ただ一人負ってくださる方として、神様が前に出てきます。「なんで私をこんな目に……」「どうしてここまで酷いことを……」次々と出てくる訴えを、余すことなく受けとめられます。
 
「人を試す神」がいたら、恐ろしいと思う一方で、私たちは、自分が理不尽な目に遭ったとき、愛する人が巻き込まれたとき、その責任を負ってくれる、ぶつかる相手がいなければ、耐えられない存在です。私たちを「試す神」は、私たちが訴える相手のいないとき「私に訴えなさい」と出てくる方でもあるんです。
 
さらに、それだけではありません。神様は、自分自身も、私たちに「試される」存在として出会われます。最初に読んだ出エジプト記には、神様が、自ら守った人たちから「試される」シーンが出てきました。なんと、神様が敵を退け、パンを与え、道を示してきた民に、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と試されてしまうんです。
 
今までも、困ったときは神様が助けてくれたのに、再び、飲み水がなくて困った人々は素直に助けを求めずに、神様を試してしまいます。「我々に水を与えよ」「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」そう言って、神様の愛を、存在を、試すんです。どうにかできなければ、神が選んだ指導者モーセを「殺す」と言って……。
 
こんなふうに煽ってしまう、怒らせるような行動をする、一杯一杯の人たちに、神様は向き合い続けます。自分を試す人たちに、自分と争う人たちに、求められた水を与え、「私はあなたたちの間にいる」と示されます。一回、二回ではありません。人々がしるしを求める度に、「本当に何とかされるんですか?」と問われる度に、答えてきました。
 
さらに、神の子イエス・キリストは、私たち人間が、信仰を「試される」ときのように悪魔から誘惑を受けられます。「お前は本当に神の子か?」「本当に、神に愛されていると信じているか?」……そんなふうに、「あれをしてみろ」「これをしてみろ」と詰め寄られます。
 
イエス様は、「あなたの神である主を試してはならない」と答えながら、一方で、神の子である自分自身が「試し」を受けて、一つ一つに応答します。圧倒的な聖なる力で、悪魔を追い払うことも、超常的な奇跡を起こして、悪魔を退けることもなく、ユダヤ人の誰もが聞いたことのある教えを口にして、淡々と耐え忍びます。
 
私たちが誘惑を受けたとき、自分自身に「それはやっちゃいけない」「神様はこう教えられた」と言い聞かせているときのように……この方は、試されることの痛みを知っています。都合の良い力で、誘惑を退けられない私たちと、同じ条件で苦しまれます。簡単に、速やかに、誘惑を追い払えない私たちと同様、40日にわたって悪魔の声に悩まされます。
 
どうして、こんなに苦しまなければならないのか、なぜ、酷い目に遭わなければならないのか、答えの出ない問いかけに、神様は付き合ってくださいます。私たちが訴えられる相手となって、受けとめてくださるだけでなく、ご自身も、理不尽に試される者となって痛みを共有してくださいます。
 
神様は、人間を好き勝手「試す」方ではなく、私たちが、苦しみを受ければ、その責任を最後まで取ろうとする方です。私たちから「試され」ても、私たちが、信じない者ではなく、信じる者となれるまで、付き合い続けてくださいます。そして、ご自身も、試される痛みを知っていて、私たちをとりなしてくださいます。
 
キリストが受けられた苦しみと、十字架の死を思い起こす、受難節、第一週目を迎えました。キリストの復活を記念するイースターまで、あと5週間……イエス様が、私たちの怒りを、嘆きを、訴えを、正面から受けとめてくださることを覚え、私たち自身も、イエス様の受けた痛み、悲しみ、苦しみを、思い起こしていきましょう。
 
この方は、あなたが受けている仕打ちを共に受け、あなたと共に憤り、あなたと共に涙を流した救い主です。あなたを「罪人」と呼ぶ者から守り、あなたが囚われているところから、一緒に出ようとする方です。この方が、あなたを連れ出す日、新しく、あなたと出会われる日を待ちなさい。復活の主と出会う準備をしていきなさい。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌24番「イェスは教あなたを」(©️柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

 

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週は、3月31日のイースターに、転入をされる人のこと、来年度、洗礼を受ける人を覚え、一緒に信仰生活を支えるための準備をしていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である神様、今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。(出エジプト記14:13b〜c)

 

祝 福

主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった14名、同時に視聴された9名、計23名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜日は、日本国際ギデオン協会による立証礼拝を予定しています。礼拝後に、ギデオン協会の活動報告をしていただき、聖書を多くの人に届けるための献金を募る予定です。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。