ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『好意を示してくれません?』 出エジプト記33:12〜17、ヨハネによる福音書2:1〜11

日曜礼拝 2024年1月21日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。

 

なお、本日の礼拝は、例年1月に行っているオープン礼拝です。教会に来始めたばかりの方にも分かるように、前奏から後奏まで、一つ一つの要素を説明しながら進めていきます。お手元の案内をご覧いただけると幸いです。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

最初に、前奏を聞いて心を静めましょう。前奏は、礼拝の開始を告げる音楽です。奏楽者は、その日の教会暦や行事に合わせて曲を選び、会衆が礼拝へ参加しやすいように、その日に歌う讃美歌も、礼拝が始まる少し前から流してくれることもあります。

 

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。(ヨハネの手紙一1:1)

 

招詞(招きの言葉)は、礼拝に集まった人たちへ、神の招きを告げる聖句です。司式にあたる人は必ずしも聖書箇所まで告げる必要はありません。この言葉は、その日の教会暦やメッセージに即したもの、あるいは、聖書日課で指定されている聖書箇所から選ばれます。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、讃美歌二編の189番「丘の上の教会へ」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

最初の讃美歌は、神の招きに対する応答の賛美です。礼拝委員会で季節毎にふさわしいものを選びます。讃美歌は立って歌われることが多いですが、座ったままでも大丈夫です。差し支えない方は、お立ちください。共に賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

開会の祈祷は、神の前に立った会衆が聖書の言葉を受けとめる準備をします。たとえば、自分の罪を告白して、神の憐れみを願い、神による罪の赦しを聞き、神の栄光をたたえて、聖霊の導きを求めます。最後の「アーメン」という言葉は、「本当にそうです」「本当にそうなりますように」という意味のヘブライ語で、祈りを合わせる全員が唱和します。共に、祈りを合わせましょう。

 

呼びかけ

◆この世界を創造し、癒される神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

 

罪の告白

◆私たちの友なる神様。私たちはこの一週間、思いと言葉と行いによって罪を犯し、あなたを悲しませてしまいました。どうか今、私たちが傷つけた人、怒りをぶつけた人を癒し、回復させてください。

 

憐れみの賛歌(キリエ)

◆私たちの母なる神様。私たちはこの一週間、自分自身も傷つけられ、痛みと苦しみを覚えてきました。どうか今、私たちの心と体の傷を癒し、変化と回復をもたらしてください。特に、様々な事情で、一緒に礼拝できない人たちを力付けてください。

 

赦しの言葉

◆私たちの父なる神様。あなたは心から悔い改め、あなたに立ち返る全ての人を赦してくださいます。どうか今、ここに連なる一人一人をあなたが憐れみ、全ての罪から清め、永遠の命を受け継ぐ者としてください。

 

頌栄(グローリア)

◆私たちの王なる神様。あなたは後悔する者に癒しを、責める者に希望を与えてくださいます。本来なら、恵みを受け取れない者が喜べるように、変化と回復をもたらします。どうか今、天の上にも地の上にも、あなたの栄光が現されますように。

 

聖霊の導きを求める祈り

◆私たちの子なる神様。あなたは心に平安をもたらし、大切な言葉を与えてくださいます。どうか今、心を乱す様々な事柄に惑わされず、あなたの声を聞かせてください。これからのち、新しい人として主に仕え、あなたの栄光を現すことができますように。

 

結び

◆私たちの隣に、前に、後ろにおられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。

聖書朗読は、神の語りかけを聞くときです。主に聖書日課で指定されている【旧約】【使徒書】【福音書】の中から選ばれます。礼拝の中心は神の言葉なので、できるだけ、この3つ全てを読むことが望ましいです。

 

どれかを省略しなければならないときは、クリスマス前の日曜日には【旧約】が、クリスマスからペンテコステ前までは【福音書】が、ペンテコステからアドヴェント前までは【使徒書】か、それに準ずる新約の文書が、なるべく読まれるようにしています。聖書についている見出しは箇所を見つかりやすくするもので、礼拝の中では読み上げません。

 

出エジプト記33:12〜17、ヨハネによる福音書2:1〜11(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編19:1〜7(新共同訳交読詩編より抜粋)

交読文は、聖書の言葉を聞いた会衆が祈りへ導かれるように、詩編の言葉を司式者と会衆で交互に唱えていくものです。詩編の箇所も、聖書日課で指定されているものを選んでいます。『交読詩編』か、交読詩編付きの『讃美歌21』を持っている方は、一段下がったところと太字のところをお読みください。司式者は、会衆が読むところを間違えないようにテンポよく読むようにします。ご着席のままで大丈夫です。詩編19編1節から7節。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、讃美歌21の286番「ほめたたえよ、われらの主よ」を歌いましょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。

 

メッセージ前の讃美歌は、神の言葉を受けとめるため、教会暦や聖書箇所に即した歌が選ばれます。今回は、神の子イエス・キリストが、最初に起こした奇跡を思い起こし、一人一人に助けをもたらす、神を讃えて賛美します。差し支えない方はお立ちください。

 

955169によるPixabayからの画像

メッセージ

本日は、「好意を示してくれません?」と題して、柳本伸良牧師に、メッセージをしていただきます。

 

メッセージは、朗読された聖書の意味を解き明かし、神の言葉を受けとめる時間です。「説教」や「宣教」とも呼ばれます。牧師は、聖書箇所の文脈や出てくる単語の意味を調べ、現代の会衆に語られているメッセージを伝えます。教会の信徒が信仰に至ったきっかけや、聖書の言葉に助けられた体験を話す【信仰の証(奨励)】をする場合もあります。本日は、牧師からメッセージをさせていただきます。

 

カナの婚礼というのは、神の子イエス・キリストが、最初に行った奇跡と言われています。水をぶどう酒に変える、しかも、世話役から「良いぶどう酒」と評されるほど、おいしいワインに変えてしまう、ワクワクするような話です。事の発端は、ガリラヤのカナで結婚式が開かれることになり、そこへイエス様が招かれたことでした。
 
どうやら、最初に招待を受けたのは、イエス様の母マリアのようです。マリアの親戚か知り合いの人が結婚することになったんでしょうか? 成人した息子も、母親と一緒に招かれるということは、近しい身内か、関わりの深い近所の人かと思うでしょう。けれどもマリアが住んでいたナザレからカナという村まで約14km、歩いて3時間くらいです。
 
日常的に交流があった人ではなさそうです。それなら親戚かと思いますが、割と重要に思われる、マリアやイエス様との続柄は、聖書のどこにも記されません。また、不思議なことに、この婚礼には、イエス様と母マリアだけでなく、イエス様の弟子たちまで呼ばれています。どうも、単なる身内として呼ばれたわけじゃなさそうです。
 
さらに、婚礼の最中、ぶどう酒が足りなくなったとき、なぜかイエス様の母マリアが、息子に向かってこう言います。「ぶどう酒がなくなりました」……変ですよね? 普通は、一緒に招かれた家族ではなく、会場の係に言うことです。さらに、マリアは花婿の召し使いたちへ「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と命じています。
 
これも変です。招待客から、急にこんなこと言われても、召し使いたちは従えません。自分たちの主人は花婿であって、その許可もなく、勝手に会場にいる人間の指示には従えません。ところが、彼らはマリアの言うことを素直に聞いて、イエス様が何か指示すると最初から、そのつもりだったかのように従います。
 
もしかしたら、マリアと召し使いたちは、最初から、ぶどう酒が足りなくなることを分かっていたのかもしれません。そもそも、イスラエルの婚礼で、ぶどう酒を切らしてしまうのは、あってはならない失態で、できる限り大量に用意しておくものでした。しかし、花婿の家には、十分ぶどう酒を用意できない事情があったのかもしれません。
 
そんなとき、ナザレから出てきたイエスという人が、洗礼者ヨハネによって「“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」と言われたり、ヨハネの弟子たちによって「わたしたちはメシア(救い主)に出会った」と言われたりするのを耳にして、花婿も、この人なら何とかできるんじゃないか?……と思ったのかもしれません。
 
「マリアさん、あなたの息子の話を聞きました。婚礼の最中、ぶどう酒が足りなくなって私たちが困ったとき、息子さんに助けてもらえないでしょうか……?」おそらく彼女は救い主との仲介役として呼ばれ、最初から、ぶどう酒がいつ足りなくなるか、注意深く、見守っていたんでしょう。助けが必要と分かるやいなや、彼女は息子を呼びにいきます。
 
「ぶどう酒がなくなりました」……イエス様も、薄々分かっていたでしょう。自分たち家族だけでなく、自分の弟子たちまで呼ばれ、こうして、母親から呼ばれたということはここで特別な力によって助けることが期待されていると……けれども、イエス様は花婿と花嫁の親戚でもなければ、知り合いでもありません。
 
下手すれば招待されるまで、顔を合わせたことのない人間です。自分の母がそこにいたから、一緒に招かれただけの間柄です。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」……母親に対して、冷たい言葉に見えますが、本当に、イエス様にとっては、かかわりのなかった家だったのかもしれません。
 
イエス様は、誰かに奇跡を起こされるとき、「何を求めているのか」「何をしてほしいのか」と相手に聞いて、自分とのやりとりを、かかわりを求めました。けれども、カナの婚礼では、自分に直接「助けてほしい」と求める人は出てきません。お母さんを通して、恐る恐る、頼みを聞いてもらおうとする、自分とやりとりのできない相手が出てきます。
 
何か、私たちみたいですよね? 自分の言葉なんかじゃ、自分の祈りなんかじゃ、神様に好意を示してもらえないんじゃないか? 教会に来たばかりで、聖書をパラっと読み始めたばかりで、祈っても、願いを言っても、聞いてもらえないんじゃないか? 私よりも牧師から、あの人から、頼んでもらった方が、聞いてもらえるんじゃないか?
 
でも、本当は、そんな寂しい話じゃないんです。イエス様の「わたしとどんなかかわりがあるのです」という言葉は、「関係ないからお断り」という意味ではありません。わたしとかかわりなさい……何を求めているのか、何をしてほしいのか、言わなくとも分かっているから、わたしと関係を築きなさい……という促しです。
 
最初に読んだ、出エジプト記にも、自分に対して、神様が本当に好意を示してくださるのか、半信半疑なモーセの言葉が続いていました。なぜなら、彼はこの直前に、自分の率いる民が、金の子牛の像を作ってしまい、偶像礼拝を行ったことで、最悪の展開を迎えたからです。
 
民の指導者として選ばれたのに、みんなは自分の言うことを聞かないし、一番やってはいけないことをさせてしまった。神様が自分と一緒に遣わしてくれた兄弟アロンでさえ止めてくれず、本当の神でないものを拝ませてしまった。神様は、最初から私に好意を示す気なんてなかったんじゃないか? 私の言うことなんて、聞いてくれないんじゃないか?
 
そんなモーセに対し、神様は繰り返し語ります。「わたしはあなたに好意を示す」「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう」……イエス様も同じです。自分と直接関われず、母親を介して、助けを求めた人たちに、自ら好意を示します。「水がめに水をいっぱい入れなさい」……すると、水はぶどう酒に変わり、婚礼は中断することなく続きました。
 
もし、自分と神様とのかかわりがないに等しく感じるなら、自分が頼んでも、願っても拒絶されると恐れるなら、イエス様が誰のために、最初の奇跡を起こしたのか、思い出しなさい。自分とかかわりがない者を、かかわりのある者へ変えられる、自ら隣人としてやってくる、イエス様を求めなさい。この方は、あなたを通して栄光を現してくださいます。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌1番「枯れた谷に鹿が」(©️柳本和良)を歌います。

 

メッセージ後の讃美歌は、神の言葉を締めくくるのにふさわしい歌を歌います。今回は、いただいた恵みに感謝しつつ、日々、神様の呼びかけに耳を澄ませられるように、御言葉を求める歌を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

 

使徒信条は、神の言葉に共鳴して、教会の信仰を告白するキリスト教会共通の信条です。信仰者が何を信じているのか表す便利な要約となっており、一人一人が自分の口で、神様と、イエス様と、聖霊について、集まった人たちに伝える時間でもあります。

 

その性質上、なるべくみんなに分かる言葉で告白するのが望ましいですが、華陽教会では現在も文語の使徒信条を使っています。今回は、『讃美歌21』か、オンライン賛美歌の後方3頁に載っている口語訳を見ながら告白していただけると嬉しいです。使徒信条。

 

 

紹 介

(ご着席ください)華陽教会では、その日、初めて教会に来た方や、久しぶりに礼拝へ集まった方を意識して「とりなし」と「祝福」を行います。それは、この礼拝につながった全ての者が、神の民として招かれた隣人であり、新たに加えられた仲間だからです。

 

人前で紹介されるのを遠慮したい方は、受付の新来者カードの記入欄で「紹介されるか/されないか」を選ぶことができます。連絡先や住所の記入欄は、緊急時の連絡先や集会案内などを希望される場合に使うもので、書いても書かなくても大丈夫です。

 

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

とりなしの祈りは、自分自身がイエス様のとりなしによって助けられていることを覚え、今度はこちらから、周りのため、世界のために、神様へとりなす祈りです。お祈り毎に、沈黙を挟むので、皆さんも、それぞれ思い浮かぶ人のためにお祈りください。

 

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

主の祈りは、神の国でイエス様と共に食卓に着く日を待ち望み、キリストの十字架と復活を思い起こす「聖餐式」(パンとぶどう液をいただく式)の準備をする祈りです。イエス様が「祈り方の基本」として弟子たちに教えたものであり、現代でも、どう祈ったらいいか分からない人へ、最初に教えられる祈りでもあります。

 

「祈り方の基本」を伝えるものでもあるため、なるべくみんなに分かる言葉を用いることが望ましいです。華陽教会では、今も文語訳を使っていますが、今回はオンライン賛美歌4頁右側の『日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳』を祈りましょう。

 

 

(聖 餐)

本来は、この後に、信仰を告白した人が、信仰者であり続けるために、キリストの十字架と復活を思い起こして、パンと葡萄液を分かち合う「聖餐式」を行います。また、イースターやクリスマスなど、信仰者の家族や友人、新来者が多いときには、聖書の言葉を聞いた人が、神の祝福を分かち合うため、パンと水などを分かち合う「愛餐式」を行います。

 

華陽教会では、第一日曜日と特別な行事のあるときにそれらを行い、それ以外の日曜日は、教会で定めた年間聖句と年間主題を心に留めて、一週間の目標を掲げ、自分自身の生き方をささげるしるしとして、献金をささげます。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金は、神の恵みに対する感謝の応答です。自分の生き方を神にささげるしるしとして、献げ物を行います。初代教会では、信徒一人一人がパンや飲み物を持ち寄って祭壇にささげ、集まった食事を生活に困っている人たちへ分け与えていました。そのとき集められた一部を聖餐に用いたため、献金と聖餐は、本来セットで行われます。

 

現代では、集めた献金を教会の維持や運営のため、牧師の謝儀(給与)のため、地区・教区・教団の働きのため、福祉や慈善活動のために用いています。あくまで「恵みに対する感謝」としてささげるものなので、金額に定めはありません。どうしても迷ったら「自分と誰かにご飯やお茶を分けられるくらい」で考えるといいでしょう。献金の後、係の方が祈りをささげます。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」を歌いましょう。

最後の讃美歌は、会衆が神の栄光をたたえて、礼拝から送り出されていくものです。神の栄光をたたえる「頌栄」の讃美歌が選ばれる他、祝福との関連で「派遣」をテーマにしたものが選ばれます。季節毎に礼拝委員会で話し合って決められます。お立ちください。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

派遣の言葉と祝福は、会衆一人一人が、神様の愛を示していく生き方ができるように、神の祝福を宣言して、日常へ送り出すものです。祝福の間、目を閉じなければならない決まりはありません。

 

できれば、互いに祝福し合う気持ちで、顔を上げていただけると嬉しいです。なお、体の不自由な方やしんどい方は座ったままで大丈夫です。立っている方も、牧師が祝福を宣言した後は、静かに座って、奏楽に耳を傾けていただけると幸いです。

 

派 遣

わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。(出エジプト記3:12b)

 

祝 福

主があなた(がた)を祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けて あなた(がた)を照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔を あなたに向けて、あなたに平安を賜るように。(民数記6:24〜26)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった15名、同時に視聴された4名、計19名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

礼拝後、軽食を挟んで、2階集会室にて、オリーブ会とヒラソルの会を合同で開き「お祈り」をテーマに分かち合いをします。オリーブ会とヒラソルの会は、第三日曜日に行っている信徒会で、好きな聖句や賛美歌、近況などを分かち合い、親睦を深める集まりです。

 

興味のある方は、どなたでも出られるので、よかったらご参加ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。