聖書研究祈祷会 2025年9月3日
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の527番「み神のみわざは」を歌いしょう。最後の「アーメン」は、つけずに歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆憐れみ深い神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。
◆私たちの神様。8月は、牧師の帰省・休暇のため、岐阜地区サマーキャンプのため、牧師の研修出張のため、一ヶ月この集会を休みにしていましたが、こうして再び開催できたことを感謝致します。どうか今、この会がますます豊かに用いられ、祝されますように。
◆私たちの神様。夏休みを終えて、新学期が始まった幼稚園や学校の子どもたちに、あなたの恵みがありますように。どうか今、人間関係が上手くいかなかったり、勉強についていけなかったりする子どもたちに、安心できる居場所と助けがもたらされますように。
◆私たちの神様。心の調子を崩している人、体の調子を崩している人、衰えや不自由さを感じている人に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、一人一人にあなたの癒しがもたらされ、新しい変化と回復を受け取ることができますように。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書1:1〜16の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書1頁です。
同じく、マタイによる福音書1:1〜16の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書1頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |

メッセージ
今年度の聖書研究祈祷会は「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は「選ばれた人、時代の人」というトピックについて、イエス・キリストの系図が出てくるマタイによる福音書1:1〜16に焦点を当てて話していこうと思います。
キリスト教系の破壊的カルトや、キリスト教の教えを一部取り込んだカルトの中には、自らを「再臨のキリスト」や「神の生まれ変わり」であると信じさせ、信者をコントロールするものがあります。加えて、その時代の中心人物として神様から選ばれた特別な存在が教祖であり、教祖に従わなければ、滅びに至ると教えるところも存在します。
たとえば、神様に命じられたとおり、箱舟を作って洪水を生き延びたノアという人物や神様に命じられて、すぐに故郷を捨てて旅立ったアブラハム、神様に選ばれて王になったサウルやダビデ、神様の言葉を伝えるように派遣された預言者たち、救い主イエス・キリストなどが例に出され、この時代においても、神様に選ばれた「中心人物」を見極めて、その人に従わなければならないと言うわけです。
そして、神様に選ばれた、その時代の中心人物がやって来たとき、その方に従って救われるか、従わないで破滅を迎えるか、選択するチャンスは限られていると強調されます。ちょうど、詐欺師やマルチ商法のメンバーが「今、選択しないと大損する」「二度とこんなチャンスはやって来ない」と畳みかけ、冷静に考える時間を与えない手法と重なります。
巧妙な組織の場合、教祖が「来臨のキリスト」「再臨のメシア」であると、聞き手に直接教えるわけではありません。様々な聖書の比喩をとりあげて、聞き手が自ら「この時代にいるあの人が、再臨のメシアではないか?」と思い、「あの人を信じて従わなければ、中心人物を見極められない者として、自分も破滅するのではないか?」と不安になるよう刷り込んで、教祖をメシアと告白するよう仕向けるのです。
けれども、「考える時間を与えない」というのは、聖書に出てくるイエス様の姿勢と異なります。イエス様は、最初に12人の弟子たちを選んだとき、彼らはすぐに、仕事も家族も捨てて従ったように見えますが、何でもイエス様の言うことをすぐ受け入れたわけではありません。
12人の弟子たちも、イエス様をローマ帝国からユダヤ人を解放する軍事的指導者ではないかと期待し、ユダヤ人も異邦人も救いに来られた「平和の主」とは分かっていませんでした。イエス様が湖の上で嵐を止めたときは、「いったい、この方はどういう方なのだろう、風や湖さえも従うではないか」と言って、自分たちが従っている方の正体が、分からない様子を見せました。
また、イエス様に呼ばれてすぐ従っていったわりに、イエス様の言うことを理解できず、受け入れられず、「分からない」「どうしたらいいのだろう」という態度を見せることもありました。イエス様のことを「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白した後も、イエス様の復活を信じられず、逃げ出したり、家に閉じ籠ったりする様子を見せました。
実は、イエス様に選ばれて従った弟子たちは、すぐイエス様の正体が分かったから、すぐイエス様の言うことを受け入れたから、ついていったわけではないんです。むしろ、イエス様の方が、まだ自分のことをよく分かっていない彼らを選び、彼らが自分を理解するまで、受け入れるまで、付き合い続けてくださったんです。
実際、イエス様は弟子たちに「まだ、分からないのか」「まだ、悟らないのか」と繰り返し語っている様子が見られます。分からない、理解できない、信じられない弟子たちを、チャンスを逃した者として切り捨て、破滅に至るまで放置するような方ではありません。むしろ、どこまでも信じるように、救われるように、付き合い続ける方なんです。
一方で、破壊的要素の強い団体では、「信じた者と信じなかった者」「従った者と従わなかった者」を対照的に取り上げて、「今」信じないと、「今」従わないと、あなたは破滅に向かうことになると強調します。あるいは、「今」信じれば、「今」従えば、あなたは成功し、幸せになれると強調し、信じない者との差が語られます。
たとえば、ノアと共に箱舟に乗った彼の家族は救われて、それ以外の人々は洪水で滅ぼされた話……アブラハムと共に神様が示す土地へ出発した一族が、子孫と財産に恵まれた話……モーセに率いられたイスラエル人は災いを免れ、エジプト人は災いに襲われた話……神に遣わされた預言者の言葉を信じないで、悔い改めなかったイスラエル人が、母国を滅ぼされてしまった話。
しかし、これらを注意深く見ていくと、ノア自身も酔っ払って天幕で裸になり、孫を呪ってしまった出来事や、アブラハムが神様の約束を信じきれず、笑ってしまった出来事、モーセに率いられた民が何度も反抗していた出来事が見えてきます。その日、その時、信じられなかった、従わなかった者たちに、神様は根気強く、粘り強く導き続け、自分の民となるまで働きかけてこられました。
加えて、神様の使命を果たすよう特別に選ばれた人間も、決して完璧な存在ではなく、間違いを指摘されたり、過ちを正されたりしてきました。しかし、キリスト教系のカルトの中には、その時代の中心人物だけが、神の言葉を正しく知ることができ、その人物に従うことでしか、神のご意志に適った行動はできないと主張しているところがあります。
けれども、サウルやダビデが王として遣わされていた時代、サムエルやナタンも預言者として遣わされ、王の間違いや過ちを正し、神に立ち帰るようメッセージを語っていました。ある時代、ニネベの街へ神の言葉を伝えるように遣わされていった預言者ヨナも、異なる信仰を持つ異邦人の船乗りたちから、「起きてあなたの神を呼べ」「神が気づいて助けてくれるかもしれない」と促され、間違った行動を正されていきます。
神様に遣わされた人々は、常に正しい者だから選ばれたのではありません。単に他の人よりも信仰的に優れているから、立派だったから遣わされたのではありません。むしろ、神様は欠けのある人間を、間違いを犯してしまう人間を、惜しみなく重要な使命に遣わし、本来果たせない使命を果たせるように、「わたしが必ずあなたと共にいる」と導き続けてきたんです。
この事実は、マタイによる福音書の「イエス・キリストの系図」にも表れています。ここには、イエス様が誕生したヨセフの家系が記されていますが、6節に、ダビデとウリヤの妻によって、ソロモンが生まれたと出てきます。人妻の名前が記されているとおり、これは、ダビデが不倫を犯したことを示しています。
さらに、アハズやマナセといった王の名前は、神に背いて、イスラエルの国にバアル像やアシェラ像などを持ち込んで、偶像礼拝の罪をもたらした黒歴史が思い起こされます。さらに、救い主の家系に記される女性たちの名前には、遊女ラハブの名前や、異教の国モアブの出身であるルツの名前もありました。
これらの系図は、宗教的に、信仰的に、正統な家系からイエス様が生まれたことを示しているのではありません。むしろ、神の子が、救い主が、様々な失敗や過ちを犯してきた人間の身内として、忌み嫌われる属性を持つ人々の身内として、生まれてきてくださったことを示しています。単に、家系の良さや血筋の良さを示しているのではないんです。
もし、聖書の勉強会などで、「神様から遣わされた時代の中心人物の特徴」を挙げられ、現代も、その特徴に当てはまる者を見つけたら、その人を信じて従いなさい……と促されたら、注意してください。それは、一見、聖書的に感じるかもしれませんが、聞いている人を自分たちの指導者の支配下に置くための論理です。
本来、神様に選ばれ、神様に遣わされてきた指導者の歩みは、その者の正しさや立派さではなく、その者が本来果たせない使命を果たせるように、付き合い続けた神様の愛を知るためのものです。才能や能力や家系やリーダーシップなど、その人個人の資質を見て、神様に選ばれたかどうかを判断することはできません。
アブラハムは、神様の約束を信じ切れずに笑ってしまい、妻を妹と偽って、我が身を守ろうとする臆病な者でした。モーセはもともと、人々を率いることに自信がなく、口下手で、情けない者でした。神に選ばれた預言者も、困難に耐えきれず、神に嘆きや怒りをぶつけ、休息を必要とする者でした。
そして、イエス様に呼ばれて、すぐ従った弟子たちも、なぜ、イエス様に従うことを決めたのか、その心情は、ほとんど聖書の中に出てきません。何なら、最初は田舎のナザレから出てきた者ということで、特別な者ではないと思っていた様子も見られます。弟子たちは、イエス様が何者か見極める目を持っていたから、従うことができたのではなく、イエス様の方から呼びかけて導いてくださったから、従うことができたんです。
さらに、イエス様は自分が復活した後も、自分に気づかない弟子たちへ、自分だと気づくまで、付き合い続けてくださいました。最後まで疑っている弟子が、「わたしの主、わたしの神よ」と告白するまで、ご自分を示し続けてくださいました。本当のキリストは、再び来られる救い主メシアは、自分だと分からない者を、分からないまま滅びに至るまで、放置する方ではありません。
改めて、聖書の記述を利用して、自分たちを支配しようとする者たちに注意しつつ、迷い続ける私たちに、揺れ動いている私たちに、天の国へと迎えられるまで、付き合い続けてくださる神に信頼し、御言葉を受けとめていきましょう。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている三重県南牟婁郡(みなみむろぐん)のくまの伝道所のために、病気にかかった人のために、怪我をした人のために、障害のある人のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆三重県南牟婁郡(みなみむろぐん)のくまの伝道所のために祈ります。高齢の信徒や会衆に、あなたの助けが豊かにあって、礼拝と聖餐の喜びが増し加えられていきますように。代務牧師が支えられ、教会の働きがこれからも守られますように。
◆病気にかかった人のために祈ります。心や体を病んでいる人、また、病気になる手前で苦しんでいる人たちに、あなたの助けと癒しがもたらされますように。特に、休むことができない人、頼れる相手がいない人に、安心して休める環境が与えられますように。
◆怪我をした人のために祈ります。体を痛めてしまった人、治療に時間がかかっている人に、あなたの慰めと励ましがありますように。それぞれに、あなたの癒しの御手が差し伸べられ、痛みが引いて、調子が戻り、回復へと導かれていきますように。
◆障害のある人のために祈ります。発達障害、精神障害、身体障害など、多様な背景のある人たちが、不合理な状況や二次障害から解放され、生きやすい社会を築けますように。子どもも、大人も、高齢者も、希望を持って助け合える世の中となりますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌21番「心騒ぎ不安になる夜に」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。
よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は『復活とは何なのか?』と題して、ルカによる福音書15:11〜24のお話をする予定です。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。