ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『何も持っていけないから』 ルカによる福音書16:9〜13、テモテへの手紙一6:1〜10

日曜礼拝 2023年9月24日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。(詩編29:2)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌Ⅱ編の26番「ちいさなかごに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆日々、歩みを共にしてくださる、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今週も、様々な出来事が降りかかり、心を刺され、深く傷ついている人たちがいます。どうか今、家庭で、近所で、学校で、悩み苦しんでいる人たちに、あなたの助けがありますように。

◆私たちの神様。今週も、自分にできなかったこと、間違えてしまったこと、分からないことを前にして、力が湧かなくなった人たちがいます。どうか今、休む時間と、頼れるところと、自分を犠牲にし続けない道をもたらしてください。

◆私たちの神様。今週も、あなたの慈しみによって、心を癒され、力を取り戻し、新しく出発していく人たちがいます。どうか今、共に出発した者同士、倒れている者、立ち上がれない者の手を、一緒に取ることができますように。

◆あなたの平和が実現し、あなたの栄光が現され、あなたのお名前が、褒め称えられますように。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書16:9〜13、テモテへの手紙一6:1〜10(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編49:6〜13(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の370番「おもいも ことばも」を歌いましょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

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メッセージ

ルカによる福音書16章と、テモテへの手紙一6章が読み上げられ、多くの方は混乱したと思います。一方では、主人に不正を働く管理人が、褒められるたとえ話をされ、もう一方では、自分の主人を尊敬し、大事にしなさい、と勧める教えが語られました。結局、主人に忠実であればいいのか、主人を出し抜く賢さがいるのか、迷ってしまう話です。

 

道徳的には、自分の主人を尊敬し、熱心に仕えるよう勧めている、テモテへの手紙の方が、受け入れやすいかもしれません。しかし、これはこれで、奴隷制度に対する「支持」のようにも受け取れます。もちろん、聖書は人を分け隔てしないように教えているので、安易に奴隷制度を容認しているとは言えませんが、ちょっとモヤモヤするでしょう。

 

また、どちらの記事も、金銭を追い求めることに否定的で、「そんなことしても神の国に受け入れられるわけじゃない」という点で一致しています。ただし、こういった記事を悪用して、「金銭を持つことに執着するな」と強調し、無理に献金をささげさせ、信者の生活を困窮させる、悪質な教師も存在します。

 

どうにも厄介な聖書箇所です。特に、皆さんが不快に感じるのは、イエス様のたとえ話で、こう勧められたことでしょう。「不正にまみれた富で友達を作りなさい」……いやいやダメでしょ。友達を作るためなら、尚更、不正にまみれた金を使っちゃいけません。そんなことして仲良くなっても、いつか裏切る人になりそうです。

 

「ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」と言うなら、主人に対して不忠実な管理人を、どうして誉められるでしょうか? 神様は、不義や不正を裁かれる、正義と公正を愛される方じゃないんですか? こんな問いが生まれるのは、たとえ話に出てくる「主人」が、神の国の所有者に、天の国の主人にたとえられていると思うからです。

 

実際、多くのたとえに出てくる主人は、たいてい天の国の主人である、神様のことか、イエス様のことを指しています。このたとえ話も、「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」という言葉で締め括られており、本当の主人である神様に仕えるか、そうでない、仮初めの主人に仕えるか、二択を迫られる話になっています。

 

ここで振り返ってみましょう。たとえ話に出てきた管理人が、最後に仕えた主人は誰だったのか? 自分を迎え入れてもらうため、仕えることにしたのは誰だったか? 仕事を取り上げようとしている金持ちの主人か、その主人に借りのある貧しい人々か……答えは明白です。管理人が選んだ主人は、金持ちではなく、借金のある、貧しい人々でした。

 

普通、主人の財産を無駄遣いして、会計報告を求められ、「もう管理を任せておくわけにはいかない」と言われたら、何とかして、クビを防ごうとするでしょう。あるいは、主人の財産を持ち逃げして、どこかに隠そうとするでしょう。けれども、この管理人は、主人のもとで得たお金は、何一つ持っていけない、全て取り上げられることを知っています。

 

私たちが、この世で得られた金銭を、天国へ持っていけないように、管理人は、主人のところで得た金を、持っていくことができないと知っているんです。だから、自分を迎えてくれる、真の主人に仕えようと、貧しい人々の借金を減らしていきます。最初から、管理人の全てを取り上げるつもりだった金持ちは、この抜け目のないやり方を褒めました。

 

「やるじゃないか」と……実は、このたとえ話における、神の国の主人、永遠の住まいの主人は、金持ちの主人ではなく、お金に困っていた、貧しい人たちなんです。「不正にまみれた金」というのは、神の国へ持っていけない、この世の金銭のことなんです。言い換えれば、こうなります。

 

「天の国へ持っていけない、この世の金銭で友達を作りなさい。そうしておけば、金は持っていけないが、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる」……実際、16章の後半に続く「金持ちとラザロ」のたとえでは、この世で友を作らなかったために、永遠の住まいに迎え入れてもらえなかった、金持ちの姿が出てきます。

 

2つのたとえが置かれることで、不正な管理人を雇っていた主人の正体が、実は神の国の主人ではなく、この世の仮初めの主人であったことが分かります。そして、仕えても、利得にならないように見えた、貧しい人たちこそ、主人であるイエス様と一緒に、神の国を受け継ぐ者だったんです。

 

なるほど、それなら、この世の金持ちに、自分の主人に、仕える必要はないですね。自分より給与の高い上司に、役職が上の人たちに、へりくだる必要はないでしょう……そう言う人たちが出てきたら、もちろん、そんな話じゃありません。テモテへの手紙は、信仰を理由にして、自分が仕えるべき相手を見下したり、軽んじたりすることを戒めています。

 

むしろ、「私の主人は神様だから、人間の上司には仕えません!」と言う人たちに、あなたは神に仕えているのではなく、自分を主人にしてないか? 神の言葉を都合よく使って、自分自身に仕えてないか? と問いかけます。議論や口論に病みつきになって、自分の訴えを押し通そうとする人たちを立ち止まらせます。

 

立ち止まらされた人の中には、教会の教師もいるでしょう。「食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです」「金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります」という教えは、信徒にお金を貯めさせないで、全て献金させようとする、悪質な意図で使われることもありました。

 

でも、そうやって献金を集め、自分の肥やしにしようとする教師たちを、最も厳しく、この手紙は批判しています。献金の求め方や使い方によって、ひどい苦しみに突き刺された者が大勢います。この教えは、誰かが一方的に搾取され、誰かが一方的に利得を上げる実践になってはいけません。

 

天の国に富を積むのは、互いに分かち合い、友となる歩みです。わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持っていくことができません。ただ、永遠の住まいに迎え入れてくれる方、自分を受け入れてくれる友、本当に価値あるものを任せてくれる、真の主人に、仕える道が示されています。この方を求めて、行きなさい。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌1番「枯れた谷に鹿が」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週は、運動会の準備をしている子どもたち、保護者、先生がたを覚えながら、幼稚園のために教会ができること、考えられることを一緒に取り組んでいきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」4節を歌いましょう。

 

讃美歌

「派遣」の賛美歌92番「主よ、わたしたちの主よ」1節を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6)

 

祝 福

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。(コリントの信徒への手紙二13:13)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週の日曜日は、信仰者が信仰者であり続けるための式「聖餐式」を行います。教会に来られる方は、賛美中のマスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。