ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『救い主の自虐』 マルコによる福音書15:16〜32

在宅聖研祈祷会 2020年7月8日


『救い主の自虐』聖書研究祈祷会 2020年7月8日

 

 

讃美歌

ただいまより、在宅聖研祈祷会を始めます。最初に、オンライン賛美歌「神よ 諦めない心」(©️柳本和良)を歌いましょう。こちらの賛美歌は、著作者の許可を得て使用・配信しています。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書の言葉を受け取る時間が与えられ、感謝致します。どうか今、不安と困難の中にいる一人一人に、あなたのお支えとお守りがありますように。

◆私たちの神様、全国で激しい雨が続き、河川の氾濫や土砂崩れの危険が増しています。どうか今、適切な判断と行動ができるように、特に高齢者や幼い子ども、障がいのある人たちが守られるように導いてください。

◆私たちの神様、既に建物が浸水したり、倒壊の危険がある中で、この時を過ごしている人たちがいます。どうか今、救助を待つ人、避難している人たちに、あなたの希望と励ましがありますように。

◆私たちの神様、雨に打たれ、風に吹かれ、土砂が崩れていく中で、自分の築き上げたもの、自分の立っている土台を失ってしまう人もいます。どうか今、揺るがされる私たちを、あなたの大いなる手で支えてください。

◆私たちと共におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。マルコによる福音書15:16〜32(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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Anemone123によるPixabayからの画像

メッセージ

救い主が鞭打たれ、侮辱され、十字架につけられて苦しむシーン……「他人は救ったのに、自分は救えない」「自分を救ってみろ」と言われるシーンは、「医者の不養生」とか「紺屋の白袴」とか「髪結の乱れ髪」といったことわざを思い出します。

 

たくさんの病人や貧しい人を救ってきたのに、嫌われ者の徴税人や罪人たちを助けてきたのに、自分が苦しくて辛いときには、なされるままになっている。ひたすら酷い目に遭っている。それどころか、痛みを緩和する没薬を混ぜたぶどう酒も、受け取らないで拒んでしまう。

 

もはや、自ら痛い目に遭っていると思われても仕方ないかもしれません。「救い主なら何とかできるだろう?」「他の人たちは助けてきたのに、自分のことは助けられないのか?」イエス様を嘲る人たちの言葉は、当然と言えば当然です。

 

何の罪も犯してないのに、人々のために十字架にかかっていくイエス様の姿は、ある意味自虐的にも感じます。どうしてここまで苦しい目に遭ったのか? どうして十字架から降りなかったのか? 様々な奇跡を起こしてきたイエス様なら、何とでもしようがあったろうに。

 

ここでのイエス様は徹底的に無力です。殴りつける人を睨むことも、侮辱する人を諭すこともありません。本当は抵抗できるけど、現状を打破する力を持っているけど、静かに我慢し耐えている……という様子でもありません。一人で十字架を担げなくなるほど、傷つき、弱り、ヘタっている。

 

そう、ここにあるのは「抵抗できない人」の姿です。「自分を救えない」「そこから逃げられない人」の姿です。みんなを庇って、苦しみに耐えるヒーローが、かっこよく迎える最期じゃありません。「誰も救ったように見えない」「自分さえ救えなかった人」の姿です。あなたが目にしたことのある、あなたが経験したことのある姿です。

 

「医者のくせにコロナにかかった。それでもみんなを治療できるのか?」「教師のくせに子どもがグレた。それでも生徒を教育できるのか?」「牧師のくせに心を病んだ。それでも人を導けるのか?」……自分には治せない、自分には教えられない、自分には導けない。自分を救えない人たちが経験してきた痛み、それをイエス様も負われます。

 

ときには愚か者として、ときには偽善者として、ときには犯罪人として、侮辱され、罵られ、力を剥ぎ取られていくとき、あなたと一緒に、イエス様もその十字架にかかっています。自分を救えない、自分には救う力がないことを知ってなお、そこでもがいているあなたから、イエス様は離れません。だから、十字架を降りません。

 

イエス様は、あなたから離れないために十字架にかかりました。あなたの救いを達成するため、あなたと一緒に痛みを負われました。人を救えないし、自分も救えないと言われるあなたが、イエス様と一緒に「復活の道」「新しい命の道」を歩むために、あなたと共に十字架を背負い、あなたの隣で貼り付けになりました。

 

イエス様は、救いに至らないと言われる人をご自分のもとへ引き上げる方、自ら隣にやってくる方です。助けたい人を助けられない、自分自身さえ救えないとき、「その救いは実現するよ」と宣言されるイエス様の言葉を信じましょう。その声はあなたの隣から、あなたのすぐそばで語られています。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(愛媛県松山市の松山山越教会)のために、各地の豪雨で被災された方のために、コロナの治療や予防に従事する人のために、基礎疾患や持病がある人のために祈りを合わせます。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆愛媛県松山市の松山山越教会のために祈ります。教会の子どもたち、すみれ幼稚園の働きが豊かに祝福されて、様々な祈りと交わりのときも豊かに導かれますように。

◆各地の豪雨で被災された方のために祈ります。急な災害で困惑し、恐怖し、疲弊している人たちに、あなたのお支えと励ましが豊かにありますように。

◆コロナの治療や予防に従事する人のために祈ります。最前線で働いている医者や保健所の職員に、あなたのお守りと助けがありますように。

◆基礎疾患や持病がある人のために祈ります。長らく教会に来れてない自宅待機中の方々や、現在治療中の方々に、あなたの恵みと喜びがありますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌「すべてを売り払い」(©️柳本和良)を歌いましょう。こちらの賛美歌も著作者の許可を得て使用・配信しています。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 

以上で聖書研究祈祷会を終わります。また日曜日まで、あなたに平和がありますように。