ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

岐阜市の華陽教会にいる牧師個人のブログ

『仲間になれば救われる?』 エフェソの信徒への手紙2:11〜22

日曜礼拝 2020年7月5日


『仲間になれば救われる?』日曜礼拝 2020年7月5日

 

 

招 詞

あなたは恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。(ヨナ書4:2e)

 

讃美歌

讃美歌21の419番を歌いましょう。前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。マスクをしておられない方は、受付で使い捨てマスクをお受け取りください。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、自宅で、職場で、施設で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様、私たちはこの一週間、人に怒りをぶつけたり、傷つけたりしてきました。私たち自身も、怒りや悪意をぶつけられ、痛みや苦しみを覚えてきました。どうか今、私たちの受けた傷、私たちがもたらした痛みを癒し、回復させてください。

◆私たちの神様、あなたは心から悔い改め、主に立ち返る全ての人を赦してくださいます。私たちに、新しい命をもたらす大切な言葉を与えてくださいます。どうか今、心を乱す様々な事柄に惑わされず、あなたの声を開かせてください。

◆私たちの神様、この礼拝によって、私たちを新しくしてください。あなたから受けた恵みと慰め、励ましを、他の人にも分けさせてください。どうか今、身近な人、助けが必要な人のために、私たちを派遣し、用いてください。

◆私たちに現れたイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。エフェソの信徒への手紙2:11〜22(新共同訳より抜粋)

 

だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

 

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Borko ManigodaによるPixabayからの画像

メッセージ

胡散臭い家族?

いつからか「家族」という言葉を多用すると、胡散臭く感じるようになってきました。私たちは家族だから、最も親密な仲だから、あなたを大事にしているし、あなたも私たちを大事にするべきだ……よく使われる言い回し、魅力的で、受け入れやすく、一致と団結のために、濫用されてきた言葉。

 

運命共同体と言った方が、分かりやすいかもしれません。みんなが苦労しているのに、あなただけが楽をするなんて、同じ家族としてありえないよね? みんなが我慢しているのに、あなただけが違うことをするなんて、家族として間違っているよね? 多少、自分のキャパシティーを超えていても、家族のためなら犠牲を払って行動できるよね?

 

そう、家族という言葉には力があります。これ以上ない団結、連帯、一致を生み出すパワーがあります。同時に破壊力もあります。誰かを支配したいとき、家族という関係は便利です。無条件で仲間のために、みんなのために仕えさせる……それを可能にする言葉です。ブラックな企業でも、破壊的カルトでも、しょっちゅう用いられています。

 

「君はもう赤の他人じゃない」「私たちの家族なんだ」……そう言って受け入れられた人は、ついに自分の居場所を見つけたと大喜びするかもしれません。この人たちこそ自分を認め、自分を助けてくれる存在だと思うかもしれません。彼らの仲間になることが、私の救いに違いない!

 

けれども、そう思って入ったところが、最終的に自分を支配し、搾取し、壊してしまう場所だった……そんな体験をした人も、決して少なくないでしょう。現実の家族でさえ子どもやパートナー、あるいは親が、自分の身内に支配され、傷つけられ、いいように利用されていることもあるんです。皆さんも時々聞きますよね?

 

後味悪い記事

それを踏まえて、今日の聖書箇所を読んだとき、もうめちゃくちゃに後味悪い記事だと思います。以前はキリストを信じていなかった異邦人が、クリスチャンの一員となってこう言われる。「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族です……」

 

「晴れて私たちの仲間になった!」「もう余所者なんかじゃない!」そんな嬉しそうな呼びかけです。でも、警戒せざるを得ない言葉。だって、家族じゃない人のことはどう扱うのか? 他の異邦人はどうなるのか? 家族になれなければ、家族でいられなくなれば、私はどうなってしまうのか?

 

「仲間になれば救われる」という雰囲気は、正直あまり好きではありません。キリスト教の牧師が何を言っているんだ! と思われるかもしれませんが、これは本心です。実際、私は教会の仲間になった人が、仲間になっただけでは救われない現実を知っています。だって、新しく来た人と受け入れた人の間でも、トラブルや諍いは起きていくんですから。

 

新共同訳が作られた際、この箇所に付けられた見出しには、「キリストにおいて一つとなる」という言葉がつけられました。もともとはバラバラだったユダヤ人と異邦人が、神様から離れていた人々が、和解を導くキリストによって一つとなる。そんな意味の見出しです。でも、今日皆さんの心に尋ねたら、どんな返事が来るでしょうか? 

 

あなたはこの教会で、みんなを仲間だと感じていますか? 家族のように愛していますか? キリストにおいて一つだと実感していますか?……さあ、どうでしょう! きっと一人一人に苦手な人、恐ろしい人、避けたい人が出てくるでしょう。今はいなくても、この先、自分の落ち着きを奪う誰かが、新しくやって来るかもしれません。

 

私たちの常識が通用せず、当然と思っていた伝統が破壊され、自分の居心地を悪くしてしまう人たちが……家族になるなら、仲間になるなら、こっちに合わせてくれよと思いつつ、逆に、こちらへ変化をもたらす人たちが……みんなで礼拝に集まる時間、今まで歌ってきた讃美歌、愛用してきた主の祈りが、だんだん形を変えていく。

 

仲間になるって?

かつて、ユダヤ人にとって異邦人が仲間になる、家族になるということは、自分たちの掟や慣習をそのまま受け入れることでした。規則と戒律ずくめの律法に従って、食べていいものと悪いものを分け、就いていい職業や関わっていい人間を限定し、その常識から外れない生き方をすることが、自分たちの家族になる、仲間になるということでした。

 

ところが、初代教会で次々と信仰を告白するようになった異邦人は、ユダヤ人がもともと守っていた律法を知らなかったり、守らなかったりする人たちでした。食事の仕方は明らかに違うし、礼拝で用いられる言葉も、アラム語に加えてギリシャ語がなければ、彼らみんなに届かない。

 

異邦人がユダヤ人の家族になるということは、ユダヤ人も彼らのために変わらなければならないということでした。そして、実際に教会はユダヤ教の会堂から大きく形を変えていきます。実は、聖書における「あなたは私たちの家族です」という宣言は、「私もあなたのために変化する」という告白でもあるんです。

 

そう、私たちの教会が、誰かを受洗者として迎えたとき、転会者として迎えたとき、私たちも彼らの家族となるため、変化することを選んだんです。洗礼式でも、転会式でも、そこに居合わせた皆さんが、一緒に誓約を交わすのは、加えられた仲間と共に、私たちも一緒に変化するためです。

 

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました」「こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現」します……あなたも私も、新しい一人の人に造り上げられる。

 

どちらか一方が、もう一方に合わせ続け、従い続ける関係じゃない。互いに変化し、支え合う存在として、イエス様に組み合わされた関係……それが教会の家族です。今、その家族として結び合わされる人々は、もはや教会の中まで来られる人に、留まらなくなりました。

 

私たちの教会は、自宅で、職場で、施設で日曜日を過ごす人とも、御言葉を味わえるように、新しく変化しています。戸惑いと、混乱と、苦難がある中、新しい家族を迎えようとしています。私たちのイエス様は、内側と外側の隔ての壁を取り壊し、私たちみんなを新しい教会に造り上げようとしています。共に、その変化と恵みを味わいましょう。

 

紹 介                                

本日、初めて教会に来られた方、久しぶりに来られた方で、紹介をご了承いただいた方のみ、受付の方と一緒にお立ちください。今日は( )名の方が来てくださいました。配信に乗らないようにお名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように。

 

とりなし

共に、礼拝につながった者として、とりなしの務めを果たしましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス・キリストが私たちに教えられた、最も基本的な祈りを祈りましょう。

主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

食卓を囲めない日の祈り

 

本日は、月の第一日曜日なので通常は聖餐式がありますが、感染症の流行に伴い、パンとぶどう液の配餐はしばらくの間休止しています。その代わり、「命のパン」「命の水」である神の言葉を受け取って、互いに神の祝福を宣言する「見えない食卓」にあずかりましょう。

 

賛美歌

ただいまより、「食卓を囲めない日の祈り」を始めます。最初に、オンライン賛美歌「心騒ぎ不安になる夜に」(©️柳本和良)の1節を歌いましょう。

 

招 き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)」「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ6:57)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ4:14)」

 

主は、荒れ野で悪魔の誘惑を受け、空腹の中「石がパンになるよう命じたらどうだ」と言われたとき、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる(マタイ4:4)」と答えました。そうして悪魔は離れ去り、主はガリラヤに帰られて、人々に神の言葉を与えました。

 

今、様々な事情で食卓を囲めない私たちに、主は「命のパン」「命の水」である神の言葉を与えます。食事が喉を通らず水も飲めない人々に、みんなと一緒に食事を味わえない人々に、神様は新しい糧をもたらします。

 

共に、聖書を通して与えられた神の恵み、神の祝福を分かち合う、見えない食卓を囲みましょう。

 

感謝の祈り

恵みと祝福の源である私たちの神様、あなたは私たちの欠乏を満たす「命のパン」「命の水」をお与えになります。孤独に共感を、対立に連帯を、恐怖に信頼をもたらします。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、共に渇き、共に飢え、共に痛みを負われました。

 

ご自分が渇いているときに、孤立した女性に水を求め、新しいつながりを与えました。ご自分が飢えているときに、神の言葉に信頼し、人々に希望を示しました。パンがなく、水がなく、共に食卓を囲めないとき、あなたの言葉一つ一つは、私たちに見えない糧をもたらします。

 

どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和がこの世界を満たしますように。アーメン。

 

とりなし

共に、「命のパン」「命の水」である「神の言葉」を分け合いましょう。皆さんの隣に、前に、後ろにいる人、あるいはそばに居られない人、共に集まれない人のために、あなたが受け取った神の祝福を宣言しましょう。

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる(ルカ23:43)」

司式者:私たちも知らせましょう。

一 同:「主があなたと共におられます」

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたがたに平和があるように(ヨハネ20:19)」

司式者:私たちも答えましょう。

一 同:「主のお言葉どおりになりますように」

 

応答の祈り

感謝の応答として、共に祈りをささげましょう。

 

信仰と希望と愛をもたらす私たちの神様、今ここで、食卓を囲めない日に、「命のパン」「命の水」であるあなたの言葉を分かち合えたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者がもたらされます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。

 

主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌『心騒ぎ不安になる夜に』(©柳本和良)2節、3節を歌いましょう。先ほどと同じく、前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

願わくは主があなたがたを祝福し、あなたがたを守られるように。

願わくは主がみ顔をもって、あなたがたを照らし、あなたがたを恵まれるように。

願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜るように。アーメン。