ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『自分を救えない人へ』 ルカによる福音書23:32〜43

日曜礼拝 2023年4月2日


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消 灯

本日は、受難節第6週目の礼拝なので、光や命の象徴として立てられた蝋燭を6本倒し、キリストが受けられた苦しみと、十字架の死を思い起こします。共に今、あなたの労苦と痛みに寄り添う、イエス様の歩みを覚えましょう。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

追い散らされたイスラエルを集める方。主なる神は言われる。既に集められた者に、更に加えて集めよう、と。(イザヤ書56:8)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、旧讃美歌52番「主のさかえに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(差し支えない方は、お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆赦しと和解をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。キリストの受けられた苦しみと十字架の死を思い起こす、受難節第6週目を迎えました。どうか今、今日に至るまで、私たちが犯した過ちと、償いきれない罪を赦し、私たちが傷つけた人、苦しめた者の回復を一緒に導いてください。

◆私たちの神様。キリストの復活を記念するイースターまで、残り1週間となりました。来週には、この教会で洗礼式が行われ、共に信仰を支え合う仲間を迎えます。どうか今、信仰を告白する人、その告白を共に唱える私たちを、互いに新しくしてください。

◆私たちの神様。イエス様が十字架につけられるまでの一週間「受難週」を迎えました。まさに今、痛みと、悩みと、苦しみの最中にある人と、あなたは共に居てくださいます。どうか今、私たちも、癒しと回復を祈りつつ、隣人と一緒に歩む者としてください。

◆変化と希望をもたらす救い主、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書23:32〜43(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編22:1〜22(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の308番「栄光と賛美と誉れ」を歌いましょう。繰り返しの「答唱」は会衆の皆さんで、真ん中の歌詞は牧師で歌います。(お立ちください)

 

Jeff JacobsによるPixabayからの画像

メッセージ

キリストが受けられた苦しみと十字架の死を思い起こす受難節、第6週目を迎えました。今日から、イエス様が殺されるまでの最後の一週間を振り返る「受難週」に入ります。皮肉なことに、イエス様が殺される6日前の日曜日、エルサレムにいた人々は、あちこちで病人を癒し、神の国について教えてきたイエス様を、大喜びで迎えました。

 

「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光」と。これに加えて、他の福音書では「ホサナ」という言葉もイエス様にかけられています。「ホサナ」というのは「どうか救いたまえ」「救ってください」という意味のヘブライ語で、神様に向かって「ばんざい!」と叫ぶような言葉でもありました。

 

この日、人々から王として、救い主として、「ばんざい!」と出迎えられたイエス様は、一週間も経たないうちに、祭司長や律法学者の扇動によって、「その男を殺せ」「十字架につけろ」と叫ばれるようになってしまいます。何も悪いことをしていないのに、2人の犯罪人と一緒に、十字架を担がされ、服を剥ぎ取られ、死ぬまで磔にされてしまいます。

 

絵に描いたような理不尽です。そんな中、議員たちは嘲笑って言いました。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい」兵士たちも言いました。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」さらに、一緒に磔にされた犯罪者にまで言われます。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」と。

 

自分のことも救えないのに、神から遣わされた救い主だと言えるのか? 神の子なら、自分自身を救えるはずだ。自分を救えずして、神の国の王と言えるのか? そんな問いかけが続いていきます。確かに、今まで多くの人の病気を癒し、悪霊を追い出し、嵐を静め、パンを増やし、死者も生き返らせてきたのに、自分は救えないなんておかしく感じます。

 

自分を救えなかったら、その力は本物ではないんじゃないか? 完璧ではないんじゃないか? それこそ、完全な信仰ではないんじゃないか? 信仰があれば、救われるんじゃなかったのか? イエス様自身、自分が助けてきた相手にこう語ってきました。「あなたの信仰があなたを救った」と。

 

でも、自分自身は十字架につけられ、命を落とそうとしています。自分を救えない者の信仰は、誰が認めてくれるんでしょう? 救われなかった者は、苦しみ続けた者は、信仰が足りなかったんじゃないか? 神に見捨てられたんじゃないか? そんなふうに感じるものです。「わたしの信仰では、わたしを救えなかった」というふうに。

 

頭の中に「神の子失格」「救い主失格」という文字が浮かんできます。エルサレムにいた人々も、自分を救えない姿をさらすイエス様を侮辱しました。本物じゃない……と。私たちも、選ばれた者なら、神様に遣わされた者なら、自分の身に起きた困難は、特別な力で何とかできる、逆境を跳ね返せるはずだ、というイメージが何となくあります。

 

実際、神様に遣わされ、信仰によって困難を乗り越えてきた人たちがいるじゃないか。彼らのように、苦難を耐え忍び、苦境を乗り越え、救われてきた者たちこそ、本物の信仰を持った、神に愛されてきた人たちじゃないかと。でも、思い出してください。これまで神様に選ばれ、遣わされてきた人々を。聖書に書かれている王や、祭司や、預言者たちを。

 

たいてい、自分の身に起きた困難を、自分でどうにかできない人たちでした。イスラエルの指導者モーセは、神に選ばれたにもかかわらず、民衆の支持を得られないで、何度も殺されそうになりました。イザヤをはじめとする預言者は、神の言葉を直接聞いていたにもかかわらず、民衆を悔い改めさせることは、ほとんどできませんでした。

 

神の言葉に従って、政治と宗教の改革を進めたヨシヤ王も、敵の侵攻を止めようとしてあっさり殺されてしまいました。祭司長、律法学者、議員はもちろんのこと、イスラエルの誰もが尊敬し、模範としている「神に選ばれた者たち」は、いずれも、自分で自分を救えたとは言えない姿を見せていました。

 

そして、神の子自身、「自分を救えない姿」を人々の前にさらしました。確かに、癒しや奇跡を行う力を持っていたのに、自分の身にふりかかった苦しみから、逃れられない姿を見せました。それは、多くの人が、信仰のない、完全でない、神に愛されてない、そのまま滅んでいく証だと思っていた姿です。

 

しかし、神様は、このイエス様を指して「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と呼んできました。「これはわたしの子、選ばれた者」と語ってきました。そして、自分で自分をどうにかできない者たちへ、イエス様自身が言いました。「あなたの信仰があなたを救った」と。自分を救えないあなたの信仰を、神様はちゃんと受け取っていると。

 

見なさい、私もあなたのように叫ばれた。「自分自身を救ってみろ」と。見なさい、私もあなたのように叫んだ。「わが神、わが神、どうしてお見捨てになったのですか」と。同じように叫び、同じように叫ばれた人たちも、皆、私の兄弟姉妹である。信仰を失った人、神に見放された人、そのまま滅んでいくと思っている、思われている、あなたやあなたの大切な人も、私と一緒に神の子とされている。

 

もしかしたら、「自分を救ってみろ」とイエス様に叫んだ人たちの言葉は、単なる侮辱ではなかったのかもしれません。私たちの多くは、自分を救えません。誰かを助けることがあっても、自分自身を助けられるわけではありません。他人の相談には乗れても、自分の問題には上手く向き合えなかったりします。

 

生徒に慕われている教師が、自分の子どもとは上手くいっていなかったり……病院で働いている先生が、自分の健康は管理できなかったり……聖書を教えている牧師が、自分の信仰は度々揺らいだり……自分で自分をどうにかできない姿から、私たちは逃れることができません。

 

自分を救ってみろ。他人は何人か救えても、自分は救えないだろう? ほら、私と一緒じゃないか。私と同じ、自分を救うことのできない、神に認めてもらえない、つまらない人間の一人じゃないか。だから期待させないでくれ。あなただけ、自分を救うことができる者に、神様に認められる者になるなんて、私を置いて行くなんてこと、しないでくれ。

 

自分を救えない者の信仰は、誰が認めてくれるのか? 最初に、そんな問いかけがありました。私たちは、自分を救えないことが、神様に認められてない、信仰が足りてない、愛されていない証拠だと強く刷り込まれています。神様から程遠い姿だと思ってしまいます。けれども、神の子ご自身が、信仰を失って絶望する人たちと同じ叫びを挙げました。

 

「わが神、わが神、どうしてお見捨てになったのですか」と。同じように叫んだ人たちと、イエス様は同じところへ行きました。自分を信じないまま亡くなった者とも、自分を裏切って絶望した弟子とも、自分を救えなかった数多の人とも、そこで再び出会ったでしょう。陰府に下り、彼らを連れて、神の国の食卓へ共に着くよう導いたでしょう。

 

イエス様は、自分を見捨てた者の信仰も、裏切った者の信仰も、拒んだ者の信仰も、認めない方ではありません。失ったままにしておかれません。もはや自分は救えない、自分のやったことの報いを受けていると思った犯罪人にも「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と約束してくださいます。神の国へ一緒に入る者として、あなたの名前を呼ばれます。

 

キリストの復活を記念するイースターまで、あと一週間。あの日、陰府の底まで、あなたへ会いに来られたイエス様を、あなたを連れ出しにきたイエス様を、今、心の中に迎えましょう。あなたの信仰を受けとめ、あなたを救われるキリストへ、賛美と祈りをささげましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌6番「戻らない世界で」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。(お立ちください)

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください)(お立ちください)

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください)(お立ちください)

 

 

愛 餐

本日は、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1、2節を歌いましょう。御着席いただいたままで大丈夫です。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

分かち合い

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、このパンと水は、信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。中部学院大学・短期大学聖歌隊の皆さんも、一緒にパンと水をいただけます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」3節を歌いましょう。御着席いただいたままで大丈夫です。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。今から後、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の1節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄の讃美歌26番「グロリア、グロリア、グロリア」を歌いましょう。(お立ちください)

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカによる福音書23:43)

 

祝 福

主があなた(がた)を祝福し、あなた(がた)を守られるように。主が御顔を向けてあなた(がた)を照らし、あなた(がた)に恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。(民数記6:24〜26より)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった21名、同時に視聴された17名、計38名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週の日曜日は、キリストの復活を記念するイースター礼拝を行います。また、礼拝の中で、信仰者になるための式「洗礼式」と、信仰者であり続けるための式「聖餐式」を行います。礼拝には、どなたでも参加できるので、ぜひ皆さんのお越しをお待ちしています。

 

なお、今週金曜日の夜7時から、キリストが十字架につけられるまでの一週間を振り返る「受難日礼拝」を行います。こちらも、よかったらぜひお越しください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。