ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『夫が死ねば解放される?』 ローマの信徒への手紙7:1〜6

日曜礼拝 2020年8月30日


『夫が死ねば解放される?』日曜礼拝 2020年8月26日

 

 

招 詞

だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。(コリントの信徒への手紙二5:17)

 

讃美歌

讃美歌21の433番を歌いましょう。前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。マスクをしておられない方は、受付で使い捨てマスクをお受け取りください。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、職場で、施設で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様、岐阜県内の感染動向が少しずつ収まってきたことを感謝致します。どうか今、感染対策のため、治療のため、尽力されている一人一人に、あなたの恵みがありますように。そして、感染した方を差別や重症化から守ってください。

◆私たちの神様、自分自身が辱められ、傷つけられてしまったとき、負の連鎖から脱出できるよう助けてください。どうか今、正当な怒りを誠実な方法で表現し、過ちや被害を繰り返さない道を示してください。

◆私たちの神様、自分自身が間違いを犯し、誰か苦しませたとき、安易な逃避や責任転嫁に陥らないよう導いてください。どうか今、反省の継続と誠実な償いができるように、勇気と良心を回復してください。

◆私たちに現れたイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ローマの信徒への手紙7:1〜6(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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5688709によるPixabayからの画像

メッセージ

夫に抑圧されている?

夫が死ねば解放される……メッセージのタイトルにつけられた言葉を聞いて「この牧師は教会の礼拝でなんちゅうことを言い出すんだ」と思われたかもしれません。不快に思う人もいるでしょう。「自分のせいでパートナーに苦労をかけている」「自分なんて早く死んだ方が良い」と思っている男性に対し、非常に暴力的な言葉です。

 

同様に、自分が夫の死を望んでいるとは思ってほしくない人たち、夫と離れたくない人たちも、このタイトルに嫌悪感を抱くでしょう。「夫が死ねば解放される」……そこには、夫の存在が妻、あるいは同性のパートナーを束縛する、抑圧する力が働いているという響きがあるからです。

 

実は今回のタイトルも、今日読んだ聖書箇所からつけました。宣教者パウロが、ローマの教会の信徒たちへ送った手紙に、こんな言葉が出てきます。「結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結び付けていた律法から解放されるのです」……まるで、律法が妻と夫を無理やりくっつけているかのようです。

 

でも実際、浮気や暴力などの正当な理由なしに、相手の同意を得ないで離婚することは、現在の法律でもできません。妻が今の関係に耐えられなくなって、夫に「別れたい」と申し出ても、頑として同意してくれないため、婚姻関係を続けざる得ない人もいます。さらに、かつてのユダヤ社会では、律法を盾に「夫が妻を支配し、妻は夫に支配される」という関係が至る所で築かれていました。

 

女性は男性の言うことを聞かなければならない、男性の思いに応えなければならない、男性に従属しなければならない……そんな価値観が人々を支配していたんです。今でこそ、言葉や態度による精神的な嫌がらせを指す「モラハラ」という言葉が広まっていますが、自分がそんな態度をとっているとは気づかない男性も多くいます。

 

文字に従う古い生き方

私自身も、以前付き合っていた女性に対し、同意なく要求を押し通してしまったり、自分の願いを聞いてくれるのが当たり前……という態度を取ってしまったことがありました。残念ながら、そういった不当な行為に対し、定められた「法」が抑圧されている存在を守ってくれるとは限りません。望まない関係を耐え続けている人もいます。

 

ユダヤ社会で守られていた律法も、女性にとって不利な規定がたくさんありました。圧倒的に男性有利で、男性が女性を支配しやすい構造でした。本当は神と人、人と人とが誠実な関係を築くために与えられた掟だったのに、それを受け取った人たちの間で、強者と弱者の関係を固定し、人が人を支配するため利用されるようになっていました。

 

悲しいことに、今でも聖書の記述を用いて、「妻は夫に仕えるべきだ」「女性は男性よりも劣っている」と主張し、自分のパートナーを望み通りに操作しようとする人もいます。「聖書にこう書いてある」「だから私に従うべきだ」……そんなふうに、文字に書いてあることを利用して、自分の支配を正当化する生き方が、今も世の中に溢れています。

 

けれども、パウロはそんな生き方を否定します。「聖書に書いてあるから」「律法に書いてあるから」という理由で、従わない人たちを捕え、「お前は間違っている」と裁き、牢に入れたり殺したりしていたあのパウロが、「もうそんな生き方はやめよう」と言ってきます。文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方をしようと呼びかけます。

 

それは、文字に書かれていることを無批判に受けとって、「これが正しい」と従う生き方ではありません。その言葉を書き残した人間に、神様が何を伝えようとしたのか、何を私たちに望んでいるのか、神の“霊”に問いかけ続ける生き方です。まさに、その生き方を先頭に立って実践したのが、神の子であるイエス様でした。

 

旧約聖書に記された律法を文字通りに受け取るなら、安息日に病人を癒すことも、皮膚病の人に触れることも、外国の人と関わることも、罪人と接触することもアウトでした。しかし、イエス様は周りから「律法を破った」と責められながらも、律法を与えた神様が本当に求めていることを考え続け、問いかけ続け、それに従って行動しました。

 

ただひたすら、「文字に記された掟に従えば正しいんだ」と思っていた人たちは、その行動にギョッとしました。けれども、だんだんと神様の愛、神様の憐れみが本当に現れた姿とは、まさにこの方の生き方なんだと、少しずつ気づかされてきました。

 

かつて律法を文字通りに受け取って、病人や罪人や外国の人へ、冷たい態度を取ってきた人にショックと変化がもたらされたように、聖書を文字通りに受け取って、女性や子どもやLGBTの人へ支配的な態度を取る人たちにも、この方の生き方はショックと変化をもたらすはずです。

 

“霊”に従う新しい生き方

私たちは、文字に記された、権威に裏付けされた「お墨付き」の行動を好みます。何が正しいか自分で考えるよりも、誰かに示された「正しさ」に従う方を選びがちです。かつてパウロ自身が陥っていた「律法主義」も、そんな生き方の一つでした。しかし、復活したイエス様の幻と出会った後の彼は、その生き方から解放されようと訴えます。

 

「結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結びつけていた律法から解放されるのです」……最初に紹介したこの言葉には続きがあります。「従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません」

 

おそらく多くの人は、死んだ夫に代わって一緒になる男とは誰なのか、非常に気になることでしょう。実はこれ、キリスト者の洗礼を比喩する言葉でもあるんです。そう、夫の死による律法からの解放は、古い生き方に囚われた人が洗礼によって死を迎え、新しい自分に変えられて、復活したイエス様と一緒になることを表しています。

 

誰かの「お墨付き」を得た生き方、目に見える人間の主張や評価に従う生き方から解放される。目に見えない神様の意志を探し求め、それに従う生き方へ変えられる……水の中から引き上げられ、死から命へ掬い上げられ、新しい自分に生まれた人たちは、それを思い出すよう求められます。

 

もしも今、世間が望む「夫」になれてない、周りが望む「妻」になれてない、と思う方がいたら、自分が何に支配されているか、もう一度見つめ直してみましょう。あなたを大切に思う神様が、あなたの自由を望む神様が、あなたとあなたのパートナーをどんな関係に導きたいか、一緒に問いかけていきましょう。

 

紹 介

本日、初めて教会に来られた方、久しぶりに来られた方で、紹介をご了承いただいた方のみ、案内された方と一緒にお立ちください。ようこそいらっしゃいました。配信に乗らないようにお名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように。

 

とりなし

共に、礼拝につながった者として、とりなしの務めを果たしましょう。

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス・キリストが私たちに教えられた、最も基本的な祈りを祈りましょう。

主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌『すべてを売り払い』(©柳本和良)を歌いましょう。先ほどと同じく、前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。

 

平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟(姉妹)たちにあるように。恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。アーメン。(エフェソ6:23〜24)