日曜礼拝 2022年9月18日
案 内
華陽教会では、感染症の拡大を受け、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名に調整して、配信と並行して礼拝を行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
しかし、主はその聖なる神殿におられる。全地よ、御前に沈黙せよ。(ハバクク書2:20)
讃美歌
マスクをしたままで、讃美歌二編58番「いかなればきみはかく」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。
お祈り
(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。
◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。台風14号が接近し、国内でも、交通機関に支障が出たり、既に特別警報が出たところもあります。どうか今、避難を考えなければならないとき、すぐに行動できるように、一人一人の命が守られるように、導いてください。
◆私たちの神様。全国の保育園、幼稚園、小学校、中学や高校でコロナにかかっている人に、あなたの癒しがありますように。また、保護者や施設のスタッフの上にも、あなたの支えがありますように。どうか今、一人一人の回復を助けてください。
◆私たちの神様。病気や障害に苦しんでいる人、治療やリハビリに悩んでいる人、ケアやサポートを受けにくい人に、あなたの助けがありますように。どうか今、頼れる人、支え合う人の輪が広がって、孤立から抜け出せるように、一人一人を遣わしてください。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。列王記上21:1〜7、ガラテヤ書1:6〜10(新共同訳より抜粋)
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編119:73〜80(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です) |
讃美歌
マスクをしたままで、讃美歌21の22番「深き悩みより」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。
メッセージ
「呪われるがよい」って、強い言葉ですよね……? 宣教者パウロは、ガリラヤの教会をはじめとする信仰者へ宛てた手紙で、いきなりその言葉を述べています。「たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい」
しかも、この後も、繰り返して、念入りに「呪われるがよい」と言っています。「あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい」……通常、パウロが教会へ手紙を書くときには、前書きに続いて、感謝の言葉が述べられました。しかし、この手紙では、それに代わって、このような非難の言葉が続いています。
どうやら、ガリラヤの教会では、パウロが宣べ伝えた教えに反して、「律法を遵守しなければ救われない」「救われるためには、割礼を受けることも必要だ」と主張する人々がいたようです。割礼とは、男性の生殖器の包皮を一部切り取ることで、イスラエル生まれのユダヤ人男性なら、子どもの頃に行われているものでした。
つまり、この主張は、イスラエル生まれのユダヤ人でない、外国出身の人たちも、イスラエル生まれのユダヤ人と同じようにしなければ、神様に救ってもらえない、信仰者として認められないという主張と、ほぼ、同様のものでした。こう聞くと、あからさまな民族主義、人種差別のように感じますが、おそらく、彼らはそう思っていなかったでしょう。
私たちでも、「教会へ来ていい人」「クリスチャンと言っていい人」を、無意識にイメージして、誰かを認めていないことがあります。ある人は、自分たちのように、礼拝中にじっとしていることができない人を、教会へ受け入れられずにいるかもしれません。ある人は、自分たちと違って、肌が見えやすい服の人を、そのまま教会へ来てはダメと思っているかもしれません。
ある人は、毎週礼拝へ来られない人を救いから遠いと思っているかもしれません。ある人は、子どもに洗礼を授けることができなければ、孫に信仰を持ってもらえなければ、その人たちは救われないと思っているかもしれません。かつて、自ら割礼を受け、子どもたちも割礼を授けなければ、自分たちは救われないと思い込んでいた誰かのように。
教会へ来るからには、自分たちと同じような装いをし、了承できる生き方をし、「この人は救われてほしい」「この人は認められていい」という、ラインに届いてほしいと思ってしまう……「こうすれば救われる」という明確な線引きを求めてしまう……それは、自然な反応ですが、信仰者の足元をすべらせる、注意すべき感覚でもあります。
神様を信じたら割礼を受ける、律法を守らなければ救われない……それは、ユダヤ人にとって当たり前の感覚でした。クリスチャンなら毎週礼拝に出る、清く正しく生活する……それができなければ、救ってもらえるなんて安心しちゃいけない、天国へ受け入れられると思っちゃいけない……そう感じてしまう人々のように。
おそらく、ガリラヤの教会で「割礼を受ける」ということは、真の信仰に目覚めた「ボーン・アゲイン」のように捉えられたと思います。何せ、一大決心です。酒に溺れていた人が酒をやめ、不良だった人が更生し、遊んで暮らしていた人が働き始める……みんなから「救われる対象」として、認められる状態になることが、救いの条件になるはずだ……。
なんなら、パウロだって、本来ならそういう感覚になりやすいはずです。彼は真面目な人間です。小さい頃から律法を学び、神様から与えられた掟を守るために、努力を続けてきた人です。神様を信じていなかった人が信じるようになったなら、当然、前から信じていた人々のように変化し、同じようになるべきだ!
ところが、彼はそう声高に叫べません。なぜなら、パウロがかつて経験した変化は、アルコールに溺れていた人が酒をやめるのとも、ヤクザだった人がカタギになるのとも違う変化だからです。彼が経験した変化は「こうならなきゃ」「こうなるべきだ」と突き進んでいた行動が、正しいと思い込んでいたことが、間違っていたと気づかされた変化です。
「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」……復活したイエス様の幻が、そうパウロに語りかけたとき、彼は全てを悟ります。自分が律法を守らせようとして、神様の意志だと思って、ある人たちを捕え、排除してきたことは、神様の望んでいないことだった。自分が救われないと思っていた相手こそ、自分を救いにつなげる者だった。
ダマスコに向かう道中で、復活したイエス様の幻と出会い、目を見えなくされたパウロは、まさに、呪われた状態に思えたでしょう。彼は、自分が引っ張っていくつもりだった人たちに手を引かれ、自分が捕まえるつもりだった人のもとへ連れて行かれ、自分が処刑するつもりだった人に手を置いて祈られます。
どん底にいた人がイエス様と出会い、できなかったことができるようになって、生まれ変わった話とは違います。パウロはイエス様と出会って、何もできなくなって、頼りたくなかった人たちに、頼らざるを得なくなって、変えられていきます。救われるはずがないと思っていた人たちにとりなされ、支えられ、目を開かれて、変わっていきます。
神様に選ばれたはずの王が、自分の要求を断る不届きな市民に、本当に守るべき神様の意志を示される。自分が導く対象だと思っていた人たちに、自分の過ちや歪みを映し出され、自分の方が神に導き直される。自分が呪っていた相手に、自分の方がとりなされ、自らの言葉に呪われる。聖書には、そんな話がたくさんあります。
今、私たちが「こうしなさい」「こうすべき」と訴えながら、無意識に排除しようとする相手も、実は、神様に遣わされたキリストの僕かもしれません。今、私たちに迫害され、傷つけられているあなたこそ、キリストの僕として遣わされた、平和の使者かもしれません。
どうか今、あなたと私、私たちとあなたがたの間に、キリストのもたらした福音が、良い知らせが、再び示されますように。覆してはならないものを、覆してしまう私たちが、自らの思いを覆され、目を開かされますように。呪われた者が、とりなされる者となったように、私たちも互いに、とりなし合うことができますように。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌24番「イェスは今日あなたを」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろから2ページ目をご覧ください)
使徒信条93-4A
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)
使徒信条93-4B
わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。
紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)
主の祈り93-5A
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)
献金の祈り(例)
愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の3節を歌いましょう。
讃美歌
マスクをしたままで、讃美歌21の頌栄25番「父・子・聖霊に」を歌います。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6 ⑥)
祝 福
どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。(テサロニケの信徒への手紙一5:23)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった15名、同時に視聴された17名、計32名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。
華陽教会では、引き続き9月末まで、感染症対策のため、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名の計10〜15名で集まる『調整型小規模礼拝』を行います。教会員の方は礼拝出席希望表や牧師とのメール、電話で、出席する日を調整していきます。
新来者の方も、毎週一家族分、出席できるように枠を用意しています。始めて教会に来る方は、日曜日は問い合わせなしで参加できるので、ぜひお越しください。また日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。