ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『4倍にして償え』サムエル記下12:1〜14

聖書研究祈祷会 2021年3月10日


『4倍にして償え』聖書研究祈祷会 2021年3月10日

 

案 内

華陽教会では、現在の医療提供体制を踏まえて、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の人数調整をした上で、聖書研究祈祷会も再開しています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の442番「はかりも知れない」を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美をささげましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会に集まることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を聞こうとしている人も祝福してください。

◆私たちの神様。多くの教会が、再び集まって礼拝を再開するようになりました。一方で、今も礼拝を再開できない教会や、集まれない人たちもいます。どうか今、それぞれに必要なつながりとサポートをもたらしてください。

◆私たちの神様。受難節に入って3週間が過ぎましたが、今なお、改めることができないこと、自覚できない過ちがあることを覚えます。どうか今、私たちを慈しみ、期待をもって働きかける、あなたの聖霊を受けさせてください。

◆私たちの神様。感染症によって、地震によって、豪雨によって、大雪によって、様々な地域で、立て続けに困難を覚えている人がいます。どうか今、余裕がないところに助けを、希望がないところに救いを、甘えられないところに理解者を与えてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。サムエル記下12:1〜14(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

メッセージ

加害者が被害者に払うべき代償とは、どれくらいなのか? 誰もが一度は考えたことがあるでしょう。もし、自分が罪を犯したら、その償いに、どれほどの対価を払えばいいのか? どれほどの労苦で報いたらいいのか? 自分の罪や過ちと向き合う「受難節」に入ってからは、余計にそのことが頭をかすめます。

 

法律では、罪を犯した人間が被害者に対して慰謝料を払ったり、刑に服して相応の罰を受けたりすることで、加害者の代償が定められます。でも、被害者にとっては納得できないことも多々あります。加害者の払う対価が少なすぎる、謝罪の気持ちがこもってない、十分な償いになってない……第三者でも、そう思うことが多いです。

 

聖書にも、いくつか罪の代償に関するエピソードが出てきます。神様を信じる信仰者は非常に気になる箇所でしょう。誰かを傷つけ、苦しめ、間違いを犯してしまったとき、どこまですれば、神様に「償いをした」と認められるか? 「更生した」と言ってもらえるか? 信仰者の立場から、知りたいと思うのは当然です。

 

信仰を持って、償いをして、罪人から新しく生まれ変わった者になる。汚れた者から浄められた者になる……多くの人が憧れていることでしょう。私はあまり好きな言葉じゃありませんが、キリスト教会で“born again”(生まれ変わる体験)という言葉が流行っていったのも分かります。

 

そして、多くの信仰者が、「更生した」「浄められた」人のモデルを聖書の中から探します。もともと迫害する側であったパウロの回心や徴税人ザアカイの話が良い例でしょう。そして、旧約聖書にも、神に背いた王たちが悔い改めてとりなしを受け、生き方を改める話が出てきます。

 

有名なダビデ王の浮気事件もその一つ。彼の場合は、人妻であるバトシェバの水浴びを目撃し、彼女を召し出して、妊娠させてしまいます。しかも、そのことが発覚するのを恐れ、バトシェバの夫ウリヤをわざと前線に立たせて、敵に打ち殺させてしまいます。神から王位を退けられた前任の王サウルより、はるかに深刻な過ちです。

 

ところが、その罪を告発しに来た預言者ナタンは、ダビデにその自覚があるかを問うために、たとえ話を始めます。2人の男がある町にいて、一人は豊かで、一人は貧しかった。豊かな男は非常に多くの羊を持っていたにもかかわらず、旅人をもてなすのに自分の羊を惜しみ、貧しい男が飼っていた唯一の羊を取り上げ、自分の客に振る舞った。

 

これを聞いたダビデは激怒して、「そんなことをした男は死罪だ。小羊の償いに四倍の価を払うべきだ!」と息巻きます。寝とったバトシェバから夫を取り上げ、彼を殺した自分のことが言われているとは夢にも思ってないようです。そいつに情状酌量の余地はない。4倍の慰謝料を払わせ、死刑をもって報いるべきだ!

 

ようするに、加害者は4倍にして償っても、死を免れない罪人だと言うんです。それが自分のことだと知らないまま……ここで、ナタンは何も知らないダビデに対し、「それはあなた自身のことだ」と打ち明けます。ダビデが部下から妻を奪い、妻から夫の命を奪い、神の僕を奪ったことを、主はご存知だと突きつける。

 

しかも、代償を払うべき対象の一人は死んでいる。もはや、4倍にして償うこともできません。ますます、「死罪」という言葉が鮮明になります。チェックメイト……暴君ダビデは自らの量りで計られて、神に打たれることになるでしょう。自分の罪を認めて反省し、丁寧に赦しを乞うた前王サウルも、死を免れませんでした。

 

ところが、ダビデは一言「わたしは主に罪を犯した」と言っただけで、こう言われます。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ」……ちょっと納得いきません。確かに、自分の命を失う以上に辛い代償かもしれません。

 

けれども、ダビデの子は夫を奪われたバトシェバの子どもでもありました。王に召し出され、寝取られた上に、夫を殺されて、生まれてきた赤ちゃんまで取り上げられる。無実の命が犠牲になり、被害者はさらに苦しめられる。ダビデは、神様が自分を憐んで、子を生かしてくれるよう断食して祈りますが、「自分ではなく、バトシェバと子を憐んでくれ」とは言いません。

 

自分の命をささげるから、彼女の子どもを助けてほしい……そんな祈りは出てきません。預言者ナタンも、子どものためにとりなしません。ここには、最も弱い者、傷を負っている者のためにとりなす人が不在です。「自分のために」「報復のために」ではなく「被害者のために」祈れる者がいなかった。子どもが死ぬまでの七日間、ただの一人もいなかった。

 

人が自分の罪を償うことができない姿、それを聖書は生々しく描き出します。まさに、「救いようがない」という言葉がぴったりの現実です。でも、この出来事を彷彿とさせながら、ありえない救いがやってきたことを伝える話も出てきます。それが、この後の賛美歌で歌う徴税人ザアカイの話です。

 

彼も、間違いなく加害者の人間でした。人々から過剰にお金を巻き上げ、私服を肥やす悪者でした。そんな彼が、自分のもとにやって来て、「あなたの家に泊まりたい」と言ってくれたイエス様に対し、驚くような発言をします。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」

 

この「四倍」って、いくら何でも盛りすぎだろう? 本気じゃないだろう? と思った方もいるでしょう。何を隠そう私もその一人です。けれども、「豊かな男」であり、「貧しい者」から奪ってきたザアカイは、ナタンに向かって「四倍の価を払うべきだ」と答えたダビデの言葉を思い出したのかもしれません。

 

ダビデはナタンから責められるまで、償うべき自分の罪を語りません。しかし、ザアカイはイエス様から一言も責められなかったのに、その憐れみに触れたことで、自分が貧しい人々を苦しめ、奪い取ってきたことを思い出します。今までは自分のために行動してきた彼が、騙した相手、苦しめた相手のために、返していくことを宣言します。

 

本来なら、それでも「死罪だ」と言われる、償いを果たせない人間であることを覚えながら……彼をとりなしたイエス様は、誰一人犠牲にすることなく、自らの命をささげて、全ての者が償いきれない罪の代償を払います。とりなす者が不在だった世界に、一人も取りこぼさないでとりなしをされる救い主が現れます。

 

今、ここにいるあなたも、イエス様がとりなしてくださった者の一人です。償いを果たせないからこそ、見つめることができない罪、直視できない過ちを、もう一度思い起こしましょう。あなたを憐れみ、あなたを浄め、新しい生き方に向かわせる、この方の力を受けましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(兵庫県洲本市の洲本教会)のために、犯罪被害者のために、冤罪被害者のために、服役中の人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆兵庫県洲本市の洲本教会のために祈ります。この教会が、コロナ禍の中でも、信仰の土台である御言葉、祈り、賛美を大切にし、新しく来られる方々を温かく迎える群れであれますように。教会に集う一人一人の健康と安全が守られますように。

◆犯罪被害者のために祈ります。犯罪に遭って苦しんでいる全国の被害者、また、その家族、友人、恋人を助けてください。あなたの癒しと回復がもたらされ、支援者や関係者も支えられますように。

◆冤罪被害者のために祈ります。無理に自白を迫られ、十分な検証なく罪を問われ、不当に拘束されている人たちに、あなたの慰めがありますように。一刻も早く正義と公正がもたらされ、苦しみから解放されますように。

◆服役中の人のために祈ります。反省のため、償いのため、復帰のため、服役している人たちに、あなたの憐れみがありますように。必要な変化がもたらされ、新しい生き方ができますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「イェスは今日あなたを見つけ出して」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来らせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを 我らが赦すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。

我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは 限りなくなんじのものなればなり。アーメン。

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の祈祷会は、配信4名、出席3名、計7名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

第2部の「分かち合い」は感染拡大を防ぐため、しばらくの間休止しています。聖書研究祈祷会に初めて参加される方は、三密回避の人数調整のため、電話かメールでお問い合わせください。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。