在宅礼拝 2021年3月7日
案 内
華陽教会では現在の医療提供体制を踏まえて、第一・三日曜日と第二・四日曜日に会衆が半分ずつ、数カ所に分かれて集まる小規模礼拝を再開しています。共に今、教会にいる人も、自宅にいる人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)
消 灯
本日は、受難節第3週目の礼拝なので、光や命の象徴として立てられた蝋燭を3本倒し、キリストが受けられた苦しみと、十字架の死を思い起こします。共に今、あなたの労苦と痛みに寄り添う、イエス様の歩みを覚えましょう。
招 詞
愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。(ペトロの手紙一4:12)
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌291番「主にまかせよ」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)
お祈り
ご着席ください。(小窓を閉めて)共に祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは今日も、私たちみんなを招かれました。教会の中にいる人も、玄関の外にいる人も、家から出られない人も、あなたは憐れみ祝福されます。どうか今、一人一人に必要な気づきを与えてください。
◆神様、あなたは今日も、私たちのために泣かれました。この一週間、私たちが犯した過ちや、誰かを傷つけた罪をお赦しください。どうか今、誰よりも私を信頼し、私が壊したものを癒やされる、あなたの道を示してください。
◆神様、あなたは今日も、私たちのために怒られました。この一週間、私たちが受けた痛みや苦しみを、あなたも一緒に負われました。どうか今、誰よりも私を理解し、私のことを守ってくださる、あなたの道を歩ませてください。
◆神様、あなたは今日も私たちのために立たれました。この一週間、私たちが持てなかった勇気や思いやりを、あなたは再び与えられます。どうか今、誰よりも私を尊重し、私の力を生かされる、あなたの道を作らせてください。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書16:21〜28(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
メッセージ
「私のために死になさい」と言われたら、皆さんはその人にどんな印象を抱くでしょう? 相当なサイコパスか、破壊的カルトの指導者のようだと思われるかもしれません。現代社会で、宗教的指導者が公にこんなこと言ったら、間違いなく炎上するでしょう。とんでもない発言です。
また、同じ人が、自分の発言を注意してきた弟子に向かって「サタン、引き下がれ」と言い始めたら、どう思うでしょう? 信じて自分についてきた、最も慕ってくれる仲間にそんなこと言い始めたら、かなり自分勝手に感じます。人の指摘を受け入れられない、我儘な人だと思うでしょう。とんでもない発言です。
さらに、弟子たちみんなへ「まもなく、私は多くの苦しみを受けて殺される」なんて言ってきたらどうでしょう? 仕事を捨てて、自分のためについてきた仲間へ、そんな無責任なことを言うなんて、頭がどうかしています。これから辛い出来事が待っているにせよ、もっと違う言い方があるでしょう。
「この先何があっても、私たちは再び会える」「どんなことがあっても、私は必ず帰ってくる」……映画に出てくるヒーローのように、不安を和らげ、安心させる言葉を言ってほしい。それなのに、ついてきてくれる人間へ、わざわざ「死」や「敗北」を想像させる。とんでもない発言です。
そう、神の子、メシア(救い主)であるイエス様は、先ほどの聖書箇所だけで、3つも爆弾発言をしていました。改めて読んでみても、疑問や不安を掻き立てる内容です。正直、どれも受け入れ難い。イエス様の言葉は、ことごとく信仰者の期待を裏切ります。
「自分は必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活する」……私を救ってくれる方が、勝者ではなく敗者になる。敵を圧倒するのではなく、辱めを受けて殺される。「とんでもない」「そんなことがあってはなりません」と言うペトロの気持ちも分かります。
想像してください。皆さんが最も負けたくない、自分を虐げてきた人に、自分が信頼し尊敬している人が負けることを。いじめっ子に、パワハラ上司に、差別主義者に、イエス様が裸にされ、見せ物にされてしまうことを。それが神の計画だと言われたら、私だって訴えます。神様、それは違います、私の望みじゃありません!
けれども、そう言うと「サタン、引き下がれ!」と返される。「あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」……いやいや、こっちはあなたのことを、神の子であるイエス様のことを思って言ったのに、どうしてそんなこと言うんです? 止めない方がどうかしています。
まあ、実際には止められず、「そんなことがあってはなりません」と言ったペトロは、十字架の死を邪魔できないわけですが……数週間後、彼は「イエス様を見捨てて逃げた自分こそ、神に敵対するサタンと変わらない人間だ」と感じることになりますが、その日、ペトロはこの日のことを思い出せたでしょうか?
あの日、イエス様の死を止めようとした私がサタンなら、止められなかった今の私は何だろう? とりかえしのつかない事態を招いたのに、「あなたはわたしの邪魔をしていない」「神の計画は進んでいる」と言われるのか? 普通、指導者の死を止められなければ拒絶され、追放されるはずなのに。
そうかと思えば、今度は私のために死んでくれと言うかのような話をされる。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」……まるで、部下と一緒に心中を図る独裁者か、特攻を指示する将軍のような言い草です。
でも、実際に自分が捕まったとき、弟子たちが剣を出して戦おうとすると、イエス様はそれを止め、「剣をさやに納めなさい」と言われました。「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言う弟子たちを、道連れにしようとはされませんでした。むしろ、自分を「十字架につけろ」と叫ぶ群衆のことまで庇い、とりなす祈りをされました。
そう、イエス様の爆弾発言は、どれも私たちの期待を裏切るし、どれも私たちのイメージと異なる結果につながります。無責任に私たちを置いていくかと思えば、復活して会いにくる。身勝手に侮辱したかと思えば、見捨てた私たちを赦される。強権的に支配するかと思えば、私たちのためにとりなされる。
目まぐるしい展開に、なかなかついていけません。ついていけませんが、イエス様は私たちを置いてきぼりにもされません。しゃがみこんだ弟子たちのもとへ、閉じこもった人々のもとへやって来て、何度でも「わたしに従いなさい」「わたしについてきなさい」と声をかけます。
久しぶりに、会衆が半分ずつ集まる礼拝を再開して、教会へ行くことができるようになったものの、自分の中のリズムが整わず、ここへ来られなかった人もいるでしょう。みんなと一緒に礼拝する気力を失った人、様々な変化に心がついていかない人もいるでしょう。そんなあなたのもとにも、イエス様はやって来て、揺るがし、励まし、手を引かれます。
「新しい命」を受けなさい。私が与える「命のパン」「命の水」を受けなさい……私たちを愛されてきた、イエス様から力を受けて、私たちも互いに愛しあい、その愛に留まりましょう。主の平和。
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の232番「神のみ子は世に来られた」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)
紹 介
本日は、あちらにいる( )人の方が初めて来てくださいました。ようこそいらっしゃいました。配信後、ご了承いただいた方のみ紹介させていただきます。ぜひ、これからも神様の平和が皆さんと共にありますように。(*拍手)
とりなし
神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。お手元にあるとりなしの祈りの用紙をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
食卓を囲めない日の祈り
本日は感染症の流行に伴い、パンとぶどう液をいただく聖餐式を休止し、「食卓を囲めない日の祈り」を行います。共に「命のパン」「命の水」である神の言葉を受け取りましょう。
招 き
かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)」「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ6:57)」
また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ4:14)」
主は、荒れ野で悪魔の誘惑を受け、空腹の中「石がパンになるよう命じたらどうだ」と言われたとき、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる(マタイ4:4)」と答えました。そうして悪魔は離れ去り、主はガリラヤに帰られて、人々に神の言葉を与えました。
今、様々な事情で食卓を囲めない私たちに、主は「命のパン」「命の水」である神の言葉を与えます。食事が喉を通らず水も飲めない人々に、みんなと一緒に食事を味わえない人々に、神様は新しい糧をもたらします。
共に、聖書を通して与えられた「神の恵み」「神の祝福」を分かち合う、見えない食卓を囲みましょう。
感謝の祈り
恵みと祝福の源である私たちの神様、あなたは私たちの欠乏を満たす「命のパン」「命の水」をお与えになります。孤独に共感を、対立に連帯を、恐怖に信頼をもたらします。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、共に渇き、共に飢え、共に痛みを負われました。
ご自分が渇いているときに、孤立した女性に水を求め、新しいつながりを与えました。ご自分が飢えているときに、神の言葉に信頼し、人々に希望を示しました。パンがなく、水がなく、共に食卓を囲めないとき、あなたの言葉一つ一つは、私たちに見えない糧をもたらします。
どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和がこの世界を満たしますように。アーメン。
とりなし
共に、神の祝福を宣言しましょう。
皆さんの隣に、前に、後ろにいる人、あるいは離れている人へ、イエス様から与えられた良い知らせを伝えましょう。
司式者:主は言われます。
一 同:「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる(ルカ23:43)」
司式者:私たちも知らせましょう。
一 同:「主があなたと共におられます」
司式者:主は言われます。
一 同:「あなたがたに平和があるように(ヨハネ20:19)」
司式者:私たちも答えましょう。
一 同:「主のお言葉どおりになりますように」
応答の祈り
感謝の応答として、共に祈りをささげましょう。
信仰と希望と愛をもたらす私たちの神様、今ここで、食卓を囲めない日に、「命のパン」「命の水」であるあなたの言葉を分かち合えたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。
足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者がもたらされます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を共に分け合う者として、送り出してください。
主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。持ち合わせのない方は、受付でもらった献金袋をそのままお入れください。
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌「あの方が独り子を」(©️柳本和良)を2回繰り返して歌います。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。(マタイによる福音書16:24)
祝 福
永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。(ヘブライ人への手紙13:20〜21)
報 告
本日も、配信を通して日曜礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅礼拝は、教会に集まった17名、同時に視聴された25名、計42名の出席でした。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
来週は、小規模礼拝Aグループの礼拝です。三密回避のため、人数調整をしているので、「初めて礼拝に参加したい」という方は、ホームページの「問い合わせフォーム」か、電話にてご相談ください。
それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。